「難波田龍起展」 東京オペラシティアートギャラリー 9/11

東京オペラシティアートギャラリー(新宿区西新宿)
「生誕100年記念 難波田龍起展 -その人と芸術- 」
7/15~9/25

今年生誕100周年を迎えた難波田龍起の回顧展です。初期の印象派風の作品から、1950年代以降のいわゆる抽象画まで、その制作の全貌を概観出来る、なかなか充実した展覧会です。

抽象的な作品を志す以前の難波田は、いわゆる具象画を精力的に描き続けていました。この展覧会では、その時期の作品を、「詩人から画家へ」(1927年まで)と、「古代への憧憬」(1928~1950年)という二つのセクションで紹介していましたが、その中では、断然後者、つまり「古代への憧憬」の方が印象に残ります。まるでギリシャやローマの彫刻のような、荒々しくも端正な造形による被写体は、どれも質感が高く、また、油彩絵具の丁寧な塗りは、この後に見られる抽象画の大作をも連想させます。彼は、古代ギリシャへの郷愁を強く抱いていたそうですが、これらの作品に、彼の理想郷が体現されていたのかもしれません。

三番目のセクションである「模索の時代」(1951~54年)に入ると、難波田の作風は抽象画へと傾き始めますが、この後の「生命の戦慄」(1955~1972年)では、線と面の交差や、鋭角的なフォルムの連なりなど、アンフォンメルの影響を受けたともされる彼独自のスタイルが花開いていきます。「青の詩」では、青を基調としながらも灰色を帯びたカンヴァスに、細く黒い線が踊るように動きを持って描かれています。構図は当然ながら抽象的で、形としてとても躍動感がありますが、しばらく見ていると、心の襞に寄り添うかように、作品が優しく語りかけてくるような気持ちにさせられて、無機質さとは遥かに遠い世界を見せてきます。また、この作品よりもさらに伸びやかな雰囲気を見せる「青い夜」では、赤や黄色が仄かに照っている青くて暗いカンヴァス上に、白と黒の細い線が半ば跳ね回り飛び回っています。まるでカンディンスキーの作品に、どこか水墨画の持つ幽玄さを加えたような気配です。

その後は「死と再生」(1974~1996年)と題された、最も表現力に優れた作品群を生み出した時期に入ります。「西方浄土2」という作品では、「青い夜」で見せたような躍動感は息を潜めますが、その分、線や形は、幾何学的にパズルのように組み合わって安定感を持ち、深い充足感をもたらします。色もさらに複雑で深淵な表現となり、幾重にも塗られた油彩には重みを感じさせます。「古代への憧憬」で見せたような、丁寧な油彩表現への若干の回帰とも言えそうです。

モネの「睡蓮」に触発されて描いたという大作「生の記録」シリーズ。横長の大きな作品が二点、展示室の正面を贅沢に飾って、その左右にはこれまた大きな油彩画が配されています。中央には観賞用の椅子も置かれていますが、そこに座ってこれらの作品を眺めると、生命を育む水や火の動き、またはもっと大きな宇宙や星の連鎖などを想像させます。線は限りなく面的になり、面も無限大に広がって、カンヴァス全体を支配します。色彩は一層温かくて柔らかくなり、見る者を包み込むかのように展示室を照らし出します。圧倒的な生命力と、その息吹を感じさせる作品です。

最後の「描けなくなるまで描こう」(1997年)には、難波田が入院生活を送っていた時に制作された「病床日誌」という作品群が展示されています。全てスケッチブックにカラーのサインペンで描かれた作品で、青や赤などの色彩が、画面を所狭しと埋め尽くしている様が見て取れます。サインペンということで、さすがに質感は高くありませんが、少し遠目で見ると、色と色との淡い混じり合いや、面や線の絶え間ない交差によって生まれた画面に、さらなる生命が誕生しているような強い意思を感じさせます。

難波田龍起というと、「生命の戦慄」にも見られたような、アンフォルメル的な作品のイメージがあったのですが、この展覧会を見ることで、その先入観は打ち破られました。ゆったりとした動きのある画面と、そこから発せられる強い存在感。儚さや脆さとは無縁とも言える、極めて強固な生命の意思がありました。今月25日までの開催です。
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