パナソニックが3期ぶりに黒字転換して最終損益が1204億円の黒字と報じられた。津山社長が12年に就任以来2期連続の大幅赤字(1.5兆円)から短期間に劇的な復活を遂げた。余りに劇的過ぎて業界の一部から「ホンマカイナ」という声が聞こえてくる。半信半疑の声を代弁したのが先週日本経済新聞が連載した特集「パナソニック復活は本物か」で、個人的にも大変興味ある調査報道だった。
記事を読んで私が早期退職した頃の状況を生々しく思い出したのが興味を持った理由だ。パナソニックはITバブル時代に一度大きな改革がなされた。当時松下電器の中村社長が剛腕を発揮して改革を行い、出遅れたと言われたデジタル家電を中心に立て直しが進んだ。バブルが弾けて私が働くハイテック業界は軒並み苦境に陥っていた。業界は2000年問題特需の直後の需要急減で方向感を失っていた。その中でパナソニックの復活は際立っていたように記憶している。
一方、その頃取引のあったパナソニックの幹部社員の反応はいささか引き気味だった記憶がある。彼らが「大名リストラ」と揶揄した豊富な手元資金を使った首切りを断行したという印象が残っている。実はそれ以上のコストを払っていたのだが。中村社長は創始者松下幸之助が始めた事業部制を中央集権化し、長年続いた特有な代理店制システムを整理するなど大胆な構造改革を断行し経営を立て直した。
ところがリーマンショックがパラダイム変化を加速して日本の電機業界を痛撃し、パナソニックは又しても危機に陥った。津山社長の下で断行されたのはプラズマテレビ事業から撤退し半導体工場を売却、事業部制を復活し夫々に責任を持たせる分権体制に戻した。これを聞いて、ありゃー、中村改革は何だったのか、というのが私の最初の率直な疑問だ。誰のアイデアだろうか。
私達団塊世代は「逃げ切った世代」とは揶揄される。背景には少子高齢化と失われた20年という現実があり、団塊世代に続く世代の微妙な感情がある。加えて、実は私は逃げ切った世代どころか「逃亡者」と呼ばれても反論できない個人的な訳がある。ITバブル破裂前ハイテック業界は実際に血の流れるリストラに追い込まれ、私も加担せざるを得ない立場になった。その時、私の残りの会社人生はリストラを続けることになると予想した。その後の展開は予想通りだった。
直後に早期退職したのは私の健康問題と母の介護だが、それ以降10年はハイテック業界丸ごと競争力を失いかつて繁栄をもたらした事業から撤退・切り売りする構造改革を強いられた。結果的に、泥沼が見えていたのに逃げ出したと私は感じていた。逃亡者という負い目を持った傍観者の視点でパナソニックの復活を見ると、私は日本経済新聞の疑いに共感するものがある。
あの大松下が住宅や自動車ビジネスで先々10兆円企業としてやっていけるのか。家電に代わる看板事業がない。数年前までパナソニックを代表するコアビジネスだった先端技術と優秀な人材が中韓台等に大量に流出させることにならないか、だとすればそれは正しい判断だったのか。そこで例によって私の大胆な推測では、中村時代も津山時代の改革もコンサルティング会社が大きな役割を果たしたはずだ。経験ではコンサルタントは現在の問題を見つけ適切な処方箋を書けても、長期的な技術や市場の変化を予測できる力はない。
結果論的には中村改革(その他の会社も同じだが)はリーマンショック後のディジタル化技術と新興国市場がもたらした変化に対する備えがなかった。では、津山改革はどうかというのが日経の特集のテーマだったが、記事を読んで益々不透明感が残った。逃亡者の私から見ると、津山改革は分かり切った膿を除いただけで、新しい柱として何を育て強くしていくか今一つ不透明だ。残った人材が新しい目標を信じて熱意を持って取り組めるか、それが心配だ。このままで新生パナソニックは堅実経営しそこそこの利益を出すが、今後大きく成長していく潜在力がないと私は予測する。M&Aで外部の血を入れて活性化する可能性は現時点では低い。付け焼刃では出来ない。■