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リーマンショックを振り返って(回顧録-1)

2018-09-16 21:16:25 | ニュース
15日にリーマンショック10周年になった。私が身近に経験した経済危機は日本のバブル崩壊、アジア危機、ITバブル崩壊、リーマンショックなどだ。なかでも、ITバブル崩壊は私が早期退職するきっかけになり、個人投資家として初体験したリーマンショック後の恐慌は私の人生を大きく変えた。先ずは私的回顧録から始める。

住宅市場の高騰は2006年頃から意識していた。カリフォルニアから始まり、ラスベガス・フロリダ等に波及しているとCNNなどのニュースを伝え聞き、ワシントン州で世話になった不動産屋に聞くとカリフォルニアと違う、ここは全く別の世界だと他人事のような返事が来た。だが、翌年サブプライム危機は全米で問題になった。

だが、それはまだ低収入者向けの住宅ローンの返済が滞っているだけで、全米住宅市場の10%程度の問題だという説明を聞き、それが自分の身に降りかかるとは思わなかった。しかし、現実はサブプライムの問題だけでは済まなかった。2008年3月にベアスターン危機が公的に救済され簡単な問題でないことを認識したが、同時にいざとなれば政府が助けるという安心感があった。

しかし、その後AIG等の巨大金融関連会社が次々と危機に陥り救済のニュースが流れた。その頃の良く聞かされた都市伝説「too big to fail」(大きくて潰せない)は、米政府が9月15日リーマンブラザーズを破綻させ死語になり、金融危機は瞬時に世界に波及しパニックになった。それでも私はまだ希望的・楽観的に事態を受け取っていた。というか、正確には何をしていいか分からなかった。

この後、機能不全となった金融危機が徐々に実体経済に影響を与えるようになり、私が退職後に投資を始めた金融資産の評価額が下がリ始めて、やっと自分のこととして認識するようになった。私は出来事を追いかけ何が起こったか理解しようとするだけ精一杯、先の事態を予測して手を打つことも出来ず、深刻になることを避け出来るだけ楽観的な日常生活を過そうとした。

だが、どうも現場から政府高官まで当事者の誰もが全体像を把握してなかったようだ。何年か経って当時のFRB議長から財務長官、リーマンCEO及び部門責任者、現場のサブプライム販売員までの回顧録を読みその思いを強めた。金融の専門家といえどもただ事態の進行を追いかけるのに懸命だった。ただ彼等は事態が深刻だと理解はしていた。素人の私は根拠なく楽観的、というかどうしていいか分からないから楽観的にならざるを得なかった。(続く)■
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