平良丘陵開発予定地内には極楽寺に参詣する廿日市参道があり、江戸期に廿日市町人の寄進で建立された里程碑がみられる。七丁碑は萬屋武吉、八丁碑・九丁碑は失われており八丁・九丁中間付近に四等三角点がある。点名は下平良で標高125.65mの三角点であるが笹藪に隠れ気味である。十丁碑は天明元年(1781)5月とあり樋上幸七、十一丁碑は失われており、12丁碑は辻 宮屋などの町人衆によって寄進建立されている。
平良丘陵開発予定地内には極楽寺に参詣する廿日市参道があり、江戸期に廿日市町人の寄進で建立された里程碑がみられる。七丁碑は萬屋武吉、八丁碑・九丁碑は失われており八丁・九丁中間付近に四等三角点がある。点名は下平良で標高125.65mの三角点であるが笹藪に隠れ気味である。十丁碑は天明元年(1781)5月とあり樋上幸七、十一丁碑は失われており、12丁碑は辻 宮屋などの町人衆によって寄進建立されている。
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