山代街道の芸州藩と長州藩の国境いである亀尾川峠で、中世、近世にわたって長年国境いの争論があったところである。
江戸初期の承応2年(1653)に大洪水で津和野街道が破損した時には、参勤交代で江戸に向かう津和野藩主亀井氏がこの山代街道を通って廿日市に向かったようである。昭和37年の廿日市土木出張所管内地図には市野峠(標高429m)と記されている。
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