かぶれの世界(新)

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400年ぶりの邂逅

2014-04-10 23:51:11 | 日記・エッセイ・コラム

 このブログには私的な個人名を出さない方針でやってきた。だが、退職後10年以上たち同年代のおつきあいした人達も引退されたはずで、もうそろそろ言っても良いだろうという気持ちになってきた。印象に残った出会いについて折に触れて紹介させていただく。

 実家は戦前まで田舎の地主だったが、残された文書によると関原合戦まで先祖はサムライだった。家康の命を受けて山内一豊が土佐入りした時、それまで長宗我部氏に仕えた家臣は一級下の屈辱の扱いを受け下士として山内家に仕えた。ご承知のようにその子孫は坂本龍馬など明治維新に貢献した。

 一方で山内家に反発した者は殺されるか他国に逃れた。私の先祖は伊予の国大洲に逃れ初めは山間部に住み徐々に平地に出て成功し地主になった。戦後の農地解放で我が家は普通の兼業農家になったが、一族の中には明治維新後日本経済の発展に貢献した名家もある。

長々と能書きを垂れたのは、退職の数年前にあるメーカーの事業責任者が新製品の売り込みに来られ、交渉の席上で山内家の直系だと紹介され驚いたことがあるからだ。大河ドラマで何度も出てくるあの山内かと驚いただけではない。我が家に伝わる歴史から判断して400年ぶりの邂逅と勝手に感慨にふけった。

 山内の殿様と落ち武者に直接の接点などあり得ないが、多分その頃に私の先祖と最も近づいた瞬間があったはずだと思った。打ち合わせの後接待を受けた。400年前に命からがら逃げた落ち武者の子孫が、追い出した殿様の子孫に接待を受けたのだ。凄くないですか!

当然ながらそんな手前勝手な感慨を伝える程私は馬鹿ではなかった。戦国時代から江戸時代にかけ山内家と戦った敵対者はごまんといるはず、一々話を聞いてられないだろう。落ち武者の子孫の私には感慨にふけったのは許して頂きたい。ボケて忘れないうちに子供にも伝えようと思う。人生何があるか分からないと。実はその後二三度彼に会ったが商談は不成立だった。■

コメント
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