都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」 横浜美術館 8/28 その2
横浜美術館レクチャーホール(横浜市西区みなとみらい)
「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」
8/28 15:00~16:30
担当講師 柏木智雄氏(横浜美術館主任学芸員)
先日の「その1」の続きです。
「点より」・「線より」から「照応へ」
・「点より」(1975年)
タンポンに岩絵具を浸し、左から右へと打っていく行為を繰り返す。
徐々に絵具がかすれていく。
紙や線は基本的に使わない。
にかわで延ばされた岩絵具。
一回性の点の跡。その連続
=「一筆一画」:塗り重ね、描き直しを許さない姿勢
↓
1970年代の作品
点と線を中心にした作品群:カンヴァスの中で呼応し合う点と線
↓
1980年代には規則的な点と線が乱れていく
↓
その後、点とも線ともつかない表現へ
例)「点・線より」(1982年)など=縦、横、規則性も崩れていく。
・「風と共に」(1990年)
大自然の中で、強く弱く吹く風のような表現。
風という自然に作者の身体が呼応するかのよう。
↓
「一回性」のものがより自由に伸びやかに。
反復と線や点の呼応がズレていく=「余白」の重要性へ
面的な筆跡が重ね塗りされていくようになる。
=かすれていく点や線が、堆積していく面へ。
例)「風と共に」(1991年):大きな余白に筆跡が二つ。
・「照応」(2003年)
大きな余白と面的な筆跡。静謐感。
余白が外部ではなく中心となった存在感。
今回の展覧会について
90年代以降の作品群を概観=「余白の芸術」
会場レイアウトは李自身による。
高さ3メートルの超大作「関係項-鉄の壁」(2005年)
問題提起的作品「関係項-6者協議」の出品
いわゆる北朝鮮問題への政治的メッセージか。
李自身はこれまで積極的に政治活動に携わってきた。
→そのメッセージが初めて作品化した。
以上です。レクチャーは、スライドで作品を見ながら進行していたので、かなり分かりやすかったのですが、このブログではそれがかないません…。ゴチャゴチャとしてしまったことをお許し下さい。
私は李禹煥の作品から湧き上がる静謐感や、その確固とした存在感そのものに強く惹かれるのですが、レクチャーを聞くと、彼自身の厳しい問題意識の読み取りも重要になってくるのかと思います。今回の展覧会は「余白の芸術」ということで、より伸びやかで穏やかな近作が中心となるようですが、「関係項-6者協議」に見られるような、ある意味で李の根源的な意識が作品化したものも出品されるということで、賛否両論を巻き起こしそうな展覧会となりそうです。
レクチャーでは李の思想へ深く切り込むということはありませんでしたが、作品や作家主体というものよりも、それを取り込んだ全体性(あくまでも開放的な。)を重視する彼の考えは、「もの派」を理論付けた論客としての存在意義が強く感じられると思います。23日の祝日には、李本人が美術館で語るイベント(仮題「現代美術をどう見るか」)が予定されています。こちらも聞いてみるつもりです。
「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」
8/28 15:00~16:30
担当講師 柏木智雄氏(横浜美術館主任学芸員)
先日の「その1」の続きです。
「点より」・「線より」から「照応へ」
・「点より」(1975年)
タンポンに岩絵具を浸し、左から右へと打っていく行為を繰り返す。
徐々に絵具がかすれていく。
紙や線は基本的に使わない。
にかわで延ばされた岩絵具。
一回性の点の跡。その連続
=「一筆一画」:塗り重ね、描き直しを許さない姿勢
↓
1970年代の作品
点と線を中心にした作品群:カンヴァスの中で呼応し合う点と線
↓
1980年代には規則的な点と線が乱れていく
↓
その後、点とも線ともつかない表現へ
例)「点・線より」(1982年)など=縦、横、規則性も崩れていく。
・「風と共に」(1990年)
大自然の中で、強く弱く吹く風のような表現。
風という自然に作者の身体が呼応するかのよう。
↓
「一回性」のものがより自由に伸びやかに。
反復と線や点の呼応がズレていく=「余白」の重要性へ
面的な筆跡が重ね塗りされていくようになる。
=かすれていく点や線が、堆積していく面へ。
例)「風と共に」(1991年):大きな余白に筆跡が二つ。
・「照応」(2003年)
大きな余白と面的な筆跡。静謐感。
余白が外部ではなく中心となった存在感。
今回の展覧会について
90年代以降の作品群を概観=「余白の芸術」
会場レイアウトは李自身による。
高さ3メートルの超大作「関係項-鉄の壁」(2005年)
問題提起的作品「関係項-6者協議」の出品
いわゆる北朝鮮問題への政治的メッセージか。
李自身はこれまで積極的に政治活動に携わってきた。
→そのメッセージが初めて作品化した。
以上です。レクチャーは、スライドで作品を見ながら進行していたので、かなり分かりやすかったのですが、このブログではそれがかないません…。ゴチャゴチャとしてしまったことをお許し下さい。
私は李禹煥の作品から湧き上がる静謐感や、その確固とした存在感そのものに強く惹かれるのですが、レクチャーを聞くと、彼自身の厳しい問題意識の読み取りも重要になってくるのかと思います。今回の展覧会は「余白の芸術」ということで、より伸びやかで穏やかな近作が中心となるようですが、「関係項-6者協議」に見られるような、ある意味で李の根源的な意識が作品化したものも出品されるということで、賛否両論を巻き起こしそうな展覧会となりそうです。
レクチャーでは李の思想へ深く切り込むということはありませんでしたが、作品や作家主体というものよりも、それを取り込んだ全体性(あくまでも開放的な。)を重視する彼の考えは、「もの派」を理論付けた論客としての存在意義が強く感じられると思います。23日の祝日には、李本人が美術館で語るイベント(仮題「現代美術をどう見るか」)が予定されています。こちらも聞いてみるつもりです。
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