片岡義男『短編を七つ、書いた順』(2014年5月6日幻戯書房発行)読んだ。
作家生活40周年の書き下ろし7編。
「せっかくですもの」
30歳の一人娘・宮崎恵理子はパセリを買って最寄り駅のドトールに入る。そこに父・慎之助が偶然入ってくる。父はカプチーノを飲みながら言う。「パセリと言ったって、外国では通じないんだよ。パースリーと言うんだ」
自宅へ戻った恵理子は男友達の倉本香織に電話してスペイン料理店で会う。一人暮らしへの荷物の整理をしている恵理子は「残していく物の選別は生前整理だし、持っていく物は形見よ」と語る。二人で新居を見て帰ってきて、駅の改札でまた父と会う。恵理子はバーに入り、バーテンダーと話を交わす。
「私?」
「そうです」
「真人間になるのよ」
・・・
「だったら、その髪のほうがいいですよ。横顔が見えていたほうが」
バーテンダーはカウンターの内側の縁に両手を置いた。そして真面目に静かに、
「せっかくだもの」
と言った
。
「固茹で卵と短編小説」
35歳独身の二人は、ゴールドコーストで料理人になった友人の杉本レイアを懐かしみ、やがて書きたい小説の話に変わっていく。
「花柄を脱がす」
高村初音は洋品店で花柄のシャツを買う。友人で写真家の河原直樹と喫茶店で待合せてホンデュラスのコーヒーを受け取る。河原は脱いだシャツに残る女の体の痕跡を写真に撮りたいという。
「なぜ抱いてくれなかったの」
53歳、独身、作家の三輪紀彦は、親戚の歌謡曲の歌手、65歳の木原と喫茶店にいる。大ヒットしたデュット相手の70歳の水森あみんが一人で歌っているCDを木原に送ってきて、先に死んだら葬式でCDに合わせて木原がデュエットして欲しいと書いてきたという。
木原は三輪を喫茶店へ連れていく。そこには三輪の高校の同級生・中条美砂子の店だった。卒業後一度だけ2人はデートをし、その後、彼女は女剣劇の世界に入った。
「なに、それ」
「まんま」
「まんまとは、まさに三十四年分、ということさ」
夜、三輪の自宅に掛かってきた電話で、彼女言った言葉を題名にしている。彼は返答のセリフを思いつき、笑顔になる。(答えは書いてないが、気障な私は「34年待つためさ」と答えたい。)
「エリザベス・リードを追憶する」
花村と芹沢は、バー「すみれ」、スナック「たんぽぽ」、飲み屋「れんげ草」と並んだ店を見つける。芹沢が「すみれ」に入り、花村は「れんげ草」に入り、一時間後に「たんぽぽ」で会うことにする。
題名はオールマンブラザーズバンドの曲名(私だったら、石原裕次郎か、岡晴夫だが)。
「ある編集部からの手紙」
加納は菊地の紹介で会員制の店に入り、ホステスの北原カレンに会う。彼女は歌手デビューを狙っていた。13年後の彼女は・・・。
「グラッパをかなりかけます」
諏訪優子は喫茶店で手帳に書き込んだメモをもとに、坂の上の集合住宅(帰国子女(?)の著者はマンションとは書かない)へ帰ってから短編小説を書き始める。
題名は、「グラッパをかなりかけます」で、
その中で、こんな文がある。時計をもらって
(片岡さんは、シャレた洋服や小物の話をちりばめ、おしゃれな演出をする)
この本の続編とも言うべき7編の短編集『ミッキーは谷中で六時三十分』を5月20日に講談社から出している。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
さらりとした、いかにもシャレた小説だ。身につけるものも、会話もシャレていて、まるで外国の話のようだ。些細な事物を詳細に説明し、人の外見は詳しく説明するのに、その心理には立ち入らず、会話のみで人物の雰囲気を浮き上がらせる。会話の内容は、具体的詳細から抽象的表現に変わっていく。
読者である私も、けして面白くないわけではないが、熱中もしない。
片岡義男
1940年東京生まれ。祖父がハワイ移民で、父は日系二世で、片岡義男も少年期をハワイで過ごし、教育を受けた。テディ片岡名義で英会話の本などを書いている。
早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳をはじめる。
1974年に「白い波の荒野へ」で小説家デビュー。
1975年「スローなブギにしてくれ」で野性時代新人文学賞受賞。
著作は小説、評論、エッセイ、翻訳など幅広く、写真家としても活躍している