環濠集落歴代の王の墓と考えられています。発掘調査で14基の甕棺が発見されており、中に入ると本物を見ることができます。墳丘墓は、水城でもご紹介しました「版築」という技法をもって頑丈に突き固められた人工の丘です。しかし、紀元前1世紀以降は墓として使われず、専ら祖先の霊を祀る神聖な場所として扱われていたようです。なぜ墓として使われなくなったのかは分かりません。
祀堂。祖先の霊に、供物をささげ祭祀を行うためのお堂と考えられています。冒頭の写真で、墳丘墓の前に柱が立っていますが、これは立柱といい、祖先の霊が宿ると考えられていたようです。
北墳丘墓から、北内郭を観たところ。説明によると、北墳丘墓と祀堂、北内郭の大祭殿は南北一直線に並んでおり、これを聖なる軸線と呼んでいるそうです。
しかし、そうだとすれば、建物の向き、墳丘墓の中心線をきちんと揃えて造りそうなものです(画像をクリックすると拡大画像が見られます)。素人の僕に分かることではありませんが。
さて、墳丘墓内の甕棺からは、有柄把頭飾銅剣(ゆうへいはとうしょくどうけん)やガラス管玉が副葬品として発見されています。「有柄把頭飾銅剣」というのは文字通り、柄まで青銅でできた剣という意味です。埋葬された人物の身分の高さが窺えます。
中国文献の記述や発掘調査の結果を元に、埋葬状態を再現したものです。
次回は中のムラについてです。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
よろしければクリックおねがいします!
↓