環濠集落の中で最も重要とされた場所で、祭祀や政治を執り行う場所でした。入口の塀は真っ直ぐには侵入できないよう、鍵型に折れ曲がり迷路のようになっています。これは城郭建築などでは良く見られる構造ですが、このこと一つとってもここ北内郭が重要な区域であったことが分かります。
さらに、今城柵ではなく塀と書きましたが、上の写真で周囲を囲んでいるのがこれまでの丸太の柵ではなく、隙間なく並べられた板塀であるのにお気づきでしょうか。重要かつ神聖な場所であるということで、復元時このようにしたとのことです。北内郭は、こうした板塀によって二重に囲まれていました。
直径50cmの柱で支え、高さが16mもある巨大な主祭殿。
最上階では巫女が祖先の霊と交信し、そのお告げを従者が階下の王達に告げます。
階下では、王や吉野ヶ里の支配下である周辺のムラから集まった長達がここで祖先の霊を祭ったり、政治を執り行ったりします。
高床式住居。神聖な巫女が居住していたと考えられています。
東祭殿。夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上に建てられており、太陽の動きを知るための建物と考えられています。ここで季節ごとの祭祀が行われていたと考えられており、また何度も立て替えられた跡があることから、祭りの度に立て替えられたのではないかとも考えられています。
次回は北墳丘墓です。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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