「文化資源としての炭鉱展」 目黒区美術館

目黒区美術館目黒区目黒2-4-36
「文化資源としての炭鉱展」
11/4-12/27



目黒区美術館で開催中の「文化資源としての炭鉱展」へ行ってきました。

会期末が迫っているので今更ではありますが、まずは本展の概要などを簡潔にまとめてみます。

・炭鉱を「視覚芸術」がどのようにして捉えてきたのかを考える。炭鉱を記録した写真をはじめ、絵画、彫刻などを多数展示。
・アートだけではなく、炭鉱の歴史的意義、さらには産炭地域の再生の問題など、文化・社会的な側面にまで視野を広げている。
・三部構成。炭鉱を美術の観点からまとめたPart.1、及び川俣正がコールマインプロジェクトの総括とした新作インスタレーションのpart.2は目黒区美術館(及び隣接の区立ギャラリー)で開催。炭鉱をテーマとする映像作品を紹介したPart.3は別会場にて既に終了した。

テーマはずばり炭鉱という異色の展覧会です。炭鉱モチーフの絵画を並べたスペースを見るだけでも圧倒されますが、記録写真、またエピソードの類いを丹念に追っていくと、炭鉱という場、そしてそこに携わってきた人々の生活の息遣いがひしひしと感じられました。炭鉱の明と暗、ようは経済発展の歯車となった採炭地の発展と、その反面の劣悪な労働環境、また多大な犠牲を伴った事故の歴史など、一つの美術展の枠をゆうに越えた全体像を垣間見られたのは言うまでもありません。

炭鉱を視覚的に受容するという観点からも、やはり印象深いのは、Part.1、「<ヤマ>の美術・写真・グラフィック」のセクションでした。ここでは60名の作家による、総計400点にも及ぶ炭鉱をテーマとして絵画、写真などが展示されています。中でも秀逸なのは横山操の壁画的絵画、「夕張」でした。白濁して凍り付いた空の下には、茶褐色で鋭角的に空間を切り裂くぼた山と、カビ付いたかのような建物群が連なり、そこを工場の煙があたかも妖気のようにして濛々と立ち上っています。横山は自身のシベリア抑留の際、炭鉱に就労した経験を元に、この大作を完成させました。またこの他、今度は父が炭鉱主であったという野見山の「廃坑」シリーズ、もしくは田川鉱業の洋画サークルに属したという立石大河亞など、炭鉱と縁ある作家らの作品も充実しています。単に炭鉱が登場する作品が集まっているだけではありません。そこには炭鉱の臭いはおろか、繰り広げられたドラマまでが染み付いているかのようでした。



その炭鉱のドラマに肉薄していた人物として挙げるべきなのは、8歳の時に炭鉱に住み、60歳を過ぎるまで就労、そして後に自身の記憶を頼りに炭鉱の風景を1000枚以上の絵に表したという山本作兵衛に他なりません。画家としてはアマチュアであった彼の絵はまさに稚拙そのものではありますが、例えばトンネルの中で採掘する鉱夫の姿から爆発事故、また入墨をした男同士の喧嘩や入浴、さらには子どもたちが遊ぶ様子までを描いた作品などは、炭鉱の一大スペクタクル絵巻として異様な迫力を持ち得てはいなかったでしょうか。この連作を見るだけでも、本展へ行く価値は十分にあります。



そうした炭鉱を多様な表現で、しかもどちらかと言えば毒々しく、また時に血となり肉となっていた経験を元にした絵画群を後にすると、会場の最後に控えていた川俣のインスタレーションの「景」は、ただ大きいだけで無味乾燥に思えてなりませんでした。ここはむしろ「通路展」形式に、このインスタレーションを一種の導入部分として、彼のプロジェクトの様子を詳細に紹介した方が良かったのではないでしょうか。

図録は完売していました。また会場内も混雑はしていませんでしたが、静かな熱気に包まれていたことを付け加えておきます。

展覧会における企画とは何なのかということを考えさせられる内容でもありました。各方面で賞賛されているのにも納得出来ます。

27日までの開催です。
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