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歴史的訪問の捉え方

2016-05-28 13:01:53 | ニュース
オバマ大統領の広島訪問は間違いなく歴史的訪問だった。この歴史的訪問を日本の報道や評論家とは一味違うグローバル視点で私なりに評価してみたい。

オバマ大統領は7年前に大統領就任した時から広島に来たくてしょうがなかったが、米国世論が支持するかどうか用心深く時期を探っていた。だが、任期残り少なくなって大統領の実績を考え賛否両論ある中でキューバ訪問し、次に広島訪問を決断した。キューバ訪問の方が反対が強かったかも知れない。私にはキューバ・ベトナム・広島が三点セットだったように感じる。

こういう事情を把握していた日本外交は的確な対応をした。広島訪問を懇願するのではなく、あくまでも米国の判断という姿勢を保ち一方で間接的な後押しをした。一貫して謝罪は求めず、その方向に国内世論を導いた。更に昨年安倍首相が米両院議会で日米両国が激しい戦争を戦った後、密接な同盟関係となり友人となったという感動的な演説が米国世論を動かしたと評価する。

広島市民の多くが謝罪を求めるより「核廃絶に動くことが本当の意味での被爆者への謝罪になる」(田中被団協事務局長)という未来志向に変わって来たのも歴史的訪問の後押しになったのは間違いない。私の印象では意識の変化はそう前のことではない、10年前頃からではないかと思う。

逆に言うと60年かかった。身内や友人がむごい死に方をしたら恨みがあって当然のことで、克服するには時間がかかるのはおかしくないと思う。優れたリーダーシップや市民がいて初めて出来たことだ。これが政治的に利用されるとどうなるか分からない。冷戦中の一時期そういう時期があった様に記憶する。ともあれ、恨みを克服して初めて建設的な前向きの動きが出て来るのだと思う。

更に付け加えると、もう少し目線を上げ長い時間軸で考える必要もあると私は思う。米人識者の「広島前、広島後」の出来事を合わせて考えるべきという助言が私には印象に残っている。広島の軍需工場で作られた武器で広島出身の多くの兵隊が米国人と戦ったことを合わせて考えるべきだというもの。その通りだと思う。

一方的な被害者史観では未来志向の関係は生まれない。米国での安倍首相のスピーチは的を射ていた。ただ批判するだけのの様な中韓両国のコメントにも、狭い被害者史観からではなく世界の中で歴史を考えよという教訓をくみ取ることができる。両国が都合よく自国の利益を追求しているとだけ解釈すると関係を誤ると思う。

何れにしてもオバマ大統領の広島訪問はそれだけで価値がある歴史的かつ「象徴的」なものだった。報道の中には有名なオバマ大統領のチェコ演説以来、核廃絶の実効が伴っていないと批判もある。だが、それこそ未来志向に反する。これをきっかけに歴史の歯車を動かすのが残された人達の責務だ。

最後に私事ながら、子供達が小学生の夏休みに家内が広島経由の家族旅行を計画し、平和記念公園内の資料館を見学したことがある。初めてみる被爆地広島の惨状は衝撃的だった。子供達にとっても良い経験だったと思う。今思い返して計画してくれた家内に感謝するばかりだ。実利主義の私は絶対に思いつかなかった。■
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