「所蔵作品展 沈黙の声」 東京国立近代美術館 9/24

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
「所蔵作品展 沈黙の声」
7/26~10/2

東京国立近代美術館の常設展示室の一角(2階ギャラリー4)では、今「沈黙の声」という小企画展を開催しています。遠藤利克、ビル・ヴィオラ、キムスージャの三名による企画展。小さくともキラリと光る良質な展覧会です。

展示作品はそれぞれ各一点ずつ、計三点(遠藤以外はビデオ・アート。)のみの出展となっていますが、どれもタイトルの「沈黙の声」の通り、極めて静寂な雰囲気を漂わすものばかりです。それぞれが独特のスタイルで、見る者を静寂と瞑想へと誘う。非常にゆったりとした時間が流れています。

遠藤の「欲動 -近代・身体- 」(1997年)は、横2メートル、縦1メートルはあろうかという、浴槽のような形をしたゴム製の大きな作品です。中には水が数センチほど張られていて、底部から吸い取られ壁面から流れ落ちるように、循環の工夫がなされています。展示室の中でドーンと構える圧倒的で寡黙な「浴槽」。近づくとゴム製の壁を滴り落ちる微かな水音が聞こえます。タイトルは幾分抽象的ですが、作品自体はとても素朴です。一つのものとしての重みを強く感じさせます。

「喧噪の中で佇む沈黙の人」とでも表現出来そうな作品は、キムスージャのビデオ・アート「針の女」(2000~2001年)です。長い後ろ髪が印象的なキム本人が、メキシコシティ、カイロ、ラゴス、ロンドンの各街頭に立ち、それに反応する群衆の様子をビデオにおさめます。どの街でもキムは全く同じポーズで微動だにせず、人の流れを遮る形で立つので、殆どの人々は何らかの反応を示しますが、それが街によってかなり異なるのです。足早な人たちが行き交うロンドンでは、キムをチラッと横目で見やるだけの人が多いのですが、ラゴスでは「これは一体なんだ?」と言わんばかりに人だかりとなって、キムを幾重にも取り囲みます。一方、メキシコシティとカイロの反応はやや複雑です。全く無視して通り過ぎる人々から、元々視界に入っていないかのように振る舞う人々、または、ジロジロと見つめながら、今にもキムへ話しかけようとする人々など、非常に多種多様です。ややパフォーマンス・アート的な雰囲気ではありますが、あくまでも主人公は、異世界から来たような素振りで各街頭に立つ、キム自身の沈黙の姿です。その気丈な後ろ姿に何を見出すのか。その辺も問われるように思います。

最後のビル・ヴィオラの「追憶の五重奏」(2000年)は、最もこの展覧会の主題に近い作品だと思います。15分ほどのビデオに登場するのは男女計5名。極限のスローモーションで、苦しみや哀しみ、それに驚きや喜びなど、人のありとあらゆる感情を表現します。もちろん、この作品も全くの無音で静かですが、5名の収まる構図はどこかバロック絵画のようにも見え、それが静謐感をさらに倍加させます。また、各々が必死に無言で何かを表現しようとする様子は、見ていると随分と滑稽にも映りますが、常に今にも声が発せられそうな気分になります。これがまさに「沈黙の声」なのかもしれません。

近代美術館で嗅ぐ現代美術の香り。次の日曜日までの開催です。
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