大國魂神社の参道から東に折れて東京競馬場前駅に向かった。昼食後のいつもの散歩コースだ。前方に緑色のゴミ収集車が停車しており、路地道からゴミ袋を抱えた制服姿の作業員が出てきた。最近気になっていることがあり彼を呼び止めて聞いてみた。
近所の路地道でゴミ袋の中の残飯が食い散らかされているのを最近何度か見かけた。市から配布されたネットをかけていたのに効果ないのか気になっていた。彼はゴミ袋を収集車に放り込みながら、「それはカラスか猫のせい。ネットは気休め程度の効果しかない。」と教えてくれた。初めて聞く話に大袈裟に驚いた様子をして礼を言った。
最近、疑問に思うと誰彼かまわず「なんで」と聞くようになった。他人が見るとなんて馴れ馴れしいジーサンと思うかもしれない。だが、遠慮して聞かないで悩むより、恥ずかしくても聞いた方が良いという心境になった。そうしないと疑問に思ったこと自体を忘れそうだ。人生長いとは言えない年になって遠慮がなくなった。
声をかけるのは老若男女の誰でも、中でも多いのが幼児連れの若いママだ。孫と同じ年頃の幼児を見るとついつい声をかける。子供の年齢を推測して聞くと先ず100パーセントお母さんは警戒を解いて会話が始まる。その次に「大きいね」か「可愛いね」というと笑顔で「ありがとうございます」という返事が返って来る。
助平な私だからといって別に若いママだけを狙っている訳ではない。たまにパパの場合もある。交差点で歩みの遅い老人を見かけると無事わたりきれるか気になるし、開き戸で後に続く人が老人だと少しゆっくり通り抜けるようにしている。意外に難しいのは小学生くらいの子で、多分知らない人に声をかけられても返事されないよう徹底して教育されているのだろう。
何時頃からこんなに馴れ馴れしい男になったの思い出してみると、会社勤めを通じて無口な田舎者が徐々に変わって来たように思う。40代半ばに米国で住んだ時から大きく変わった気がする。仕事の上だけでなく現地のサークルに参加し、バックパッキングで色んな人と出会った。そういう時、米国人は私から見ると異常に馴れ馴れしかったが、そのうち私も同じ色に染まったようだ。
単身赴任だったので日本語も英語もない、何しろ話相手が欲しかった。当時は毎月の支払いを電話で済ませていた。支払いの時の電話ですら気分転換になった。ケーブルテレビ加入の勧誘の電話を受けた時とか、当時必要だったフライトのリコンファメーションの時はなんだかんだと粘って長い間話そうとした。馴れ馴れしい会話テクが磨かれたのかもしれない。
西欧の人達が皆そうだという訳ではないとカナダに旅行した時気が付いた。ハイキングですれ違った人達は目を合わせないし「ハイ」といっても返事がなかった。たまに挨拶を交換できたと思うと米国からの旅行者だった。オーストラリアやNZに行った時もカナダに近い反応だった。私は米国式の方が好きだ、決まり文句を覚えれば挨拶は簡単だし、挨拶すると敵意がないことが確かめられ安心できた。
私の馴れ馴れしさは米国暮らしで身に付いたのかと思っていたが、田舎で生まれ育った父も誰にでも声をかける中々調子のいい男だったそうだ。アメリカ仕込みの馴れ馴れしさとは格好いいと自画自賛していたが、父譲りの気質をひいたものだったかもしれない。■