私が留守の間に自宅の外装工事が進んでいる。工事に神経を使い家内が帯状疱疹になっていると、昨日電話で娘が非難めいた口調で教えてくれた。思いやりが無いと。外装工事は家族、特に家内の為で壁の色は彼女が決めたし、契約には立ち合って詳細な事情は分かっているはず、工期が遅れても田舎行きの日程は決まっていたから止むを得なかった、とつい言訳をした。女性軍が連携して攻めてきた感じだ。
工事の初日に足場を組む為に家の前の車をどかす必要がある、どうすべきかと家内が私の携帯に相談の連絡が来た。足場を組む時だけ工務店の駐車場にでも置かせてもらえと助言した。昨日は足場を取り払うので再度車を動かそうとしたら今度はタイヤの空気が抜けていた、困ったと相談された。ガソリンスタンドかオートバックスに連絡したらと言うと、期待した答えでなく彼女は機嫌が悪かった。結局、ディーラーに持ち込み軸が壊れてタイヤごと交換になった。
会社勤めの家内は時間が限られる中、次々に起こる予定外の事態に対応せざるを得ず、神経を使って吹き出物が出来たらしい。私が会社勤めした頃は想定外の事件が起こるのが日常で、それをいかに管理するかが主な仕事だった。我が家のでもそういう分担だったかもしれない。「大した問題ではないじゃないか」、そうは言わなかった。私が単身赴任中は受験を控えた子供3人を抱えて万事彼女が対処した。最近はそういう大変な事もなくなったので、心の準備が出来てなかったのかもしれない。
私は元々ストレスに強かったとは思わないが、会社勤めの中で厳しい経験をして鍛えられた。後天的なものだ。追い詰められた時、血圧が上がり不整脈になったこともある。苦しい経験を乗り越えるたびに強くなった。弱い姿を見せず売られた喧嘩は買い、挑戦され侮られると後には引かなかった。同時に厳しい時こそリラックスしてストレスに耐える技も上司から教わった。そんな私の変化を家族は知らなかったと思う。だからそんな経験もない家内が、突然想定外の事態が起きて判断を迫られたら精神的に大変だった事は理解できた。
私の子供の中で最もズケズケ言ってくれるのが娘で、彼女が言うと子供の頃の可愛い顔が浮かんで何でも許すみたいなところがある。だが今回、承知していても娘に指摘されて少しカチンと来た。何で好んで田舎に来て一人暮ししているのか分かっているのか。誰の助けもなく母の介護の為に田舎に戻り、雑草が茂り小便まみれだった実家を手入れし、山林田畑が荒れて近所の迷惑にならないようにし、先祖から続いてきた馬鹿でかい実家と庭やお墓を子供達に受け継ぐ為だ。
東京にいる時はいる時で家族の絆(この言葉は嫌いだ)を守る機会を作る為に心を砕いてきた。今回だって、家内の誕生祝の食事会のアレンジを娘に頼んだ返事がこれだ。複雑な気分になって当然だといいたい。とはいっても子供達には夫々の人生があり、それが彼等にとって最も重要な事だと分かっている。私も田舎で苦労してるばかりではない、一人で快適に過ごせるよう楽しみも見つけた。田舎で一人苦労していると言うのはみっともない。でも、言ってみたかった。■