かぶれの世界(新)

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私的・ホワイトアウト

2013-03-06 18:28:43 | 旅行記

 先日の大吹雪で北海道に多くの犠牲者が出たと痛ましいニュースが報じられた。犠牲者の多くが親子だったのも心が痛い。北海道の人達は雪には慣れているはずなのに何故と思ったが、強い風で降雪が巻き上げられ視界ゼロになるという現象は彼等にとっても経験のないことらしい。

 犠牲者が発見された場所が自宅とか人家からそれほど離れていなかったそうだ。山岳遭難が山小屋のすぐ近くで起こった例が何度もあるのを思い出した。今回、北海道では公道上で山の上と同じことが起こった。もう少しで我が家と分かれば頑張れたかもしれないと思った。

 最近の山岳遭難の場合携帯電話で救助を求めるケースをよく耳にする。だが、私が見たニュースでは携帯電話を使ったか触れてない、こんな時にこそ使うべきだと思うのだが。何故なのか、携帯を使わなかったのか、使えなかったのか不明なのも気になる。

 その次に思い出したのは、80年代末から90年代に頻繁に出張したボストンで経験した大雪だ。日本ほどの豪雪では無くともローガン空港が雪で閉鎖される事はよくあった。無事到着してもレンタカーで郊外の目的地に着くのが大変だった。彼の地は雪はそれほど深く無いが、気温が下がり零下20℃も珍しくないので注意するよう助言を受けていた。

 東海岸のボストンには80年代はアンカレッジ経由、その後航続距離が伸びても直行便がなく西海岸かシカゴ、ニューアーク経由で行き夕方を過ぎてやっと着いた。雪が積もると州政府と地元業者の契約があって主要道路に凍結防止の塩が撒かれたので普通のタイヤで運転できた。

 だが、郊外に向かうと人家がなくなり高速を降りると、元々センターラインも路肩はっきりしない森の中の街路灯が殆どない暗い道を走らないとホテルに着かなかった。旅慣れしていた同僚から、当時は珍しかった車載電話のついた日本車を借りろと助言を受けていた。

 万が一郊外で車がエンストとか事故を起こすと、朝まで交通がなく車中で野垂れ死にする確率がゼロではないからという。当時アメ車は直ぐ故障する定評があった。だが、電話付の日本車のレンタカーなど先ずなかった。当時本当に心細かったのをニュース映像を見て思い出した。

 もう一つ思い出したのは、ワシントン州のレニア山麓で初秋にハイキングに出かけた時のことだ。レニア山の西側にあるコースでカーボン川沿いを上りIpsut Creek(発音不明)から歩き始めた。観光客が来るところではなく、寂れた感じのレンジャーステーションの小屋辺りにハイカーがチラホラいた記憶がある。

 暫く歩くと途中から予定外に猛烈な雪が降り始めた。瞬く間に道が真っ白になり木陰に入って様子を見た。だが、雪は降り止まず気がつくと途中で出会った下山中のパーティの足跡が消えていた。その日は秋の気楽なハイキングの積りで、万が一の露営の為の寝袋しかなく万全の用意をしてなかったのが結果的に良かった。

 この天候では無理と比較的早く判断して下山を開始した。何ともなかった往路が雪で埋まり、片側が絶壁の危険な帰路となった。暗くなり始め急がないと益々危険になる。ヘッドランプも携帯してなかった。こんなところで露営なんか絶対嫌だと必死で歩いているうちに小屋の明りが見えてホッとした。不思議なもので、小屋に近づくとそのあたりは雪が小降りだった。

 翌年の97年7月絶好のハイキング日和の日に、同じルートを歩いた。ガイドブックの3コースを一気に踏破した。天候が良いと何て事はない軟弱な、しかしレニア山麓の雄大な景色が広がる美しいコースだった。当時見たガイドブックを開いてルート確認すると、3人の中年女性パーティと知り合い意気投合したとメモが残っていた。そっちの事はすっかり忘れていた。■

コメント
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