hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

乙川優三郎「五年の梅」を読む

2009年04月12日 | 読書2
乙川優三郎著「五年の梅」新潮文庫、2003年10月、新潮社発行 を読んだ。
2000年8月新潮社発行本の文庫化だ。

背表紙にはこうだ。
「・・・人生に追われる市井の人々の転機を鮮やかに描く。生きる力が湧く全五篇。」

山本周五郎賞を受賞作だけに、人情味あふれる市井の人々の時代小説短編集。窮地に追い込まれ、長い間の下積み生活を余儀なくされた人たちが、生きる希望を見出し、新たな道を歩き始める。

後瀬の花:小心な太物屋の手代が小料理屋で働く女を連れて逃げるが、言い争いを始める。

行く道:かって冷酷な仕打ちをした夫が通風で寝たきりになっている。突然出会った幼馴染は妻に誘いをかける。

小田原鰹:横暴で冷酷な夫に愛想を尽かして逃げた妻、若くして家を出た息子。妻と夫の再会は?

蟹:夫に恵まれず、生活が荒れた重役の娘の三度目の嫁ぎ先は、情を重んじるがゆえに最貧の生活をしている貧乏侍だった。しかし、・・・。

五年の梅:「友を助けるため、主君へ諌言をした近習の村上助之丞。蟄居を命ぜられ、ただ時の過ぎる日々を生きていたが、ある日、友の妹で妻にとも思っていた弥生が、頼れる者もない不幸な境遇にあると耳に・・・」(背表紙より)

良くある話といえばそれまでだが、最後の2つの話がしみじみとして良い。信念を貫き、我慢を重ね、最後に逆転する話は単純だが、溜飲が下がる。



乙川優三郎は、1953年東京都生。千葉県立国府台高校卒業、専門学校を経て、国内外のホテルに勤務。1996年「藪燕」でオール読物新人賞、1997年「霧の橋」で時代小説大賞、2001年「五年の梅」で山本周五郎賞、2002年「生きる」で直木賞、「武家用心集」で中山義秀文学賞を受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

ほっとして、しみじみとした思いに浸りたい人にはお勧めだ。山本周五郎作品のように、社会の隅のほうにいる人の哀しみを描いているが、情景や人物描写があっさりしていて、話に深みが足りないように感じられる。


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城山三郎「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」を読む

2009年04月11日 | 読書2

城山三郎著「どうせ、あちらへは手ぶらで行く-『そうか、もう君はいないのか』日録」2009年1月、新潮社発行 を読んだ。

城山三郎の死後、仕事場から9冊の手帳が発見された。本書は、それらを編集部で整理したものだ。それに、次女の井上紀子さん話と、勲章を断る話が追加されている。

日録は、71歳の1998年から始まり、79歳で亡くなる前年の2006年で終わっている。内容は、公開を前提としない手帳のメモで、その日に会った人、会合、執筆の進行状況、自身と家族の健康状態、ゴルフのメンバーと自分のスコアなどだ。ゴルフはあまり上手ではないが、著名な経営者と回ることが多く、そこでいろいろな情報を得ていたようだ。

2000年の2月に愛妻の容子さんが亡くなるのだが、その前の心配な様子と、亡くなった後、いつまでも嘆き悲しみ、次女や孫に支えられながら、何かというと愛妻を思い出す様子がそのまま記述されている。
そして、やがて自身も体が弱り、その中で、「指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく」を執筆し、個人情報保護法への反対運動を主導し、そして、遺稿「そうか、もう君はいないのか」を書いていた。
最後の方は、約束の日を忘れ、キーを何度も無くし、いつも何か探していて多くの時間を割かれるようになる。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)



城山三郎の著書で思い出すのは、「官僚たちの夏」「粗にして野だが卑ではない-石田禮助の生涯」位で、最近は、次女の井上紀子さんが書いた「父でもなく、城山三郎でもなく」だけだが、経済小説のパイオニアとして、そして、晩年になっても個人情報保護法に対し熱く戦った真面目な人と私は評価している。

この本は、手帳のメモなので、一つ一つは何があるわけでもない。しかし、飛び飛びだが、8年分も眺めると、城山さんが年とって徐々にいろんなことが出来なくなっていく様子がわかる。しかし、その中で、生来の真面目さ、真摯さから、これだけはと、資料を読み、必死に書き、戦う姿には敬意を持つ。
また、家族を愛し、家族に支えられ、そして、何よりも妻を愛し、死後までも愛し続けた
城山三郎の温かさ、一途さは見事だ。



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絲山秋子「ばかもの」を読む

2009年04月10日 | 読書2
絲山秋子著「ばかもの」2008年9月、新潮社発行 を読んだ。初出は「新潮」2008年1月号-8月号。

気ままでだらしない大学生ヒデと、強気で無愛想な年上の女額子。ヒデはまだまだ自堕落な生活が続くと思っていたが、突然、額子から強引な別れを強いられる。ヒデは、次に出会った心優しい女性にも落着くことなく、どんどん落ちていき、アルコール依存症になる。恋人も仕事も、友人も失って酒に溺れる。

絶望の果て行き場のない中、静かで温かい場所があり、生き直し始めたとき、・・・そして、すべてを失ったところから、「ばかもの」達の愛が・・・。



絲山秋子(いとやま あきこ)は1966年生まれ。早大・政治経済学部卒後INAXに入社し、営業職として数度の転勤を経験。1998年に躁鬱病を患い休職、入院。入院中に小説の執筆を始める。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞を受賞。芥川賞候補。2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞受賞。同年「海の仙人」で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2005年「逃亡くそたわけ」で直木賞候補。2006年「沖で待つ」で芥川賞受賞。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

前半のばかものぶりが長く続くので多少あきた。ヒデは最近の小説に良く出てくるタイプで、いずれはありふれたまっとうな生活に、だから当面は享楽的、無責任にと遊びまわる若者だ。一方、強気で無愛想、口の悪い額子のキャラは良くたっていて、どこか折れそうな影があり魅力的だ。

デビュー作で芥川賞候補になった絲山秋子はいかにも才能ありそう。絲山さんのホームページにある「絲山秋子の『天才宣言』(2001.07.24)」は自信満々ですごい。何かに若気の至りみたいなことを書いていたと思ったが、このまま突っ走しって行ってほしい。



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「山頭火の恋」を読む

2009年04月09日 | 読書2

古川敬著「山頭火の恋」2009年2月、現代書館発行を読んだ。

自由律俳句を読み続けた漂泊の俳人種田山頭火は、日記の中で、

「私は恋といふものを知らない男である、かつて女を愛したこともなければ、女から愛されたこともない(少しも恋に似たものを感じなかつたとはいひきれないが)、(中略)女の肉体はよいと思ふことはあるが、女そのものはどうしても好きになれない」


と書いていて、確かに膨大な日記のなかにも、女性との恋はまったく登場しない。そこで従来から研究者の間では、山頭火は女嫌いで、女より酒を愛したと、言われていた。

著者は、熊本県内の文学館が収蔵する山頭火直筆のはがきと、佐伯図書館に残る当時の新聞に掲載された工藤好美の寄稿文を調べ、当時を知る関係者に取材を重ねた。この結果、著者は、山頭火に恋した女性がいたと推測する。

確かに山頭火と工藤好美およびその妹の工藤千代がかなり親しかった時期があることは事実のようだ。また、従来言われていたように、山頭火が工藤千代の死を知ってしばらくしてから彼らの家に行ったのではなく、直ちに駆けつけたのは新発見であるようだ。しかし、これらのことから、直ちに、山頭火が千代に恋していたと結論付けるのは早計だと思う。山頭火に恋しい人がいたと想像することは楽しいことに違いないのだが。

著者の古川敬は俳人(無所属。師横山きっこ、成瀬清之、金子敦)。1951年、大分県に生まれる。同志社大学経済学部卒業。佐伯市役所に勤務。父の死により五十歳で退職。家業の不動産賃貸業を引き継ぐ。四十代から俳句を始め、いろいろな結社に属したが、現在無所属。山頭火をはじめ、俳人の書の収集家としても知られる。


以上はこの本の最後にあるプロフィールそのままだが、「師横山きっこ」とあるのは、「きっこのブログ」のアロファーブロガーのきっこさんだ。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

ほぼ素人と言ってよい著者が、ここまで調査と推理を重ねて、ここまで本にまとめたことは驚嘆である。山頭火ファンに人にとって、彼の実像を想像するのに役立つこの本は面白いと思う。
しかし、一般の人にとって、はがきと新聞記事だけで、推理を重ねて、愛した人がいたと言われても、付いていけないだろう。また、山頭火についてかなり知っている人でないと、いきなり部分に入っていくこの本では理解できない点が多いのではないだろうか。



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浅田次郎「ま、いっか。」を読む

2009年04月07日 | 読書2

浅田次郎著「ま、いっか。」2009年2月、集英社発行を読んだ。

洋服などオシャレの話が多く、それも粋な男からみた話が多い。それもそのはず、この本は、女性誌「MAQUIA」に連載された「男の視線」に単行本未収録のエッセイを加えたものだ。

そもそも、おしゃれな浅田さんは、婦人服業界30年の経験がある。しかも、東京のいなせな家庭に育った。家人はタバコを買いに行くにもきちんとよそゆきに着替えてからでかけ、勉強はしなくても、みっともない格好はするなという家に育った。物心ついたときから、深川の粋な芸者だった祖母に連れられて毎月のように歌舞伎を見ていた。

そんな浅田さんの美意識で現在の女性、男性のファッションを切る。恋愛に対する冷静な分析もあり、江戸っ子の男気からの生き方指南もある。そして、それらを、浅田次郎らしく、軽妙洒脱、ユーモアたっぷりに語る。

まあ、こんな調子だ。

孝経の冒頭に孔子は言う。「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」・・・儒教のお国である韓国は整形美容術の先進国である。・・・美しくない顔はすでに毀傷されているも同じだから、手術を施してきれいになることこそが孝である、というような論理ではあるまいか。・・・しかし、・・・韓国俳優全員が怖いくらい同じ笑顔になり、女優に至っては誰が誰だか見分けがつかないのは困りものである。

静謐(せいひつ)な女が好きである。佇まいが凛としており、挙措が美しければなおいい。頭のよさやみめ形は問わない。・・・世の中はアメリカ流の自己表現が盛んになって、そうした物言わぬ女がいなくなってしまった。「わたしって--」「わたし的には--」などという一人称から始まる対話の氾濫には辟易する。どうして君という人を想像させてくれないんだね、と私はいつも心の中で呟く。

恋愛感情は相当部分は思いこみである。

「ゼッタイこの人」も「ま、いっか」も結果的にはさほど変わりがない。

30代より40代、40代より50代の女性が美しい。若いのは「たまにはいい」という程度じゃないか





浅田次郎の略歴と既読本リスト


私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)



50を過ぎた浅田さんは、在宅の日でさえ朝昼晩と普段着を替えるという。一週間も普段着を替えない私には考えられない。

本を書きまくっている浅田さんは、今でも一日一冊の本を読む、本なしでは生きられない、という。作家の人は熱心な読書家でもある人が多い。

16歳から自立し、自衛隊員、暴力団準構成員?、競馬関連、アパレル販売会社経営など多彩な人生経験からのエッセイだから面白くないわけがない。しかし、この本は女性誌掲載エッセイを中心にしているので、オシャレに程遠い私には距離がある。


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井の頭公園での花見

2009年04月05日 | 行楽
4月5日(日)、あまりの人ごみで地元の人は避けるという井の頭公園に花見に出かけた。
井の頭通りから丸井の西側の通りに入ると、もうあふれる人。少し進むと、人で渋滞。正面の入口はとても入れず、東に迂回して公園に入る。



野外ステージの前にはシートが一面。



七井橋から見た井の頭池の東側には、池に張出す満開の桜。ボートに乗ると別れることになるとのジンクスをものともしない若者でいっぱい。





弁財天側には、カクテルグラス状の噴水。より多くの空気を取り入れエアレーション効果を上げた噴水。



池の西端には浮島がある。アオコの発生を抑えるための水質浄化装置で、化学薬品を用いずヤクルトの空容器を使っている。



私お勧めの井の頭公園ベストショットはここだ。



このあたりにはそれほど人が多くなく、池の西端から遠くに七井橋を見ると、静かな気持ちになれる。





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桜散歩

2009年04月04日 | 行楽

桜を求めてぶらりと散歩。ときどき通る裏道へ行くと、桜のトンネルだ。



枝を見上げると、満開。



ちょっと足を延ばすと、片側桜並木。



さらに足を延ばして市役所前。明日5日の桜まつりの別会場。



市役所前の中央通りは両側桜が満開。片側車が満杯。



交差点から西に入れば、桜だけ満開。



どの枝にも桜花が満員で、桜色の雪が積もったようだ。私がお酒を飲んだときのような桜色。いやなに、桜の幹の色です。



帰りは、いつも通らない裏口から入り、上を見上げると隣家の桜が。



引越して半年、桜の木がここにあるなどとは思わなかった。一週間だけ華やかに、そしてあっさり散って、あとは静かにひっそり暮らす桜。
桜の下で死のうとは思わないが、日本に生まれて良かった。


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武蔵野中央公園の桜はまだ見ごろには早い

2009年04月04日 | 行楽

3日(金)昼ごろ、武蔵野中央公園に桜の開花具合を見に行ってきた。ここでは、4月5日(日)に「第17回武蔵野桜まつり」が開催される。
 
武蔵野桜まつりは子ども向けイベントが多いが、例年相当な人が集まるようだ。



入口を入ると、花は3、4部咲きといったところだが、シートを敷いて結構多くの人が集まっている。



中央近くの大きな1本のサクラの周りも人が囲んでいる。木の上の方はまだつぼみだ。



近づいて見ると、下の方もつぼみの方が多い。





桜まつりにそなえて、花壇はきちんと整備されている。



はらっぱの向こうにはNTTの研究所が見える。



私が通っていた頃は、こんな立派なビルではなかった。戦後のボロ屋のころはすばらしい学者が居たが、建物が立派になると徐々に中身がお粗末になっていったのでなければ良いのだが。
このあたりは戦前、戦中は、飛行機のエンジンを製造する中島飛行機株式会社の工場があった。そのため、日本で最初のB29による空襲を受け、以降8回もの空襲で工場は壊滅的被害を受けた。

この現武蔵野中央公園の東隣にある現武蔵野緑町パークタウンには5万人収容の東京スタジアム(武蔵野グリーンパーク野球場)というプロ野球や六大学野球の球場があった。ただし、昭和26年一年だけで、観客が集まらず閉鎖された。

終戦後の昭和28年に、現武蔵野中央公園に米軍宿舎グリーンパークが造られた。昭和48年に返還され、東京都が公園として整備し、昭和53年に開放され、平成元年に地元の要望により、広々としたはらっぱの公園、都立武蔵野中央公園となった。
私もこのはらっぱで紙飛行機を飛ばした記憶がある。



帰り道、武蔵野東小学校を過ぎたあたりで、おかゆの店「粥屋」を見つけた。



手羽先のスープとアサリのお粥セットを注文。





奥さんが多分台湾の人なのだろう。化学調味料を入れず、鶏肉を主体に各種薬草などを使っているそうで、深い味がする。日本のお粥とは明らかに違う。うまい。ゴマのように見えるのはクコの実だ。

さっぱりしていて、わずかにハーブ系の香りのする中国茶がおいしく、一袋ご購入。台湾で買って帰ってきたそうで、他では5千円のところ2千円との話しだった(?)。
中国語の漢字を読むと、「このお茶は台湾の高山で採れた。森林大地は朝晩の温度差が大きく、雲や霧が多く、土壌は肥沃で、汚染されておらず、雨量は適当で、天然環境が優れている。ひとつの枝から2枚の葉だけ手摘みし・・・」とあった。




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「中年期うつと森田療法」を読む

2009年04月03日 | 読書2

北西憲二著「中年期うつと森田療法」2006年6月、講談社発行、こころライブラリーを読んだ。

かねてからもっと知りたいと思っていた森田療法の本はいろいろ目にするが、面倒くさそうな本ばかりだった。たまたま図書館で比較的読みやすそうなこの本を見つけた。

難しい本はあとがきから読むことにしている。「おわりに」は以下のような趣旨のことが書いてあった。

現在主流のうつ病の診断は米国生まれのマニュアルがあって、治療も薬物療法が主体だ。つまり、「うつ」は悪いものなので、コントロールしようという考え方だ。
一方、日本生まれの森田療法は、私たちの心と体の自然回復力を尊重し、引き出していく東洋的な考え方の治療法だ。

「うつ」はコントロールできないもので、「うつ」とつきあい、受けとめ、あきらめ、引き受け、そして「できること」にとりかかることから「うつ」の回復が始まると考える。「うつ」から回復するということは、苦悩に陥る前に戻ることではない。前の状態に戻るのでは再発の危険があるということなのだから。
「うつ」の経験はその人の人生にさまざまな影響を与える。「うつ」からの回復だけでなく、その人生からも回復し、本来のその人の生き方をつかめる可能性があるのだ。

自分の感情、取り巻く環境、人間関係は、自分の思うとおりには「できないこと」だ。「できないこと」の事実を受けとめ、なんとかすることをあきらめ、「できること」に集中して取り組むようにするのが森田療法らしい。「できること」とは、自分の中にある本来の生きる欲望を自覚し、現実の中で発揮していくことだ。

森田療法の特徴は、
不安・恐怖、あるいは私たちの苦悩は生きる欲望ゆえに起こると理解する。
それら「できないこと」にとらわれ、それを取り除こう、それから逃げようとすると不安、恐怖、苦悩はますます強くなる(悪循環モデル)。
悪循環から逃れようとすると、逆にそれに集中してしまう。悪循環に気づき、落ち込みを放っておく練習が必要だ。ポイントは「待つ」ことと「観察する」ことだ。
不安、恐怖、苦悩そのものを受容することと生きる欲望の発揮を重視する(あるがまま)。

「うつ」には「心因性うつ」と「内因性うつ」の2つのタイプがある。
「心因性うつ」には、身近な人を亡くすなどの体験から起こる「反応性うつ」と性格的、環境要因の強い「神経性うつ」がある。
「内因性うつ」は、さまざまなストレスと、ストレスに対するもろさにより発症し、しばしば慢性化する。
具体的には、これらのタイプ別に療法が行われる。また、森田療法は万能ではないので、とくに効果を発揮するケースの例示がある。



北西憲二は、1946年生まれ。東京慈恵会医科大学卒。森田療法創始者の森田正馬教授に学ぶ。慈恵医大助教授、成増厚生病院副院長を経て、現在、森田療法研究所(北西クリニック)所長、日本女子大教授。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

この本で森田療法の概要、考え方はわかったが、進歩激しい現代医学の中での位置づけがわからない。古めかしい療法なのか、漢方のようにある程度認知、利用されているものなのか、私にはわからない。


「できないこと」に対し、そうあってはならぬ、「かくあるべし」と自分で自分を縛り、戦っている自分の心の態度に気づくこと、その修正を試みることが、・・・

など随所にある記述は、精神療法としてではなく、生きるための知恵として読むこともできると思う。



最後に、紹介されている作家の南木佳士(なぎけいし)のうつからの回復例の概要を紹介。

南木氏が末期肺ガン患者たちを看取る内科医としての生活の中で芥川賞を受賞し、心身ともに疲労しきったときに、強烈なパニック発作を起こし、初期治療の遅れからうつ病になった。

「悲観への過度の傾斜。不幸な過去への執拗なこだわり。そして心身の不調。これらは私に小説を書かせる原動力になっていたものだが、このエッセイを仕上げた時期にはそれぞれの要素が身のうちに抱え込める限界に達していたようだ」

「どうしようのない自分をありのままにさらけ出し、以前の元気な姿に戻ろうとあせらなくなった頃からいくらか症状も軽くなってきた。・・・すべての不幸は、己もその一部に過ぎない有情なる自然を制御可能と思い上がることから始まるようだ」

と、この本によれば、彼は何かに書いているらしい。



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「死体の経済学」を読む

2009年04月02日 | 読書2
窪田順生著「死体の経済学」小学館101新書、2009年2月、小学館発行を読んだ。

なんとも刺激的な題名だ。しかし、「死体」とあっても、献体、臓器移植とは関係なく、葬儀業界の話であり、「経済学」とあっても、葬儀などの価格の実態が暴露されているに過ぎない。

背表紙には以下が。

人生最後にして最大のセレモニーである葬儀。平均231万円という大金を払いながら、人は葬儀費用の内実を知らない。
タダ同然のドライアイスで1日1万円、
つかいまわしの祭壇で100万円取られるのはなぜ?
ベールに包まれた葬儀業界のカラクリをついに明かす!
さらに、死をめぐるビジネスは葬儀社だけではない。
映画で話題の納棺師からチェーン展開の遺品整理屋まで、
最前線を行く「おくりびと」たちを徹底ルポする。


しかし、本文を読むと、「ドライアイスで1日1万円」「祭壇で100万円」は新規参入がいなかった過去の話のよう。この本、誇大表現が多く、いかにも元週刊誌記者などと私の偏見を増長させてくれる。

目次は以下だ。

序章  葬儀費用が払えずに親を山に捨てる日
第1章 「ドライアイス」からわかる葬儀ビジネスのカラクリ
第2章 エンバーミングは葬儀業界の「救世主」になれるか
第3章 四川大地震で活躍した遺体防腐スプレー
第4章 「納棺」と「死化粧」のパイオニア
第5章 “死臭”消臭剤開発プロジェクト
第6章 「死者の引っ越し」というサービス業
第7章 棺業界を席巻する「中国製品」と「エコブーム」
第8章 年間100万人超の火葬場は海へ地下へ

「葬儀屋は月に1体死体がでれば食っていける。月に2体でれば貯金ができる。月に3体死体がでれば家族揃って海外旅行ができる」と言われ、そのぼろ儲けぶりが暴露される。しかし、新規参入業者によってこの構造は崩れつつある。

葬儀ビジネスの収益の柱が「祭壇」などに代表されるセレモニーから、「遺体に触れるサービス」に移行しつつある。その内容は、遺体を自然な状態にする薬剤注入によるエンバーミングや、納棺師の仕事だ。また、孤独死した腐乱死体の処理、遺品整理などのビジネスも盛んになりつつある。
さらに、火葬場不足も切実で、海上の船や地下に建設しようとする動きもある。



窪田順生は、1974年生まれ。大学在学中から、テレビ番組制作会社の契約スタッフとして情報番組の制作に携わった後、「フライデー」にて取材記者として3年間活動。全国紙記者、実話誌編集長等を経て、現在はノンフィクションライターとして活躍する傍ら、企業の危機管理コンサルタントも務めている。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

葬儀費用や、お布施に値段は、もともとコストから計算できるものではないので、前半の棺桶のコストがいくらだから、利益率はいくらなどの記述は意味がない。
また、葬儀業界の新技術開発や新しいビジネスモデルには多少、興味が持てるが、掘りが浅く、インタビューした相手の話しを鵜呑みにして、そのまま記述しているように思える。




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