かぶれの世界(新)

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吝嗇の系譜(新)

2013-03-02 16:02:00 | 日記・エッセイ・コラム

1年前に私自身がケチだと宣言する記事を投稿した。その時、褒め言葉の積りで私の妹は1ランク上の倹約家だと投稿した。(http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20120307 )だが、1週間前に食事した義弟によると、彼の細君(私の妹)は私が身なりを構わずよれよれの格好でいる、ケチもここまで来るとみっともないと言っているらしい。普段辛らつな彼女らしい口振だ。

 折角、筋金入りの倹約家だと褒めたのに妹は私をそんな風に見ていたのかと思った。だが、指摘はその通りであり否定はしない。私も妹も同じ血が流れているが方向が違うみたいだ。ケチなのは間違いないが、何でもケチる訳ではない。当たり前だが必要な物には使う。必要な時にお金がないのは、本人がみっともないだけでは済まない、家族が不幸になると私は思う。

 その為に普段は徹底的に倹約している。いざというとき何に使うかその人にとって何が重要かの価値判断により変わる。家庭環境とかその後の経験ではぐくまれた価値観によると思う。会社勤め時代にもあらゆる無駄取りを徹底されたし、冠婚葬祭が過剰にならないよう躾けられた。お金の使い方である程度どういう人か分かる。前回、欧米の著名な政治家や投資家の子供のしつけを紹介した。人によってはみみっちいと思うかもしれないものが沢山あった。

 それなら私はお金をどう使っているか。団塊世代の消費が内需を刺激してデフレ脱却に貢献する期待がある。私はその期待には応えてないようだ。1ヶ月のお小遣いは2万円だが、数千円も使わない。100円ショップで買い物をし、趣味の読書は図書館で借りるか古本屋で購入、音楽や映画はテレビやネットで見る、衣類は子供のお下がり(我が家ではオアガリという)で済ませる。

 多分、1年前と比べても私の「ケチ道」は更に磨きがかかったと思う。美味しい物を食べなくても、良い服を着なくても、良い家に住まなくても、全く平気だ。趣味のバドミントンは20年以上前に買ったラケットを使い続け、靴は初心者が履くような物と仲間に揶揄される。しかし言葉に嫌味は感じないし、まあ愛されていると思う。仲間が嫌がるようでは困るが、そうでなければ私は満足だ。

 私はそういう風に育ててくれた親や会社に感謝したい。上述のように倹約して溜めたお金は使わない訳ではない。どうしてもやりたいことを除けば殆ど家族の為に使っている。定期的に集まって外食し、国内外へ旅行に行く。実際のところ施設に入っている母と実家の家計を併せると高所得層と同じ程度の家計になってしまう。こういうときに限って自宅の外装工事が必要になった。まさにやりくりで「必要に迫られたケチ」でもある。

 トータルすると月々自分のお小遣いを溜めるくらいでは足りないが、年金や預金を取り崩して賄っている。こんな時昨年末からのアベノミクス効果による予定外の恩恵は正直助かった。お金の出入りを詳細に辿って行けば、どういう人間か外見だけでは見えないその人の側面が分かる。それを意図して見せる必要ないが、子供達に引き継いで欲しい遺伝子と私は思う。筋金入りのケチ、実はメリハリの利いた「計画的なケチ」になって欲しい。出来れば「愛されるケチ」に。■

コメント
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