吉和地区の石原にある民家土蔵の蔵飾りで以前にも紹介したことがある。土蔵のケラバ(妻側の三角部分)に大きく雲文と飛び鶴の像が表してあるもので最高の傑作である。ところが隣接の母屋屋根は朽ち始めており土蔵にも蔦かずらが繁茂しつつあり、先行きが気がかりである。
吉和地区の石原にある民家土蔵の蔵飾りで以前にも紹介したことがある。土蔵のケラバ(妻側の三角部分)に大きく雲文と飛び鶴の像が表してあるもので最高の傑作である。ところが隣接の母屋屋根は朽ち始めており土蔵にも蔦かずらが繁茂しつつあり、先行きが気がかりである。
旧県道(現市道吉和伴蔵佐伯線)沿いの冠高原入口付近にかつての広電冠高原つつじが丘ヒュッテ跡の石積みがみられる。昭和27年(1952)に広島電鉄観光課は冠高原つつじが丘ヒュッテを建設してスキー場経営を行っていた。当ブログ主がスキーで訪れていた頃画像のような建物があったのを記憶している。(広島電鉄開業100年・創立70年史より)
冠高原スキー場のゲレンデ跡にはかつてのロープ塔施設の跡が2ケ所残されている。現在のスキー場にロープ塔施設があるところがあるのであろうか。上級者のゲレンデの施設跡には当時の料金表が残っており一日券が1000円で1回券が50円と表示されていた。
当ブログ主が若い頃近場のスキー場といえは冠高原スキー場か羅漢高原スキー場で、冠高原スキー場には度々通ったがうまく滑れるようにはならなかった。冠高原には現在も当時のスキー場山の家が数棟残されている。
標高1082.5mの女鹿平山の斜面に設けられた「めがひらスキー場」のゲレンデには人口降雪機でつくられた人工雪の山列がみられた。「めがひらスキー場」のHPによると今月11日にスキー場がオープンするようである。
吉和地区でみられる昔ながらの民家で母屋や納屋の外壁が羽目板壁のものがみられる。沿岸部の民家では赤土の外壁が普通であったが、積雪の多かった吉和地区では土壁では耐久性がないので豊富にあった木材を利用して羽目板壁としたものとみられる。
吉和地区では昔ながらの草葺き屋根の民家が2棟みられる。草ぶき屋根の材料は茅、稲藁、麦藁などが使用されていたが、この2棟は耐久性のある茅葺きのようである。上画像のように以前は草ぶき屋根が多くあったが薄鉄板覆いがされている民家が多くみられるのである。雨仕舞の難しい棟部分は一棟では瓦葺きの箱棟とされており、もう一棟の詳細は不明であるが枠材に薄鉄板を張ったようなものが馬乗りに載せてあるようである。
旧吉和村は平成15年(2003)に合併して廿日市市となった。旧吉和村役場庁舎と棟続きの公民館は現在廿日市市吉和支所と市民センターとして使用されており、駐車場脇には閉村記念のモニュメントが建立されている。背面にはTIME CAPSULE 2003-2023とあり、タイムカプセルが埋め込んであるようで、3年後の西暦2023年に開封されるのではなかろうか。
吉和地区の民家軒下に残されているレトロな自販機3台で10年位前にも紹介したことがあるが当時より少し色が褪せているようである。画像左側はブルボンのポテトチップの自販機で200円を入れてレバーを下げると商品が出てくるようである。中央はヴィレ&CoffeeZの自販機で何れの商品も100円だったようである。右側はSunkistの自販機であるが字が消えており詳細は不明である。自販機の右側にはコンクリート製のレトロなゴミ箱がみられる。
吉和川(太田川)の取水堰堤
県道吉和戸河内線沿いの導水路
立野野営場道からみた水圧管上部と下部の発電所
太田川から見た発電所
先日紹介した瀬戸滝・立岩ダムに向かう途中の立野キャンプ場入口に佐伯中央農業協同組合の小規模発電所がある。水利使用標識などによると大田川の水を毎秒1.33㎥取水して発電しているようで、最大出力は450kWのようである。
この発電所は昭和27年(1952)の「農山漁村電気導入促進法」にもとづいて設置されたもので、電気が十分に供給されていなかった農村部に大田川の水資源を活かして電気の供給を目的に設置されたものである。
立岩ダムの堰堤は安芸太田町押ケ峠地区にあるが貯水池の大部分は吉和地区であり、かつて吉和川(太田川)流域の急傾斜地に広瀬、一ノ原、二ノ原、三ノ原、立岩、大畠の6集落があったようであるが定かなことは不明である。このダムは昭和14年(1939)に完成しているようで、当初は下山貯水池と呼称して計画されていたようである。
地元古老話によると建設作業は過酷であったようで逃げ出す作業員がおり各所に見張りがいたような話など伝わっている。水利使用標識によると貯留量15,100,000㎥、取水量24.00㎥/sとあり、下流の打梨発電所に送水して発電している。
竜神湖(立岩ダム)湖畔の駐車場から瀬戸谷を少し入った所からつづら折りとなって左岸の斜面高いところに木馬道の石積みがみられる。この木馬道とは別の主ルートで瀬戸谷の奥部から搬出された木馬道跡がある。十方山登山道を少し登ると瀬戸滝方面の山道がありこれが木馬道の跡で昨日紹介した瀬戸滝上部まで至ることが出来る。
毎日うだるような暑さなので吉和地区にある瀬戸の滝で天然のミストをあびようと訪れた。竜神湖(立岩ダム)湖畔の駐車場から瀬戸谷を遡って行くと少しばかりの冷気を感ずるが、瀬戸滝に到着した頃には汗びっしょりとなった。滝の水量が少し少ないのか天然のミストをたっぷりとあびることが出来なかった。若いころには迂回して二段の滝上に登り源流まで辿って十方山登山道に至ったことがあるがもうそのような元気はない。
うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・
十方山系からの最大の谷である瀬戸谷には関門である瀬戸滝があり容易に瀬戸谷に入ることが出来ない。瀬戸滝は二段の滝で下の滝は30数m、上の滝は10数mのようであり、水量が多く滝前では自然のドライミストで涼を得ることが出来る。若いころ三度ばかり滝上に至り瀬戸谷を遡上したことがあるが、滝は滝上から見るものではなく滝下から眺めるものだ。
うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・
吉和地区の最北部近くにある立岩ダム(竜神湖)沿いの県道296号線で、ニノワラ(二の原)谷に架かる二の原橋から谷を遡っていくとニノワラのリュウズ(二の原の龍頭)がみられる。国土地理院の地図には二ノ原滝とあり、さらに遡って行くとハシゴのリュウズがあるようである。