都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「アジアのキュビズム」 東京国立近代美術館 9/24

「アジアのキュビズム -境界なき対話- 」
8/9~10/2
アジアにおけるキュビズムの受容と展開を概観する展覧会です。アジア11ヶ国から集まった約120点の作品が、キュビズムというキーワードの元に展示されています。
まるでアジア全域を台風のように駆け抜けていった「キュビズム」。それ自体はピカソやブラックなどによって生み出された一つの美術様式であり、また運動でもありますが、アジアの諸地域の文化や風俗、またはそれぞれに元来あった美術の潮流と混ざり合うと、これまでにない新たな芸術表現を生み出していきます。そういう意味でキュビズムは、アジアにおいても実に普遍的ではありますが、あくまでも「アジアとしてのそれ」だったかもしれません。両者は、決して対立的に存在するわけではないものの、きわどいラインで一致しているようでもあり、またそうでないようにも思えます。やや曖昧な関係です。
20世紀初頭のヨーロッパにおいて誕生したキュビズムは、あまり時間差を置くことなくアジアへとやって来ます。そしてそれは、常に西洋を向いていた日本と、西欧化の渦に飲み込まれつつあった日中戦争以前の中国に、最も早く展開されることになりました。また、韓国も、日本の植民地支配下において比較的早い時期にキュビズムを受容します。(もちろん、本格的な展開は植民地の解放後です。)一方、タイやマレーシアなどの東南アジアや、インド、スリランカは、主に第二次大戦終了後の展開です。それに中国も、キュビズム受容の早さに反して、日本の侵略における国土の荒廃、またはそれ以降の内戦や、共産党支配のイデオロギー的な抑圧によって、キュビズムはかなり長い間地下に潜ります。自由な展開が可能となったのは最近のことです。
会場は「キュビズムと近代性」や「身体」など、4つのテーマに分かれて構成され、アジアにおけるキュビズムの展開に理解が深まるよう工夫されています。この中では、最も「身体」のセクションに、西洋のキュビズムを思わせるような、幾何学的で厳格な構成感を見せる作品が多く並びます。ここにキュビズムの持つ普遍性が最も表されていたとも言えるでしょうか。また、その反面、各地域の土着の匂いが感じられるような、ある意味でまさにアジア的な、「アジアの土着的キュビズム」とも言える展開が見られるのは、4番目の「キュビズムと国土」です。そしてこのセクションが、この展覧会の核心的な部分になっていたようです。とても面白く見ることが出来ました。
半ば使い回された「キュビズム」という言葉に、アジアと地域を被せるだけで、一つ一つの作品が斬新に見えてきます。これと言った作品がなかったのも事実でしたが、切り口の非常に優れた展覧会だったと思いました。
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