かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「国家の品格」批判

2006-04-04 22:48:42 | 本と雑誌

「国家の品格」誕生

数学者の藤原正彦氏が書いた「国家の品格」が100万部を超えて大ベストセラーになり話題になっている。最近のライブドア事件などが象徴する拝金主義や何事も勝者と敗者に分ける風潮、礼儀を知らない人達を嘆く著者の気持ちは良く分かるが、それが「国家の品格」という言葉で語るべき事か私は疑問に思う。

先日NHKがこの本を例に挙げて出版社がベストセラー書を生み出す“メイキング”プロセスを紹介する番組を見た。皮肉なことにこのプロセスはある意味著者が非難している(儲ける為には何でもする)システムをフルに活用して誕生した作品のように私には思える。

マーケティングの産物

放送によるとベストセラーになったのは、編集者が世の中の動きを見て何を望んでいるか読み取り、著者の講演等の内容が読者が求めている物と一致していると判断、既存の講演集などをうまく活用し企画してから短期間で出版に漕ぎ着けたことが功を奏したらしい。題名を何にするのかも重要な役割を果たした。

最近下火になった元男性誌の編集スタッフが企画し、雑誌編集の乗りと手法で世の中の流れを敏感に反映した本を短期間に出すノウハウを持った人達が作り上げた。新書版で無ければこれほど短期間に出版できなかったという。

経済至上主義の批判と武士道精神

肝心の中身だが、バブル崩壊後導入されたアメリカ流の経済至上主義や市場原理主義が非情な格差社会を生み、社会全体に拝金主義や「勝ち馬に乗れ」といった風潮を蔓延させたと著者は主張する。勝者でも敗者でもない普通の人々が大半を占めないと世の中は安定しない、アングロサクソンの「論理と合理」を許し続けたら世界全体がめちゃくちゃになる。

そうならないためには経済的豊かさを犠牲にしてでも「武士道」精神を復活させ「品格ある国家」を目指すべきだ。武士道の中核をなすのが弱者への思いやり・共感を持つ「惻隠の情」であり、この日本人の深い知恵を世界に向かって発信すべきだという。

武士道精神の光と影

出版社のマーケティング戦略から生まれた題名だとしても、著者のいう武士道精神に基づいた「国家の品格」には強い違和感がある。私の理解では「武士道」は武士が特権階級だった時代に君主に対しいかに責任を果たすかというその一点で作られた規律である。

鎖国して海外との連絡を断ち農民を農地に縛り付け何事も知らしめなかった江戸時代が背景で、武士道は支配階級の官僚を維持していく規律と見ることが出来る。大半を占める被支配階級の農民がいかに困窮したか影の部分があって武士道の精神は成立した、生まれた時から二重基準なのである。光の部分だけに焦点を当て「武士道」復活を主張するのは粗雑すぎる。

品格は自ら問うことか、世界は?

私にとって国の品格といえば外から見て特定の国を品定めする時にのみ意味のある言葉だ。世界市民は日本が時々の都合を越えて世界の進歩に貢献するかを注目する。世界の進歩とは平和・自由と民主主義・科学と経済・環境・健康等人類にとって良き事を前進させることである。

海外の国は著者ほど日本を品格の無い国とは見ていないように思える。中韓はそう思っていないかもしれないしメディアの扱いも地味だったが、最近の英国のある調査で世界の人々は日本は世界に最も貢献している国にランクした。直接品格を問うた調査ではないが、結果は日本は国家として品格が劣る国ではないことに通じるように私には思えるのだが。

二重基準の無い一貫性

国内でも一貫性を持って実行しないと品格があるとはいえない。内と外でのその公平性と一貫性こそが品格を測る目安であると私は考える。それは誰も法の下で平等であり安全に暮らせる法治国家で、汚職や談合が無く効率の良い政治が行われ、電車が時刻通り走り請求書が誤り無く来る信頼感がある、個人の能力が発揮でき進歩に貢献できる機会均等の社会である。

確かに官僚達の後を絶たない天下りや談合の横行、金さえあれば何でも出来るという最近の拝金主義は目に余る、これらの行いは品格が無いという著者の憂いに全く同感である。何とかしなければならないと思うが、これらは個人の品格だ。「国家の品格」をいうなら軽々しく武士道などという独りよがりをやめもっと世界に目を向けるべきだ。■

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする