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はろるど
「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」 横浜美術館 8/28 その1

「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」
8/28 15:00~16:30
担当講師 柏木智雄氏(横浜美術館主任学芸員)
今月の17日から横浜美術館で「李禹煥 余白の芸術展」が開催されますが、先日、その展覧会の関連事業の「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」と題された、学芸員の方のレクチャーを聞いてきました。
レクチャーの主旨は「李の世界をのぞく」ということで、彼の作品の変遷を捉えながら、それが今回の展覧会のメインとなる90年代以降の作品へどうつながるのか、また、創作の根本にある李の芸術への意識とは何なのか、さらには今後どのような方向へ歩もうとしているのかなど、様々な観点から幅広く李の世界を理解しようという試みでした。比較的初期のものから近作のシリーズまで、50点あまりの作品をスライドで鑑賞しながら、時間軸に沿って李の芸術を追う。極めてオーソドックスな掘り下げ方ながらも、分かりやすい丁寧なレクチャーだったと思います。
ここではそのレクチャーを私なりにまとめて記事にしたいと思うのですが、何ぶん少々長くなりそうなので、まずは「その1」ということで、李禹煥の創作の原点ともなった彼自身の芸術へ対する批判精神と、初期の「もの派」と言われるグループへの展開を追ってみます。
李禹煥の略歴
1936年 韓国生まれ
伝統的な教育を受ける。
幼少期にワン・ドンチョから詩と書を学ぶ。
「紙の上に点を打ち、線を引くこと。」→李の創作の原点でもある。
1956年 ソウル大学校中退→日本へ
1961年 日本大学にて哲学を学ぶ。
1962年 日本画を学ぶ。
1969年 日本語による美術評論「事物から存在へ」が入選。その後制作活動も始める。
1971年 韓国代表でパリビエンナーレに参加
その後ヨーロッパを中心に国内外で活躍
李禹煥の制作における問題意識
・西洋美術への批判
例1)セザンヌ「ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山」(1892~95年)
何気ない南仏の山々の光景。セザンヌの目を通すとそれが豊かな色彩を帯び、そして新たな形になる。
例2)ゴッホ「足の靴」(1887年)
くたびれた靴を豊かな質感で描いている。また、靴を履いている人々の営み(労働など)も想像させる。
→「見えるもの」と「見えないもの」の狭間を通して、「見えない何か」に気付かせる力
=画家が芸術の導き手となる。
↓
特殊的な才能を持った画家による「見えない世界」の構築=それが西洋近代美術ではないのか。
・西洋近代価値概念への批判
デカルト懐疑主義「われ思う、故にわれあり。」=人間の主観による世界の認識と構成
→人間中心主義・二元論、主体の絶対性
↓
西洋文明・文化の進展=自然破壊、事物の溢れ
事物によって人間が遊ばれているのではないか。
セザンヌやゴッホという「主体」が生み出す西洋美術全体を、批判の対象として捉えてみることの有用性。
人間が際限なくイメージを増幅して作り上げた世界=近代美術は息苦しくないか。
見ることが絶対的なことなのか。=錯視・ダブルイメージ
↓
視覚の不確かさを見せる作品の創作
「第四の構成」(1968年)・「関係項」(1968年)など
関根伸夫の影響=「もの派」へ
関根伸夫「位相-大地」
円筒形の土盛りとその痕跡となる穴による作品
掘って積み上げるだけの行為
砂の位置が変わっただけなのに、全く違った全体が開けてくる。
物理的移動を最小限にしながらも、その結果としての芸術が圧倒的な姿となる。
→「もの派」の仕事を理論付けていく
主義、主張によるグループではなく、偶然的に同じような仕事をしていた人たちが集まった。
李禹煥・関根伸夫・菅木志雄・小清水漸・吉田克郎ら
↓
作る行為の絶対性への懐疑、あえて作ることを制限し、空間と物そのものを作品へ取り込む。
作品と制作者は平等な関係へ=制作者が「主体」とならないように。
→その後、李は「関係項」などの制作により、この主旨を作品に実現させる。
関係項
李の立体作品
近作ではサブタイトルが付くようにもなった。
例)「関係項-サイレンス」(2005年)
鉄板と石の組み合わせが主流。
「鉄板=産業」と「石=自然」
ただし、鉄板は自然に深く関わりのあるものとして捉えられている。
=単純な二元論的な視点ではない模様。
「その2」では、李の平面作品である「点より」や「線より」から、近作の「照応」と呼ばれる作品群へどうつながっていくのかについて見てみたいと思います。
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