都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ガランスの悦楽 村山槐多」 渋谷区立松濤美術館
渋谷区立松濤美術館(渋谷区松濤2-14-14)
「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」
2009/12/1-2010/1/24
没後90年に際し、画家・村山槐多(1896-1919)の業績を回顧します。渋谷区立松濤美術館で開催中の「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」へ行ってきました。
まずは本展の見どころ、及び概要です。
・22歳の若さで逝った村山槐多の人生を、絵画、文芸の両面から探っていく。
・出品の大半は、晩年の5年間(1914年~1919年)に描かれた絵画やデッサン。槐多の制作はほぼこの時期に集中する。
・作品数は葉書などを含めて全142点。ほぼ通期で展示されるが、うち十数点は展示替えあり。(前期:12/1-27、後期:1/5-24)
繰り返しになりますが、この展覧会は槐多の業績を絵画はもちろん、彼自身の関心の拠り所でもあった文芸、詩の双方から提示したものに他なりません。よって一人の画家の絵画を単純に展観するというよりも、村山槐多という一人の人間の生き様、そして感性の在り方を詳らかにする内容だと言えるのではないでしょうか。数多く登場する手紙、葉書、そしていくつかの詩作は、槐多の心のうちを余すことなく伝えています。見て、そして読み込んでこそ、その魅力に触れられるのではないでしょうか。
冒頭に登場する中学時代に恋した同級生を描いた「稲生像」はショッキングです。同性の彼に恋い焦がれた槐多は、その横顔を絵に描いたばかりか、ラブレターまで記して胸の内を訴えます。また他にも今度は女性のモデルに失恋して云々といったエピソードなど、展示からその多感な青年期を知ることも出来ました。
衝撃的といえばもう一点、「尿する裸僧」も忘れられません。槐多本人とも言われる少年が一人、あたかも須弥山のような岩山をバックに、手を前に合わせ、さらには後光までをネオンサインのようにケバケバしく放ちながら、尿を滝の如くこれ見よがしとぶちまけています。こうした堂々たる、鮮烈な一種の自画像を見ると、ナーバスでもあった反面、その奥底には何者にも憚れない強烈な自意識があったと感じられてなりませんでした。
主に女性をモチーフとした肖像画が目立つ中、意外にも私がひかれたのは、縁ある信州などを描いた風景画の数々でした。力強い描線ながらも、どこか素朴なタッチは、自然のあるがままの美しさを見事に表しています。人物画などにデカダンス的な面を感じますが、こうした長閑な風景画も、槐多の良さの一つではないでしょうか。
槐多の画中に多く登場するガランス、つまり茜色は、松濤の重々しい空間をさらに濃密なものへと変化させていました。場所との相性は悪くありません。
来年1月24日まで開催されています。これはおすすめします。
「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」
2009/12/1-2010/1/24
没後90年に際し、画家・村山槐多(1896-1919)の業績を回顧します。渋谷区立松濤美術館で開催中の「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」へ行ってきました。
まずは本展の見どころ、及び概要です。
・22歳の若さで逝った村山槐多の人生を、絵画、文芸の両面から探っていく。
・出品の大半は、晩年の5年間(1914年~1919年)に描かれた絵画やデッサン。槐多の制作はほぼこの時期に集中する。
・作品数は葉書などを含めて全142点。ほぼ通期で展示されるが、うち十数点は展示替えあり。(前期:12/1-27、後期:1/5-24)
繰り返しになりますが、この展覧会は槐多の業績を絵画はもちろん、彼自身の関心の拠り所でもあった文芸、詩の双方から提示したものに他なりません。よって一人の画家の絵画を単純に展観するというよりも、村山槐多という一人の人間の生き様、そして感性の在り方を詳らかにする内容だと言えるのではないでしょうか。数多く登場する手紙、葉書、そしていくつかの詩作は、槐多の心のうちを余すことなく伝えています。見て、そして読み込んでこそ、その魅力に触れられるのではないでしょうか。
冒頭に登場する中学時代に恋した同級生を描いた「稲生像」はショッキングです。同性の彼に恋い焦がれた槐多は、その横顔を絵に描いたばかりか、ラブレターまで記して胸の内を訴えます。また他にも今度は女性のモデルに失恋して云々といったエピソードなど、展示からその多感な青年期を知ることも出来ました。
衝撃的といえばもう一点、「尿する裸僧」も忘れられません。槐多本人とも言われる少年が一人、あたかも須弥山のような岩山をバックに、手を前に合わせ、さらには後光までをネオンサインのようにケバケバしく放ちながら、尿を滝の如くこれ見よがしとぶちまけています。こうした堂々たる、鮮烈な一種の自画像を見ると、ナーバスでもあった反面、その奥底には何者にも憚れない強烈な自意識があったと感じられてなりませんでした。
主に女性をモチーフとした肖像画が目立つ中、意外にも私がひかれたのは、縁ある信州などを描いた風景画の数々でした。力強い描線ながらも、どこか素朴なタッチは、自然のあるがままの美しさを見事に表しています。人物画などにデカダンス的な面を感じますが、こうした長閑な風景画も、槐多の良さの一つではないでしょうか。
槐多の画中に多く登場するガランス、つまり茜色は、松濤の重々しい空間をさらに濃密なものへと変化させていました。場所との相性は悪くありません。
来年1月24日まで開催されています。これはおすすめします。
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