15日の書き込みの補足として、その後「エコノミスト」などの雑誌で取り上げられ「格差社会」に関する種々のデータや意見を見つけたので整理し、再度私の仮説を確認したい。
1. 足立区の例
テレビ等で何度も引用されている象徴的な格差の実態だが、足立区の特殊事情もありそうだ。このまま一般論を展開するのには無理があると考える。
1) 足立区の就学援助認定者数が4年間で4割近く増加、04年度にその数が児童生徒の42.54%に達した。
2) 足立区の家賃の安い都営住宅の多さ(3.3万戸23区の19%)が低所得層を呼び込み、就学援助児童を急増させた。この10年リストラや倒産で使える援助制度をどんどん使おうという人が増え、低所得者層が家賃の安い足立区に集中し、公的な援助を貪欲に利用し始めた。
3) 中小零細企業が多い足立区が日本の産業構造の変化についていけなかった。
4) 足立区は東京都で自殺者が最も多く2日に1人が死んでいる。
2. 新しい形の企業の社会的責任への対応
成長主義に起因する新しい公害、人間関係・自然との共生・地域に根ざす文化の破壊を企業は外部化し、その社会的コストを公に押し付けている。
1) グローバリゼーションは消費者の立場としてのメリットが、生産者・労働者・地域のメリットと一致しなくなった。
2) 雇用の30%近く、1500万人が非正規職員で企業は年金等の社会的コストから逃れている。ハローワークは人材派遣業に人を回す下請けになった。
3) 日本における公害等の自動車の社会的費用はGDPの4~12.3%、20-60兆円に達する。この費用の大部分は、自動車を利用する人よりもしない人が負担している。
4) 工業化時代と異なり、消費者の消費に伴う「新しい公害」は、日々の利便性を消費者自身が追及する結果として生じた。
3.格差と経済倫理だけでは語れない
格差や品格が議論されるのは日本が長期景気低迷を抜け出したからで、先ずは景気低迷を抜け出した小泉改革の「功」を評価したうえで議論すべき問題だ。
1) 国民は「お金を使わないで日本経済を助けてくれ」といって小泉内閣を選び「痛みを伴う改革」を支持したはずだ。
2) 所得格差と資産格差は分けて考えよ。所得格差は本人の能力・努力の成果であり弱者を救う必要が無いが、資産格差には厳しいという日本人の勤勉な美徳(本音)はまだ残っている。
3) 1月の月例経済報告では資産格差は縮小傾向にある。96年春米国の「雇用なき景気回復」は景気回復に雇用が遅行するしごく当然の結果で、人々は半年で忘れてしまった例もある。
4.数値と実感のズレ、格差傾向は90年代から
現在指摘されている格差は小渕政権の頃出てきた「悪平等論」の延長線上にあるもので、それを全て小泉構造改革の責任にするのは筋違いである。しかし、これからの格差拡大の原因になる可能性は十分ある。
1) 所得格差の大きい高齢者の数が増えれば、社会全体の格差は広がる。定年後も働き続ける人と年金生活者の間のバラツキが出るためと見られる。貯えや定年後の職の有無は人々のそれまでの努力を反映するもので無理やり是正すると日本は貧しくつまらない国になる。
2) 90年代の所得分配が不公平になった最大の理由は、正社員とフリーターの所得格差が大きかったことだ。フリーター化傾向は歯止めがかかったが、派遣社員は依然増え続けている。
3) よく引き合いに出されるジニ係数を見ると、格差が拡大したのは90年代後半からで、最近は拡大していない(国民生活基礎調査及び家計調査ベース)。年齢別に見るとやはり若年世代で格差拡大、高齢者の間では縮小傾向にある。
4) OECD報告によると日本の相対的貧困率は15.3%で米国・アイルランドに続き3番目だった。国民生活基礎調査では90年代後半に相対的貧困率が上昇傾向になり、特に若年層で高まっている。
以上のことから私は若者の不安定雇用こそ克服すべき格差の本質で支援が必要な部分であるという考えに変わりは無い。貧しくつまらない国になるという説もあるが、総論として老人世代の資産をいかに次世代に移転していくかの施策が重要であると考える。格差の固定化についての議論は経済以外の要因があり別の機会にしたい。■