フィル・ナイト著、太田黒泰之訳『SHOE DOG(シュードッグ) 靴にすべてを』(2017年11月9日東洋経済新報社発行)を読んだ。
誰もが知る世界的スポーツブランド「ナイキ」の創業者の自伝。
フィル・ナイトは、スタンフォード大でMBAを取得した。1962年、陸上選手だったのナイトはスタンフォードの起業セミナーでランニングシューズについて研究発表した。
スポーツシューズ輸入会社ブルーリボンを24歳で起業。戦後復興期日本のオニツカ(現アシックス)のタイガーという製品に惚れ、単身神戸に乗りこんで商談をまとめ、米国でかつての敵国の靴タイガーを売りまくる。
事業は拡大し、売上は倍々で増加するが、オニツカとの関係が悪化し、地元銀行から見捨てられ、資金繰りがつかなくなる。そこを救ったのが商社の日商岩井。この間フィルは公認会計士の資格をとり生活を支えるため会計士として会社に勤め、二刀流をこなす。
会社名をナイキとして、自前で靴を開発し、有名選手とタイアップし、アディダスに迫っていく。以後も、さまざまな危機がベンチャーに襲い掛かる。常にキャッシュフロー枯渇、タイアップ選手の死、オニツカとの訴訟、突然の巨額な関税要求などなど。
風変わりな二人から突飛なアイディアであるエアーシューズのアイデアが持ち込まれ、さらに飛躍した。
タイトルの「SHOE DOG」とは靴の製造や販売に命を懸ける人々を指す。フィルの陸上コーチでもあったビル・バウワーマンは多くのオリンピック選手をを育てたが、ランニングシューズの改良にも熱心で、共同経営者となった。以下、ユニークなメンバーが次々と加わり、その多くが陸上経験者で、SHOE DOGだった。
各見開きページの下部には1962年(創業)から1980年(株式公開)までの目盛りがあり、目下の話がどこで、何年かが明示されている。
原著:”SHOE DOG : A Memoir by the Creator of Nike ”
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
短期間で考えた通りに一本道を驀進した会社成長記録ではない。あちこちぶつかりながら、靴オタクで不屈の仲間たちが成長していく話だ。大部でちょっと冗長気味だが、スラスラ面白く読める。
完璧を誇りがちな偉人伝ではない。きわめて人間臭く、過ちも多く書いているし、感情を爆発させてしまったことも、仲間との喧嘩もあけすけに書いている。性格も、必ずしも明るくはなく、しかし当然仕事は猛烈で不屈、他人にも厳しく、鼻持ちならなところもある。もちろん、仲間が慕ってくるように、いいやつで、正直でもある。
株式公開で資産100億ドル(1兆円)になったフィルは、文中、多くの所で「金ではない」と言っている。大金持ちの常套文句だ。私もつぶやく「金ではない」。いや、違った。「金はない」だった。
フィル・ナイト Phil Knight
スポーツ用品メーカー、ナイキの創業者。1938年生まれ。オレゴン州ポートランド出身。オレゴン大学卒業。大学時代は中距離ランナーとして、伝説のコーチ・ビル・バウワーマンの指導を受ける(後にナイキの共同創業者)。1年間のアメリカ陸軍勤務を経て、スタンフォード大学大学院でMBA取得。
1962年、「ブルーリボン・スポーツ」社の代表としてオニツカの靴をアメリカで売り始める。その後ブランド「ナイキ」を立ち上げ、創業メンバーたちと「ナイキ」を世界的企業に育て上げた。1964年から2004年まで同社のCEO、その後2016年まで会長を務める。
大田黒奉之(おおたぐろ・やすゆき)
京都大学法学部卒。洋楽好きが高じ、主にミュージシャンの伝記の翻訳を手掛けるようになる
フィルが日商岩井の元CEO速水優(はやみ・まさる、その後日銀総裁)の別荘を訪ねた。フィルが「挑戦的なマネージャーが居ないので外に求めているが、私たちの考え方が独特なせいか、うまくいきません」と嘆いた。速水は「あの竹がみえますか」「来年来られた時は1フィート伸びていますよ」と言った。フィルは長期的に考え、今のチームを辛抱強く育成しようと努力することとした。