hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

松庵稲荷神社へ

2025年03月16日 | 散歩

 

南町苗木畑公園を北側に抜け、吾妻通りを横切り、さらに北の五日市街道を東に150mほど行くと、「西高井戸松庵稲荷神社」がある。

 

 

御祭神は受持命(うけもちのみこと)

松庵村は万治年間(1658~1660)に萩野松庵という医者が開いたと伝えられている。境内入口に元禄三年(1690)11月、同6年の二基の塔があり、前者に「武州野方領松庵新田」と刻まれている。

この神社は明治維新の際廃寺となった円光寺の境内に松庵村内鎮守として創建され、昭和9年に松庵村の鎮守と中高井戸村の鎮守を合併して西高井戸松庵神社と称し、社殿を改築した。

社前の五日市街道は江戸時代には「青梅街道脇道」と呼ばれ、木炭など生活物資の輸送に大きな役割を果たした。

 

近年、町名変更により西高井戸の地名が失われたので、神前に社号標を建立して由来を記した。


昔、当稲荷神社の西側に円光寺と言う寺があり、大きな築山があった。 狐が穴を掘って小狐を育てていたが、寺が廃寺となり、明治30年頃、築山を取り去ったので、親狐は子狐と別れる悲しみのあまり、前足をくわえたままの姿で拝殿の床下から発見された。昭和36年末社を建て、古来からお稲荷様のお使い姫と言い伝えられるこのお狐様をおさめてお祀りしている。

現在このミイラは鳥居をくぐって左手にある小さな祠(ほこら/し)に安置されている。ミイラは前足を口にくわえた状態のまま真綿の上に置かれているが、その姿を見ることはできない。この祠の前には、奉納された大小さまざまな狐の置物がたくさん並べられている。

 

神社北側には明治初年に廃寺となった(*)円光寺の住職の墓が隣接している。

 

中央の五輪塔は、地元の人々が、歴代住職の霊を慰め、手厚く供養するために昭和40年にこの墓地を整備したてた供養塔である。

 

経緯を記した看板

 

通り過ぎてしまうようなお稲荷様にも、調べてみると、オモロイ?話があるのだ。

 

 

「江戸紫染め」

元禄・宝永(1688~1711)のころ、松庵新田の豪農・仙蔵(のち杉田仙蔵)は、京都智積院の僧・円光の指導により、苦労の末「江戸紫染め」を完成させ、その子が広め、栄えた。円光寺は、仙蔵が建立したとも、円光が仙蔵の菩提を弔い、仙蔵が生前大切にしていた馬頭観音を本尊として建立したものともいわれる。馬頭観音は現在、宮前三丁目の慈宏寺(じこうじ)の写経堂に安置されている。

 

*廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

廃仏毀釈は、明治維新政府の神道国教化政策に基づいて行われた仏教の弾圧運動。

明治元年(1868年)3月に「神仏分離令」が公布され、神社から仏教的な要素を排除し、1870年、大教宣布の詔を出し、伊勢神宮を頂点として、全国の神社を序列化する神社制度が整えられた。

これを受けて、長年仏教に圧迫されてきたと考える神職者たちによって全国的に廃仏運動が起こされ、激化し、神官、群衆が寺を襲って仏像や仏具などが破壊され、廃寺となった寺院も多い。明治4年頃にはほぼ終息したが、寺院の被害は大きかった。

 

 

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キャラメルマンデーCaramel Mondayを買う

2025年03月15日 | 食べ物

 

アトレ吉祥寺店本館1階3番街で、かっこよかげなお菓子が並ぶ、見かけない店があったので、さっそくご購入。

2025年2月28日(金)~2025年3月25日(火)だけ出店しているキャラメルマンデーCaramel Mondayだった。

常設店は新宿区新宿4-1-6 NEWoMan新宿 2F エキソト埼玉県さいたま市大宮区錦町630 JR大宮駅構内

 

パンフレット

 

約¥2500

 

中味は合計3種×4=12個

 

サクッと軽いクッキーの中にとろりと甘いソフトキャラメルなど

 

店も、お菓子も、包装なども、デザイン良く、軽く上品。

 

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3月(1)の花

2025年03月14日 | リタイヤ生活

 

3月3日に届いた花

 

 

3日後、菜の花が徒長。

 

咲いた、咲いた紫、黄、白のチューリップ花が

 

白にピンクの縁取り、ピンク、赤のスイートピー

 

菜の花はほぼ満開

 

紫のリューココリーネ3本

 

モカラは3種類のランを交配した人工的に育種された花。

 

2週間前の残り物、花びらがカチカチに硬くなってドライフラワー状態の「スターチス」は壁にテープ止めされ、蕾から開花し最後に残ったラナンキュラスは一輪挿しに。

 

5日後、菜の花は徒長して、一本の茎が折れて退場。

 

チューリップは、とくに紫が開き過ぎ

 

スイートピー峠が見えた40代??

 

リューココリーネは、2つほど花を取ったが、まだ美しい熟女。

 

モカラはほとんど変わらず、不気味な美魔女。

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 昔話シリーズ(小学生の頃) 雨の記憶

2025年03月13日 | 昔の話

 

明治生まれの父は無口で怖かったが、一人っ子の私は可愛がられ、めったに怒られることはなかった。小学校にあがる前だったと思うが、ある雨の夜、父が「新聞を取って来い」と言った。何かをしていた私は何気なく「いや」と言った。その言い方がいけなかったのだろう、突然父が「親に向かって何を言うか」とほっぺたをぶった。
それまで一度も殴られた事がなかった私は、一瞬ボーとして、何が何だかわからなくなり、静寂の後、大声で泣き出した。そして泣きながら廊下を走り、玄関から外に出た。外に出てからハッと我に返った。冷たい雨は降っているし、どこへ行ったら良いのかわからない。
玄関からの石畳をトボトボと歩き、門のかんぬきを足がかりに、いつも遊んでいるコンクリート製の四角い門柱の上へ登った。門柱の上には松が張り出していて雨宿りにもなる。

 

べそをかきながらそこにじっと座り込んでいると、傘をさして母がやってきた。キョロキョロあたりを捜しながら、名前を呼ぶ。このままでは行ってしまうと思い、小声で「ここ、ここ」と言った。母は「まあまあ、何でそんなところに」と言って微笑んだ。母に連れられて部屋に戻り、父にモゾモゾ言って、下を向いたまま遊びを続けた。父も黙っていた。

 

私の小学校入学の日も雨だった。母の傘の中で手をひかれて帯び芯で作ったズックのかばんを下げ、隣の隣に住むS君親子と一緒に小学校へ行った。S君の父親は社長さんで、お金持で、彼はランドセルを背負い、ゴム長靴で水たまりをピチャピチャさせていた。ズックは恥ずかしくなかったし、ランドセルも欲しくなかったが、長靴はうらやましかった。しかし、我が家は貧しく、自分には関係ない世界であることも良く解っていた。一人っ子の私は、小学校がはじめての集団生活で、緊張と期待でわくわくし、雨も、貧しさも楽しかった。

 

最初の授業のとき、窓から雨の降る校庭を見た誰かが叫んだ。「おーい、傘をさして誰かくるぞ!」 先生が止めるまもなく、皆総立ちになり窓に殺到した。背伸びしても外が見えない子が多く、「良く見えない!」と声があがった。そこで私が机の上に立ち、「机にのればよく見えるぞ!」と皆に得意げに教えてやった。先生が冷たく言った。「机にのってはいけません! それは悪い子のやることです」。
70年以上経った今でも、あの驚きと、哀しみが蘇る。

 

1950年当時、都内山の手の私の通っていた小学校は二部授業だった。子供の数に比べ充分な校舎がなかったため、午前中授業があると、翌日は午後からの授業になる。午後から授業の時は、昼飯後に登校し、午前の組の授業が終わるのを廊下で待つ。この時の思い出もなぜか外は雨で、私はしずくのたれる傘を下げている。木造の1階建ての校舎の、油を引いてこげ茶色になった板張りの廊下の、あのにおいを思い出す。

 

(「雨の記憶」2017年2月26日を一部書き直して再掲)

 

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ランチはフォー

2025年03月12日 | 食べ物

 

今日のランチはいつもに増して簡単にしたいと、近くにある蕎麦屋を探した。

 

まず行ったのは「サンロード」を北に行って「五日市街道」との交差点の先にある「TSUMUGU」。

行ったことがない店なのだが、「十割蕎麦と和食ごはんの店」とあり「昼から呑めるそば屋」とあるので、基本的には居酒屋かな? 行ってみると、ネットに休みは月曜日とあったが、火曜日なのに休み。

 

ならばと、「元町通り」が「サンロード」にぶつかるところにあるシュープラザビルのB1にある「吉祥寺 砂場」。

「そばと一品料理」の店だが、火曜日は休みだった。

 

ならばならばと、コピス吉祥寺店B1にある「そば処 善左衛門」に行く途中、ヴェトナムのフォーの店「COMPHO」(コムフォー)を思いだして、いい加減ここにしようと、入った。

2001年、米屋の3代目である現代表が、お米を新しい時代にあわせた、日本初のフォー専門店を虎ノ門にオープン。女性が一人で入れて笑顔になれる場所を作りたいとの思いだったとある。

小さな店で、席同士が近いが、確かに入りやすい。我々は、2019年2021年と3回目だ。

(写真は2021年)

 

メニュー

お勧めは

素直が唯一の売り物の私は、お勧め通りの「国産焼き帆立のフォー ドリンクセット(ホットコーヒー)¥1,480」

看板と比べると、若干帆立が小さい。

 

相方は、「国産鶏のフォー ドリンクセット(ホット・ルイボス)¥1,130」

 

さっぱり味で、けっこう腹いっぱいになった。

 

今日は、買い物はすぐ終わったのに、ランチ処であちこち彷徨い、歩いて帰って、9,800歩。

 

 

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河津桜が満開の井の頭公園西園

2025年03月11日 | 散歩

 

今日、3月10日、井の頭公園西園の河津桜が満開だとの情報を得て、西園を探すが、桜が見つからない。西園の南にある競技場から南、「三鷹の森ジブリ美術館」の東を見ると、遠くがサクラ色で、人が集まっている。

 

ここだ! 河津桜が満開だった。

 

大きな河津桜は2,3本だが、久しぶりに見る満開の桜は豪華!

こちらにも

こちらにも

 

溢れんばかりに咲き誇る

枝を隠して、花が一杯

 

近くで良く見ると、少しだけ蕾もあるが、満開だ。

 

公園案内所の河津桜の説明。

1955年(私に言わせれば、つい最近!)、静岡県河津町の飯田家の方が雑草の中で1mほどの原木(自然交配種)を発見し、庭先に植えたのが由来。蕾のうちは濃いピンク色で、開花するほど薄いピンク色になる。開花には時間差が有り、他の桜より長く楽しむことが出来る。

 飯田さんに感謝!

 

そばに、まだ濃いピンクの河津桜があった。

 

こちらにも

 

 

近づいて撮ると、濃いピンクの蕾だ。

 

こいつぁ~、まだまだ楽しめそうだ!

 

幹を切られたのに小さな花を咲かせている河津桜があった。

「頑張れよ」と撫でようとし「おっといけね~」、「がんばって生きています。いじめないでね」とあった。

 

井の頭公園、西園の南端まで是非足を延ばしてください。

 

 

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毎度の「Bo-peep」でランチ

2025年03月10日 | 食べ物

 

吉祥寺をプラプラしてくたびれて、またまた「カフェBo-peep(ボーピープ)」に寄った。

前回が10回目で、いい加減、何回目か数えるのがいやになる。

 

Bo-peep(ボーピープ)とはマザーグースの『Little Bo-peep』という唄に出てくる羊飼いの女の子の名前。

店のひさしの下の長い板の看板に11匹のヒツジとBo-peepちゃんが描かれている。

 

店内にあった刺繍も同じ。

 

棚の上には、前回のクリスマスバージョンと異なり、リアドロの人形が並んでいた。リアドロはもともといいお値段だが、女の子が花束を持っているとポーンと値が上がる。右端の花束の値段は、「ボク怖くて知りたくない」。

 

私は、トルティーヤピザと、コーヒー中深絞り 

 

相方は、トマトグラタンと、

 

サラダと紅茶 

カップとソーサーは、ウエッジウッドWEDGWOODの“Wild Strawberry”

皿は、WEDGWOODのMIRABELLE。ミラベルはフランス産の黄色い「スモモ」の一種。

 

いつも変わらず、料理も美味しく、豆から挽いてくれるコーヒーはゆったりできる。

 

 

 

約1か月後、またランチ時にBo-peep(ボーピープ)に。12回目。

私は、チーズタルトとコーヒー(さっぱりで浅め)。チーズタルトは濃厚で美味。

 

 

相方は、ショートケーキとコーヒー(ブレンドのまろやか)。ショートケーキはさっぱりして美味。

 

本日のランチはこれだけで、3時に焼き芋+αを頂く。

 

 

私のコーヒーカップとソーサーは模様がやや日本風

 

 

裏には、“WEDGWOOD KUTANI CRANE”

高級食器として知られる1759年創設のウェッジウッド。クタニクレーンは、世界的な名器として知られている日本の"久九谷焼を意識して1820年に作られたデザインのシリーズ(CRANEは鶴)。

 

 

 

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土曜日の井の頭公園

2025年03月09日 | 散歩

 

用事があって土曜日で混むのだが、吉祥寺に出て井の頭公園へ行った。

「五日市街道」を西に進み、「弁天通り」がぶつかるところに「武蔵野市立吉祥寺の杜 宮本小路公園」がある。

昨年11月に訪れた公園だ。奥に真っ赤に見える木があった。木にかかっている茶色い点々は枯れた蔦だ。

 

近づいて撮ると、深紅の梅の花だった。

 

「サンロード」が「五日市街道」にぶつかる「吉祥寺駅北」交差点。

この辺りに来ると、昔々「青梅街道の脇道」と呼ばれていた「五日市街道」もめっきり車が多くなる。

 

「サンロード」から「北町新道」へ曲がり、この辺りの大地主「月窓寺」の裏門を見る。

吉祥寺の開村とともに開かれた曹洞宗系単立寺院。「月窓寺 吉祥寺薪能」が1986年(昭和61年)から行われている。

 

「吉祥寺通り」から東急吉祥寺に寄って、さらに南へ行き、吉祥寺駅前交差点を過ぎると、

昭和3年(1928年)精肉業者として創業のやきとり店「いせや 本店」が見える。

 

紅茶店「ムレスナティー東京」の右から井の頭公園に入り、坂を下ると、「やっとらん」と看板を出している店があり、

 

隣は、旬の紅茶とチャイの店「Chai break」(チャイブレイク)

 

池が見えるところまで降りてくる。

 

鳥(鵜?)が羽を乾かしている

 

鳥たちは忙しそうにエサ探し

バンかな?

 

野鳥観察会の皆さん

 

土曜日なのでボートがあちこちに

 

手作り品の店も多く出展

 

 

三角広場の南側の通路はツバキの花ざかり

 

近づいて

 

もっと近くに行くと、虫が

 

 

こちらもピンクだがツバキ

 

樹下に花びらでなく花が落ちている

潔いとして武士がツバキを好んだというが、病気見舞いには持参できない

 

公園を出た所のしだれ桜

 

武蔵野市南町のすべての通りには、小さな通りでも、武蔵野市?が命名して、通り表示があるのだが、地元の人はこの名前を誰も使っていない。この通りは「うぐいす小路」らしい。

 

 

 

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富士山と、おまけのジョーク

2025年03月08日 | 日記

 

3月7日朝8時、ベランダからの富士山

 

 

おまけのジョーク

 

新鮮な卵

「このタマゴ、生みたてって書いてあるけどほんとうなの?」

「まちがいありませんよ、奥さん」

「いつなの、この生みたてって?」と疑い深い客は追及した。

「十分前ですよ、奥さん。あっしが自分で書いたんですからさっき」

 

 

あなたならどの卵、買いますか?

  • 生みたての新鮮な卵 70円
  • 新しい卵  50円
  • 卵     40円

「卵‥‥‥」って、不気味

 

追加のおまけジョーク(パソコンの中で見つけました。出典がわかりません。)

 

赤ちゃんからの相談室

 

Q 最近ご飯がまずくなりました。(7か月女性)

A お客さま、それはティッシュです。     (20代 女性)

 

Q 突然飲み物が提供されなくなってしまいました。設備自体に問題は無いようなのですが(3カ月男性)

A 申し訳ございません、それはお父さんの乳首です。      (30代 男性)

 

Q.最近「ぱぱぱぱぱ」と発声練習をすると、頻繁に視界に入ってくる男性がいます。気になって練習に集中できません。(8ヶ月女性)

A.練習の邪魔をして大変申し訳ございません。そちらの男性は、貴方様に「パパ」と呼ばれる日を心待ちにしている者でございます。            (30代 女性)

 

Q:不快な時にいつも顔を撫で回され、本当に腹が立ちます。たまに引っ掻かれて痛いし、児童相談所に相談した方がいいですか?(2ヵ月女性)

A:気付いていないようですが、ご自身でされています。早く手を発見出来るようお祈り申し上げます。    (福岡県37歳 女性)

 

Q.ママじゃない人が抱っこしてます。特徴は前髪上げ、眉毛なしです。ただしこの人からおっぱいがでます。(4ヶ月男性)

A.それは風呂上がりのママです。          (北海道19歳 女性)

 

 

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南町苗木畑公園へ

2025年03月07日 | 散歩

 

井の頭通りと南末広通りの合流地点から50mほど井の頭通りを東へ進むと「武蔵野市立南町苗木畑公園」がある。

南北に長い公園で、北を東西に走る吾妻通りに通じる。

井の頭通りから見ると、

 

武蔵野市の施設案内には「多様性のある親しさのイメージの公園」と訳の分からないことが書いてあるだけ。実際、何もない公園だ。いつ見ても、人影なし。

 

「苗木畑」という公園名から、地主が税金対策で苗木畑にしていたのだろう。

 

遊具は申し訳程度にブランコと、幼児がまたがるだけのもの(下の写真の中央に黄色く見える)が設置されているだけ。

 

隣接するお宅の柑橘類の木をパチリ。

 

一番北側に白梅が一本。

 

確かに梅の花だ。

 

 

この辺りの公園やお寺は、ただただ南北に長く、短冊のように細い土地が多い。これは、江戸時代に新田開発した五日市街道沿いの土地を農民に分譲(?)したときの名残なのだ。

 

 

松庵梅林公園」で釣り糸を何回も投げて、練習する人発見。人が少ないので絶好の練習場所なのかも。

 

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昔話シリーズ(小学生の頃) 昔は寒く、東京でスキーをした

2025年03月06日 | 昔の話

     

東京の戦後の積雪最大記録は33㎝。1951年、昭和26年2月15日のことだ。この日のことは良く覚えている。
私は小学3年生、同居していた従兄は中3で雪国育ちだった。さっそくスキーを持ち出してきて、家の前の道路で滑った。「もっとすごい坂で滑ろうぜ」と丘の上の公園に連れていかれた。けっこうな急坂が200mはあったろう。従兄の滑るスキー板の前に乗せてもらって一気に滑り下りた。

 

 

昔の東京は今よりずっと寒かったと思う。夜、水道は凍り付くので水を細く流しっ放しにしていたし、朝、庭に出ると霜柱が立っているのが普通で、やたらサクサク踏みしめて歩いたものだった。

 

 

部屋の中も暖房は置炬燵と火鉢だけ。前の夜に灰をかぶせておいた炭を掘り出し、まだかすかに薄赤いが痩せ細った炭を種火にして炭を熾す。種火の周りに新しい炭を何本か立てかけて隙間に息を吹きかける。一瞬、中の方が透き通った明るい朱色に変わり、次第に周りの炭も赤みを増していく。温かさをつかみ取ろうと火鉢の淵から手を伸ばす。
やがて炭火をまたぐ五徳の上のやかんが湯気を立てて、部屋には温かさとやわらかな湿り気が広がってくる。

「灰ならし」で灰をなぜると、竜安寺の庭のような模様ができる。火がついた炭を消さないように気を付けながら長持ちさせるために根元に灰を寄せる。お手伝いの中に楽しみを見つける時代だったと思う。

 

 

置炬燵に豆炭を使うようになり、やがて掘り炬燵になって練炭が登場。そのころには石油ストーブもあったかもしれない。いずれにしても、外はもちろん、昔風の木造の家の中も隙間風で常に寒かった。
結婚して家を出てアルミサッシのアパートに住み、たまに実家に帰ると、やたら寒くて、年とった両親は現に住んでいるのに、良くこんな寒いところで暮らしていたなと思った。北西の台所も床下収納口からの冷風が上がってきて寒く、暗く不潔に思え、30年も暮らしたのに別世界かのような気がした。

 

 

今、昔より外気温も室温も着る物も暖かくなったはずだが、年とった身には寒さがこたえる。つい口癖で、昔はよかったと言いそうになる。

 

 

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井草八幡宮へ

2025年03月05日 | 散歩

 

西荻窪駅北口を出て前の「伏見通り」を西へ600mほど進み、突き当たって北へ曲がり、1㎞ほど行くと善福寺川を「八幡西橋」で渡る。

「北銀座通り」を北へ500mほど行き、善福寺川を渡って300mほど北へ行くと、五差路に出る。

 

「青梅街道」を右(東)へ行くと、井草八幡宮の北鳥居と大燈籠が見える。

 

900余年の歴史を持つ「井草八幡宮」(祭神は「八幡大神」)は、明治までは古い地名から「遅野井八幡」と呼ばれていた。

 

都内でも有数の広さ(約一万坪)を誇る神社で、北鳥居をくぐり、延々と北参道を行くと、右側に楼門がある。

 

楼門

 

そう言えば、善福寺公園内の川の名が「遅野井川」で、源頼朝が水が出てくるのが遅くイラついて矢で掘ったら水がでてきたので、「遅野井」と名付けたと善福寺公園にあった。同じ場所のことを言っているのだろう。

 

本殿

 

手水舎(ちょうずや)

 

この辺り・武蔵野の名物といえば、「ウド」しかない。

 

「頼朝公御手植の松」 ヒョロヒョロと生えていた若い松は無視して、撮ったのは看板だけ。

樹齢約800年、高さ約40mの黒松は昭和47年強風で折れて、枯れてしまった。現在の松はその末流にあたるという??

左の枝がヒョロヒョロ松。

 

 

神門内側にある衝立は、枯れた松の根を輪切りにしたもの。

 

 

 

本殿

 

あらためて、2基の大燈籠、北鳥居を振り返る。

 

 

 

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「ウッドストック」で一休み

2025年03月04日 | 食べ物

 

カフェ「ウッドストック」へ初めて行ったのは、ムーバス東循環で「松籟公園」というバス停があり、松を風が通り抜ける音(松籟)という「松籟公園」はどんなところか歩いて行ってみた時だ。隣接するカフェを見つけて入ったのが初めてだった(2024年11月)。気に入って、すぐに翌月、行った

 

年が明けて、今回3度目の訪問。相変わらず松籟公園には子供たちの声がにぎやか。

 

公園の敷地の狭い通路を通っても「ウッドストック」に行けるのだが、正規の道は、公園東側の「稲荷通り」をちょっと北へ行くと、「スヌーピー」の友達の「ウッドストック」の看板がある。ここから入るのが正規の入口だ。

当初「ウッドストック」という名前は「ウッドストック・フェスティバル」の事かと思っていたが、漫画に登場する名前だった。

 

ここが、カフェの入口。

 

メニュー

 

私は、ウインナーコーヒー(¥680)

 

相方は、自家製シフォンケーキ(フルーツ付)にコーヒーのセット(¥900)

 

気楽な隠れ家的雰囲気で、ゆっくりくつろげる。

 

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木曾路・善福寺店でランチ

2025年03月03日 | 食べ物

 

西荻窪駅北口前のバス通りを北西へ。井草八幡宮を目指す(3月5日にUP)。

商店街で変な物見つけた。アンティークショップの街らしく蛸のオブジェ?と思ったら、植物への自動給水装置だった。

 

途中で見かけた見事に植木の手入れがなされたお宅。

 

美しい見越しの松。造園業の社長さんのお宅なのだろうか?

 

 

井草八幡宮を参拝後(3月5日にUP)、青梅街道沿いの「木曾路・善福寺店」でランチとした。

 

木曽路・善福寺店」は、だいぶ前に2,3回に入ったことがあるはずだが、和服の女性がしとやかに挨拶するTVCMを見て、高級店のイメージだったが、わが大衆店だった。

 

私は、「刺身定食」(¥1980)

 

相方は、「馬籠(茶碗蒸し付き)」(¥1980)

 

それなりにおいしゅうございました。

 

通路を隔てた席に、聞きわけもなく大声で泣き続ける子供がいて、親はオドオドと2回ほど外に連れ出して慰めるだけで、叱らない。騒音は我慢できるが、代わりに俺が𠮟りつけてやろうかと思い、イラついてしまった。私、まだまで枯れていません。

 

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「吉祥寺西公園」、そして「トトト」でランチ

2025年03月02日 | 食べ物

 

吉祥寺駅から井の頭通りを三鷹方面、西へ。高級?スーパー「紀ノ国屋」の裏にある「吉祥寺西公園」を目指す。

 

ベランダや屋上に木々が並ぶマンションを途中で見かけた。

 

店先にはオーストラリアのワイルドフラワーの一種、バンクシア。

 

駅から10分少々で「紀ノ国屋」に着く。一応、中に入ったが、何もかも高級で、籠も取らず、そのまま出口へ。

外へ出て、北側に隣接する「吉祥寺西公園」へ。

 

真ん中あたりに寂しそうな木が1本、

 

広場を通り抜けて、中道通り側から大きな木をパチリ。緑の看板が「紀ノ国屋」。

 

ただ広い原っぱがあるだけだが、子供を乗せた自転車が並び、ママ友がシートを敷いておしゃべりしていることも多い。中道通りには昔、行列ができていた「はらドーナツ」がある。となりにあった「シャトレーゼ」はなくなっていた。西荻窪に新たに出店したからだろう。

 

ランチ処を探してキョロキョロしながら中道通りを吉祥寺駅方面へ歩く。おとぎ話をテーマにしたという「吉祥寺プティット村」を過ぎて、次の角にガラス張りの「トトト&豆乳専門店」があった。

一度入ったことのある、大正通りの「クレヨンハウス」の隣の「二吉軒監修 豆漿日和 」(豆乳豆花専売店)とは別。

 

テーブルが4つとカウンターがある小さな店で、テークアウトする人も多い。

 

私は、白玉、クコの実、金木犀の「黒胡麻汁粉」と、胡麻煎餅、胡桃、ナツメの「小皿」、

さらに「鹹豆漿 Savory Soy Milk Soup」(台湾朝食の定番の少し酸味のあるフルフル豆乳スープ)。

 

相方は、「おからキャロットケーキ」と、「紅大豆 」(日本初無添加ピンク豆乳、希少な山形県「紅大豆」で搾られた。)と、さらに「ほうじ茶豆乳」

 

二人で、¥2960。

いずれも、物足りないくらいさっぱりしていて、胃にやさしく、身体に良さそう。

ごちそうとは言えないが、特徴あるこんな店には、飲食激戦区の吉祥寺で生き残って欲しい。

 

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