ヤケヤマ谷の中間部位であろうか水路跡と水車が設けられていた石積みの遺構が残されている。この遺構は水を利用した水車による製材所跡とみられ、原木を製材し軽くして険しい山中より搬出していたようである。
「吉和村誌」によると明治末から大正にかけて谷川の水を利用した水車による丸鋸板製造が始まったようで瀬戸谷に水車跡遺構がみられ、これと同じような遺構である。
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