廿日市市中央市民センターの2階ホールにあるショウケースの中に江戸期から制作されている廿日市張り子の主だったものが展示されている。廿日市張り子は元禄8年(1695)に近江国から移住してきた大津屋の先祖が人形作りをしたと伝承されている。大津屋の何代かがこの地方で豊富に生産されていた手漉き和紙を利用して張り子の製作を始めたものとみられ、現存する張り子型の墨書銘文からみると天保6年(1835)頃に製作していたことは間違いない。
近郊から廿日市のまちにやってきた人達は子供の玩具や魔除け、宴会用、祭礼用などに張り子を求め、また、寺社の縁日などでも子供達に人気があり、「大島の張り子」「大島の面」と有名であった。ひとつひとつの手作りでありその日の気分により一品ごとに表情が違っており、全く同じものがない泥臭い素朴さが特徴である。廿日市張り子については張子調査報告書、広島県の諸職などに詳述されている。