高齢者が意図せず社会の重荷になっていることを指摘する記事を折に触れて投稿してきた。社会保障費用が膨らみ将来世代に巨額のツケを回すことから始め、老人の交通事故で現役世代が被害者になるケースが増えているとか、高齢者の票欲しさに政治が老人におもねるシニア民主主義だとか。
そう指摘する時、私自身は高齢者だがまだ大丈夫と他人事のような気分で書いている時が多い。だが、私も例外ではないことを思い知らされた。日曜日に三鷹へ建築会社と打合せに家族揃って出かけた時、立て続けにアワや事故になりそうな運転ミスを犯した。「自分のことを棚に上げて良く言うよ」的状態になるところだった。
建築会社との打合せが終り家内と息子を載せて自宅に戻る途中食事することにした。甲州街道を通り府中に戻り駅前のデパートの地下に車を停めて、最上階のレストランで食事をした。普段良く行くレストランは駐車場が無いので選択肢は限られていた。買い物や散歩で良く通る道だが、車では通らない道を運転することになった。
食事が終わり仮住いの団地に戻る時、最初のミスを犯した。前方に見える甲州街道の信号に気をとられ、手前の路地道との交差点の赤信号を無視した。助手席の息子が大声を上げたので気付き、交差点の中で急ブレーキを踏みバックで戻った。運よく左右から来る車はなかった。
ホッとして甲州街道を渡り直ぐ左折して、市立公園の横を通る路地道に入った。最近良く通る散歩道だ。対向車線に停車中の車の後ろに隠れた車が見えたので徐行してやり過ごそうとすると、その車の運転手が窓から手を出して私に向かって指を突き出すようにした。最初何のことか理解できなかったが、路肩の標識を見て一方通行を逆走していたことに気付いた。その後何台かの車とすれ違ったが、何とか無事通り抜け出来た。
最後のミスは団地の駐車場に入れようとバックした時のことだ。大きな音がしたが、窓から見る限り何も異常はなかったので構わず車庫入れした。駐車後外に出て調べると、見たこともない薄汚れた三角錐形の金属の塊を前輪の辺りに見つけた。機械式駐車の仕切りの段差に引っかけたようで、前輪の泥除けが壊れて外れたようだ。その周りにプラスティック製の黒い止め金が3個転がっていた。もう元に戻らなかった。
この3つのミスとも事故にはつながらなかったが、この先何年も運転を続けることは無理かもしれないと思った。昨日の朝刊にタイミング良く特集記事「キレる老人」を組んだ週刊東洋経済の広告を見つけ早速入手して読んだ。老人の交通事故の多くは自分は大丈夫だという過信が原因だという。具体的には「安全の不確認」であり、狭視野や反射遅れなど肉体的精神的な衰えによる運転操作の不適が事故を起こしている。
私が犯した3つのミスは上記記事が指摘した高齢者の交通時事故の原因に該当している。こういうことを繰り返しているうち何度目かに本当の事故を起こしてしまいそうだ。家内は遠からず車を処分する積りのようだが、私は四月から車が必須の田舎暮らしが待っている。まだ車なしとはいかない。その時は大袈裟に反省するのだが、暫くすると忘れてしまって同じミスを繰り返しそうな気がする。それも又、老人たるゆえんだ。■
そう指摘する時、私自身は高齢者だがまだ大丈夫と他人事のような気分で書いている時が多い。だが、私も例外ではないことを思い知らされた。日曜日に三鷹へ建築会社と打合せに家族揃って出かけた時、立て続けにアワや事故になりそうな運転ミスを犯した。「自分のことを棚に上げて良く言うよ」的状態になるところだった。
建築会社との打合せが終り家内と息子を載せて自宅に戻る途中食事することにした。甲州街道を通り府中に戻り駅前のデパートの地下に車を停めて、最上階のレストランで食事をした。普段良く行くレストランは駐車場が無いので選択肢は限られていた。買い物や散歩で良く通る道だが、車では通らない道を運転することになった。
食事が終わり仮住いの団地に戻る時、最初のミスを犯した。前方に見える甲州街道の信号に気をとられ、手前の路地道との交差点の赤信号を無視した。助手席の息子が大声を上げたので気付き、交差点の中で急ブレーキを踏みバックで戻った。運よく左右から来る車はなかった。
ホッとして甲州街道を渡り直ぐ左折して、市立公園の横を通る路地道に入った。最近良く通る散歩道だ。対向車線に停車中の車の後ろに隠れた車が見えたので徐行してやり過ごそうとすると、その車の運転手が窓から手を出して私に向かって指を突き出すようにした。最初何のことか理解できなかったが、路肩の標識を見て一方通行を逆走していたことに気付いた。その後何台かの車とすれ違ったが、何とか無事通り抜け出来た。
最後のミスは団地の駐車場に入れようとバックした時のことだ。大きな音がしたが、窓から見る限り何も異常はなかったので構わず車庫入れした。駐車後外に出て調べると、見たこともない薄汚れた三角錐形の金属の塊を前輪の辺りに見つけた。機械式駐車の仕切りの段差に引っかけたようで、前輪の泥除けが壊れて外れたようだ。その周りにプラスティック製の黒い止め金が3個転がっていた。もう元に戻らなかった。
この3つのミスとも事故にはつながらなかったが、この先何年も運転を続けることは無理かもしれないと思った。昨日の朝刊にタイミング良く特集記事「キレる老人」を組んだ週刊東洋経済の広告を見つけ早速入手して読んだ。老人の交通事故の多くは自分は大丈夫だという過信が原因だという。具体的には「安全の不確認」であり、狭視野や反射遅れなど肉体的精神的な衰えによる運転操作の不適が事故を起こしている。
私が犯した3つのミスは上記記事が指摘した高齢者の交通時事故の原因に該当している。こういうことを繰り返しているうち何度目かに本当の事故を起こしてしまいそうだ。家内は遠からず車を処分する積りのようだが、私は四月から車が必須の田舎暮らしが待っている。まだ車なしとはいかない。その時は大袈裟に反省するのだが、暫くすると忘れてしまって同じミスを繰り返しそうな気がする。それも又、老人たるゆえんだ。■