かぶれの世界(新)

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羽田空港の国際線復活に思う

2010-10-24 16:50:40 | ニュース

めて海外に行ったのは78年にアナハイムで開催された日米コンピューター会議に参加した時で、羽田から成田に国際線が移行した直後だったと記憶している。羽田から国際線に乗った記憶は無い。開港直後でまだ反対闘争の最中、箱崎のシティターミナルから乗ったリムジンが厳戒中の空港に到着した時の緊張感がまだ記憶の片隅にある。

当時は何故成田なのかという立地上の疑問より、何故反対を押し切って強行したのかという疑問の方が大きかった。今振り返ると、成田空港は日本経済の驚異的な成長が生み出した「冨と歪」の両方を地方や弱者に分配していく、日本の政治プロセスの典型的な例だった気がする。それも国策だったと言えなくもないが。

このプロセスはそれ以降ずっと続いてきた。成田開港後日本が「史上最も華やかだった10年間」と、その後のバブル崩壊に続く「失われた20年」の間も基本は変わらなかった。羽田国際線復活のニュースを聞いて、むしろ成田開港後のこの30年を日本衰退の歩みという風に感じる。当時のお邪魔虫はいまや千葉県の権益となった。伊丹空港の議論を見ても、歴史の皮肉というべきか。

日本を強くする為の産業や教育・インフラ等の投資が、この頃から末端に向かい始めた。経済発展の一過程と言いきれない。当時、新幹線のような効率的で優れた交通システムは世界に存在せず、日本一人勝ちの競争力を象徴する存在だった。働きすぎとか、受験戦争とか、振り返ると傲慢な余裕だった気がする。その後の展開を見ると、世界との競争はそれ程甘くなかった。

方は当然のように、新幹線・高速道路・空港から公共設備まで全て欲しがった。四国の実家の前を高速道路が走る、40年前に当時としては夢のような話を父がしていたのを思い出す。たとえは悪いが、背骨よりネイルアートに熱心になった。日本が背骨や動脈の強化より末端に投資が向かった間、世界は新幹線や港湾など効率的なシステムを作り日本を追い越した。

この間地方への利益誘導に熱心だった自民党の責任大だが、野党とメディアや民意が後押ししたのも事実である。一時期無敵と思われた製造業に代表される日本の競争力がこれ程弱体化するとは当時予想しなかった。今だにそれ程深刻に捉えていない人がかなりいると感じる。

政権交代後、小鳩体制は投資対象をハコモノから弱者救済に移行したが、益々日本の動脈硬化が進み弱体化すると悲観的(というか、むしろ絶望的)だった。空港・港湾行政や新幹線・高速道路計画の重点見直しが聞こえてきても、小沢氏が実権を握っている限り具体的な箇所付けの段階で骨抜きになるだろうと期待しなかった。

だが、菅内閣になってどうも本気らしいという希望が湧いてきた。羽田空港の第4滑走路は自民党時代からの方針だが、羽田・成田の位置付け等具体的な運用計画は、菅政権の背骨重視の基本政策線上にあると感じる。詳細は官僚のアイデアかもしれないが、出所は善悪の判断とは別だ。

レッ、菅内閣はやる気だぞ、というのが私の印象だ。JR東海のリニア新幹線の直線ルートの実質決定も同じ線上にある。自民党政権下では線路は真っ直ぐ走らない可能性が高いし、鳩山内閣でも土壇場で長野県の票が線路を曲げるかもしれないと疑っていた。菅体制の政策決定プロセスの良いところはこのような線路を曲げる要素が少ないことだ。

どうも菅内閣は今の日本の現実を直視して対処しようという腹積もりじゃないだろうか。選挙狙いだけとは感じられない。従来は、首相がそうでも周りの環境はそうでもなかった。財政赤字の取り組み、社会保障と税体系の一体議論・法人税低減など、我国にとって最大の問題を先送りしない姿勢は好ましいと、私は感じ始めている。

新聞テレビは例によって散々ケチをつけるけど、それほど悪くないぞと思い始めた。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃ無ければ、「あばたも笑窪」になるのは極端だが、もっと主張に耳を傾けるべきだ。尖閣列島を巡る中国外交は拙劣と批判が多いが、両国が受けたダメージを総合するとどっこいどっこいだ。プラスでないのが残念だが、「負け比べ」とみれば良い勝負ではなかろうか。

菅首相は何も言わないというが、胡錦濤だってそうだ。最終責任者が決定的な事を言わない曖昧戦略は、二代続いた軽い発言連発首相より余程マシだ。羽田空港国際化からここまで話が発展したが、先行き困難が待ち受けていても今までの酷さから見ればグッドニューズで、この方針を評価し更なる改善に向けて後押しすべきと思う。■

コメント
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