有馬温泉にある温泉宿の多くが近代的な鉄筋コンクリート造りの建物であるが、旧街道の湯元坂付近の町並みは古き良き時代の面影が残されている。
昔ながらの格子窓や格子戸、肘掛け手摺など情緒ある町並みはタイムスリップしたようである。
当ブログ休止中に小旅行をしたので種切れを補うために紹介します。
先日の報道でアルカディア・ビレッジが休止・・・温泉とはいえ温泉成分が含まれている水を沸かしているだけのものではすぐに飽きられる。
歴史ある有馬温泉は街を散策していると妬泉源、天神泉源、御所泉源、極楽泉源など各所で湯煙をあげて湧出していた。
永慶寺川に架かる筏津(いかなづ)橋の欄干には旧大野町の町の鳥ウグイス、町の花ウメ、町の木ベニマンサクが鮮やかな色で表されている。
このような欄干は通常の欄干に比べるとコスト高になるのであろうが、うるおいのある施設であれば目の保養もさせてもらえる。
広電郊外バスの佐伯営業所として昭和54年(1979)に開設されたもので、平成4年(1992)頃には存続していたが後に営業所が廃止されて現在は津田車庫として使用されている。
佐伯営業所として開設された頃の広告とみられるかつての廿日市の銘酒であった家納喜と勝力の広告表示が色あせて現在でも残されている。
昨日は二百廿日豊年市民祭に併せて『さようなら広電廿日市「駅舎」』のイベントが行なわれ、多くの鉄道ファンや一般市民の方々がまもなく消え去っていく懐かしい駅舎を脳裏に焼き付けていたようだ。
大正建築の近代化遺産であった廿日市変電所に続いて廿日市駅舎もまもなく・・・
昨日の夕方、五日市港に大きな自動車運搬船が入港しており船名が第二とよふじ丸とあった。
ネットによるとトヨタグループの海運会社トヨフジ海運の自動車運搬船で、長さ165m幅28m積載能力は2000台で名古屋港を基点に日本各地を運航しているようである。
冠高原の松の木峠は広島県・山口県境=廿日市市・岩国市境で、この境界線上に建物が建てられている。
複数の地図を検索しても建物の中央付近に境界線が通っており、廿日市市側に入口がみられるので住所は廿日市市なのだろうか・・・
宇佐八幡神社本殿脇にある覆屋の中に鉄燈籠の笠、火袋、中台、基礎部分が残され、錆で表面はボロボロになっている。(現在は垣があり容易に近づいて見物できない)
江戸期の地誌に銘文が記されており永享9年(1437)に大工藤原朝臣安信がこの鉄燈籠を鋳造している。鋳物師の藤原朝臣安信は廿日市の鋳物師ではないかと思われるのである。
宇佐八幡神社拝殿内の四方に東西南北の方位と春夏秋冬の四季をあらわす切り絵紙が貼り付けてあった。
神楽の舞殿四方の飾付けにみられるもので山代地方ではこの切り絵紙を「ローカ」と呼ぶところもあるようであるが、当神社で何んと呼ばれているのかは定かではない。
宇佐八幡神社拝殿脇の覆屋の中に鏝絵「招雲昇天之龍」が掲げられており、大正9年(1920)に地元の左官さんが制作奉納されたようである。
かつて隣接している吉和地区の土蔵ケラバいっぱいに立派な雲に飛び龍の蔵飾りがあったが同一人の作品であったのかも知れない。
寂地峡の入口脇にある宇佐八幡神社で豊前国(大分県宇佐市)の宇佐八幡神社より勧請したようである。
境内には杉の巨樹が林立しており社叢は「宇佐八幡宮のスギ巨樹群」として、山口県の天然記念物に指定されているようである。隣接地には宇佐八幡宮の社坊を勤めたという古刹玉蔵寺がある。