どこまでも飛べるよ。


長く飼っていたウチのハトが、先日息を引き取った。
満23歳、享年24。
ショックが大きすぎて、ブログも書けないでいた。まだショックは全く癒えていないけど、頑張って書くのだ。
この写真は去年の4月。
以下、画像のほとんどはこのブログに過去にアップしたものだ。


写真は2009年の暮れ。風呂上がりにストーブの前で羽を乾かしている。

この子は、まだウチにパソコンもネット環境もなかった1998年に、林の中でカラスに狙われて弱ってたところを、当時幼稚園児の長男が保護してきた。
クチバシの両端に黄色い部分が残っていたから、やっと巣立ったようなヒナだったのだろう。
小鳥用の粟玉を与えたら食べたので、元気になるまで保護して、放してやった。


写真は2010年。俺のばあちゃんの遺品のアルマイト洗面器がこの子のお風呂だった。風呂のカランから細く湯を出して、背中を打たせる打たせ湯が大好きだった。なかなかの長風呂で、あのアニメのマドンナの少女のようだった。

さて、ハトは確かに放したのだが、その日の夕方に、ウチの庭先の物干しに戻ってきてしまったのだ。
もうウチが「巣」だと認識してしまったのかもしれない。さすがハトだ。そんなだから手紙運ばされたりレースさせられたりするんだぞ。
それはともかく、戻ってきちゃうもんは仕方ない。ウチのポッポちゃんとして保護し続けることにした。
以来23年以上、今年は24年目だった。


写真は2010年の春、入浴後に羽を広げて乾かしている。鳥がこんなに無防備なカッコするとは、この子を見るまで知らなかった。

この子を飼い始めてしばらくは、性別もわからなかった。
それがある日、カゴの中で腹ばいになってるな。と思ったら、卵を抱いていた。
メスだったんだな。当時、ウチの末娘が2歳。この子は、その下の、ホントの末娘だ。


写真は2011年の正月。
この子はよく人に懐いた。
ハトはフンが大きいのが玉に瑕だけど、大声は出さないし、おとなしい。部屋に放すと少し高いとこに留まって、そのままじっとくつろいでいた。


写真は2012年、俺のボーズ頭の上でくつろぐポッポちゃん。
当時子供たちが皆小さくて、このウチで俺だけがオスの何かを発していたのか知らないけど、この子は俺をパートナーと決めたのか、俺に求愛行動をとるようになった。


写真は2013年正月。14歳、飛行にキレがなくなってきた、と書いてるから、この頃はまだ飛べてたようだ。
彼女のカゴは玄関にあって、家の出入りの時なんかは毎回声をかけていた。声をかけるとカゴの中で止まり木から飛び降りて、低い声で鳴きながら歩き回って、喜んでいるようだった。


写真は2014年の春。風呂上りは床の新聞紙の上でじっとしてるから写真が撮りやすくて、風呂上がりの写真が多い。
ネコは風呂ギライで、入浴は毎度大騒ぎだったけど、ポッポちゃんは前述のとおりお風呂大好きで、自分から風呂場に飛んで行っていた。後年衰えてうまく飛べなくなってからも、自分で風呂に歩いて行ってた。


写真は2016年正月で、やはり風呂上り。
新聞紙を床に広げて呼ぶと、濡れた体でトコトコ歩いてきて、新聞紙の上に座る。カゴの床にも新聞紙を敷いてたから、新聞紙の上は安全安心だったんだろう。


2017年正月。
18歳。年齢もあって、この頃にはもうほとんど飛べなくなっていたと思う。
これが、ブログに上げた最後の写真だと思う。


これは2021年正月。同年2月に亡くなったネコの、最後の正月だ。
彼女はノラネコにはケガさせられたりしたので怯えていたけど、ウチのネコがカゴの前やカゴの上に来ても気にしないようだった。かーちゃんによると、ネコが小さいころにカゴを覗き込んだら、ポッポちゃんのドリルくちばしをくらったらしい。以来、ネコは完全に思い知ったようで、ポッポちゃんにはちょっかい出さなくなっていた。
それでも、万が一の事故を避けるため、ネコがいる場所に同時に放すことはしないようにはしていた。


ネコの仏前にお参りしているポッポちゃん。
ネコがいなくなったのは当然わかっているはずだ。
ネコは、俺たちに叱られたり、ウンコ出たときは、必ずポッポちゃんにも報告していたのだ。
ネコがいなくなって、ポッポちゃんを頻繁に部屋に放せるようになった。俺たちはネコの喪失感の癒しを、ポッポちゃんに求めていたのだろう。
そして、夏あたりからポッポちゃんもやけに甘えん坊になり、俺が行くとずっと求愛行動を示していたり、誰かが通るとカゴの縁まで出てきていた。
思えば、この頃にはポッポちゃんは自分の最期が近いことを知っていたのかもしれない。


今年の正月。
俺が保定して、娘がポッポちゃんの爪を切ってくれて、俺の手の上で娘に撫でられてうっとりしているポッポちゃん。
ヒナのうちに足を傷めていたのか、ポッポちゃんは内股で、内側の指の爪が伸びると反対の足で踏んでしまって引っ掛かるので、時々爪を切ってやんなきゃならなかった。娘はそっち方面の専門家なので、老眼の老夫婦としては娘に爪切りを頼むことが多かったのだ。
今年の正月は家族のほぼ全員が揃うことができて、みんなに会えてそれなりに元気にしていた。


しかし、1月末あたりから急に元気がなくなって、積極的に甘えることもなく、じっと羽を膨らましていることが多くなった。
抱いてみると体温も低い感じで、これはいかんと、いろいろ調べて、カゴごと居間に入れて暖かくしたのだが、節分には昼頃からほとんど食べなくなった。
夜、ストーブの真ん前に出してやって暖めると、腹ばいに座ったままながら餌もついばんで水も飲み、フンも出していた。息が少し荒いような気がした。もうすぐ春だからがんばろうね、と声をかけて、寝るときにはカゴをストーブに向けて、寒くないようにして寝た。
これはその節分の夜の写真で、生前最後の写真になった。


翌朝、夜明け少し前に目が覚めて、カゴを覗くと、ポッポちゃんは少し荒いながらも息をしているようだった。まだ暗いので一度ベッドに戻って、定時に起きてカゴを覗くと、ポッポちゃんはもう息をしていなかった。抱いてみると体はまだ全然あったかくて、つい今まで生きていて、俺たちが起き出した話し声を聞いてから、力尽きたような感じだった。


世界一めんこいハトのポッポちゃんは、立春の朝、虹の橋の向こうに飛んで行ってしまった。
ポッポちゃんは荼毘にふした。お棺に納めるとき、ペット霊園の方にお願いして、新聞紙を敷いてもらった。お骨になったポッポちゃんは、一番小さい骨壺に収まって、居間のネコの仏壇の上にいる。
去年のこの時期にネコを喪った悲しみは、この子がいてくれてだいぶ癒された。本当に助けられた。
めんこいめんこいポッポちゃん、ウチの子になってくれてありがとう。もう疲れることがない世界で、好きなだけ飛んでおいで。
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注連飾り。


昨日は日柄がよかったので、正月飾りを設置。


来年も無事故でまいりましょう。
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補助軸。


細い鉛筆の軸を太くしたり、チビた鉛筆を延長して持ちやすくして使い切るための文房具。
補助軸、ってのがたぶん正式名称のようだ。
子供たちが使い倒してチビた鉛筆を尻で2本テープでつないで、補助軸のチャックで咥えれるギリギリまで使ってみたのが、この写真。
鉛筆の尻をセメダインCあたりでつなげば、片方が完全になくなるまで使えそうだ。
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初盆。


コイツも帰ってきてるかな。
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こっちもガッタガタ。


健康診断で便潜血が陽性になり、大腸内視鏡検査を受けるハメになった。
便自体は普通の色合いだったし、目視でわかるような血が付いてたわけではなかったんだけど、顕微鏡レベルで血が付いてたんだろうな。
これは、検査前日用の検査食のキット。検査前日は、これ以外にはいつも服用している薬と、お茶か水しか口に入れちゃダメなのだ。
さすがにイマドキのだけあって、味はなかなか良かったので、苦にはならない。
でも毎日これ食ってれば痩せるだろうなあ。

検査のほうは、大腸にはガンや潰瘍その他の異常がなく、たぶん痔の裏側というか、肛門内面のイボ痔の表面の一時的な出血だったんでないか、ということで、一安心。

ある程度長く乗られているライダー諸兄、プロドライバー諸兄などもおそらく同じ憂き目にあわれていることと思うが、くれぐれも自己判断で痔と思い込むことなく、検診で引っかかったら素直に検査を受けることを強くお勧めしておく。

なお、バイクでいえば、個人的な所感では、アルテシアのようなオフ車やクルーザー系のバイクは着座姿勢的に痔に堪えるが、SRXのような前傾姿勢のスポーツバイクは痔にはそうでもない。けど、着座姿勢が前傾してると、前立腺には堪えるかもしれない。男はつらいよ、な、初老のイーぢーライダーである。
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We miss you...


ウチのネコが、先日息を引き取った。
秋の寒い朝に仕事場で死にかけてたのを拾って、蘇生させ、貰い手もないので飼うことにして、以来16年ちょっと、ウチの子だった。
これらの写真はすべて生前のもので、段落の内容とは必ずしも関係あるわけでない。


これは拾って間もなく、痩せ衰えてたのがやっと復活してきたくらいの時期だ。キジトラのオスだ。
拾ってすぐ獣医に見せて、4か月くらいの子じゃないか、と言われた。栄養失調とネコ風邪で、指先のケガが悪化していて、指先の肉を少し失った。


当時のウチのウェブサイトの掲示板には、
「先月、仕事場で仮死状態の子猫を保護しました。
極度の空腹と寒さ、それに風邪を引いており、凍傷もありました。
なんとか蘇生させ、治療しつつもらい手を探していたのですが見つからないので、ウチで飼うことにしちゃいました。
元々飼われていたようで人懐こく、トイレもきちんとできる、なかなかのおりこうさんなのです。
推定8月生まれのキジトラの♂です。いずれどこかでご紹介しますね。」と書き込んでいる。
頭のてっぺんに、ムンクの「叫び」を戴いていた。


子供と遊ぶネコ。
拾った当時、子供たちは小学生。ネコは末弟として、子供たちと共に育ってきた。
子供たちが独立して家を出てからも、ネコは兄弟である子供たちの帰省をなにより喜んでいた。我々両親も、子供たちの抜けた穴をネコに埋めてもらっていたかもしれない。


テヘッ!
俺にふざけてこんなことされても嫌がるでもなく、されるがまま。


ブラッシングで抜けた毛玉で、なめネコ的ツッパリにされたの図。
気性の穏やかなネコだった。


生涯、自宅警備の任務を全うした。


晩年は、脳に何らかの腫瘍等が疑われる症状が現れたが、老齢でもあり、手術ではなく薬で軽減する治療を選んだ。
最晩年の昨年末には一度下半身がマヒしてしまったが、正月までにはまあまあ歩けるまでに復活して、コロナ禍でも帰省可能だった何人かの子供たちにも会うことができた。
しかし、2月に入ると再び下半身にマヒが出て歩きづらくなり、オシッコもトイレまでもたない状態になった。食欲もなくなったが、それでも水は飲むし、大好きなちゅ~るは食べていた。


最期の日の朝、生前最後の一枚になった写真。
この日は朝から元気がなく、ちゅ~るにも顔を背けていた。前日の昼くらいから何も食べていないようだったので心配していたが、「食べて薬のめよ」と声をかけて、ネコはかーちゃんに頼んで仕事に出た。
昼にかーちゃんに連絡すると、まだ何も食べない、というので、獣医に連れてってもらうことにした。
後で聞いたところでは、ドクターには、薬を飲ますしかないのだが、状態は良くないので、覚悟も必要、と宣告されたらしい。薬を飲ますためのシリンジをもらって帰ったらしい。


夕方、帰宅して玄関を入ると、ネコの名を呼ぶかーちゃんの号泣が聞こえた。
ネコは俺が帰る15分ほど前に、息を引き取っていた。かーちゃんは、もうすぐおとうさん帰ってくるから頑張って、と声をかけ続けていたそうだ。そのせいなのか、ネコは耳をピンと玄関に向け、目を開いて亡くなっていた。
撫でたネコの体はまだあったかかった。なんとか目を閉じてやったが、どうしても半目になってしまう。


でも、そういえばこのネコは熟睡中はいつも半目だった。これは爆睡中の写真。

当日の夜に、子供達にもネコの訃報を知らせた。
数日後の葬儀と火葬には、一番近くにいる子供の一人が当日なんとか駆けつけることができた。


今年の正月、ベッドで息子の手を枕に眠るネコ。
お骨になったネコは、生前愛用のこのベッドに安置している。


それから半月になるが、まだまだ悲しみは癒えず、とても立ち直ったとは言い難い。
ウチの中の陽だまりのあったかいとこには、いつもネコがいた。お前がいないとさみしいぞ、ネコ。
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サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

偉大なる喜劇人がまた彼岸へ。小松の親分、あちらで植木先生にお会いになっていることだろう。
ご冥福をお祈りいたします。
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使い切った。


使い切ったボールペン。
意外とここまで使わないような気がするが、俺だけかな。


使い切った、と言いつつ、実はまだもうちょっと書ける。
ホントに使い切った時困んないように、新品を出しておいた、という写真。
上の新品と、下の使い切ったペンは同じ物。使い切ったほうの軸が白いのは、COVID-19感染予防対策で、何度となくアルコールで拭かれたためだろう。1本10円見当の使い捨てペンだから惜しくもないけど、プラスチックは基本アルコールに弱いから、大事な製品ならアルコールで拭いたりしないほうがいい。
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タフだった。


何度目だろうか、手が滑って、スマホを倉庫のコンクリ床に落としてしまった。


でも、ガラスも割れなければ、作動も正常。
さすが、タフネスを謳うだけあるBV5500。
ま、落とさなきゃなおいいんだけどな。
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団長。

レミントンで弔砲を。
偉大なる団長に敬礼。
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