1週間前に四国愛媛県大洲市に帰郷した。以来ずっとコバエに悩まされている。帰京の前日にやっと梅雨明けが宣言されたばかりで、あちこちに水たまりが残りコバエの繁殖地になっていると推測する。実家の両側に流れる小川はまだ乾いてなく、従って実家の下を流れる伏流の水量が十分あるせいで土間がまだ湿気を含んでいると想像する。昨年の夏は土間はカラカラに乾いていた。
良い事もある。裏山の豊かな保水力のお蔭で山から谷間に吹く風が涼しい。外から来る人達は声を揃えて涼しいという。だが、湿度が酷く高く気温以上に暑苦しく不快だ。帰郷した夜は台所の水周りのカビに圧倒された。その夜は焼酎に持ち帰ったツマミでベッドに倒れ込んだ。2階のベッドは大丈夫だった。
翌日は朝から地元のママさんクラブでバドミントン練習に参加、足がもつれて2度も転倒し皆を心配させた。が、気分転換にはなった。その日は家じゅうの部屋に風を通し、カビ取りと主な部屋の掃除を一気にやった。疲れた体にムチ打ち汗をボタボタ落としながら掃除機を動かした。その後は高温多湿のせいで何もやる気が起こらず、新聞すら読めない日が続いた。
気分転換になったのは月曜日に久し振りに友人に会って食事してからだ。その日に一週間の食料を仕入れ、翌日やっとその日の新聞を読めた。更に昨日は溜った5日分の新聞に目を通しやっと整理できた。だが、草ぼうぼうの庭まで手が回らず取り敢えず除草剤をまいてやった気になった。
落ち着いて集落を見回すと表通りまでの田んぼが消えていた。宅地、ブルーベリー畑、荒れ地に変わった。集落の老人は生き延びたが、稲作を続けるエネルギーは残ってなかった。山間部の田畑はとっくに荒れ地になっていたが、遂に平地でも山の縁(へり)の田んぼにまで荒廃が到達した。一方、国道沿いは以前から商店街とアパートやホテルに毎年浸食されている。
昨日の夕方、新住職の晋山式を欠席する返事を出しにポストのある五郎駅に歩いて行った。和尚にはお盆の後に挨拶に行く積りだ。その途中、長梅雨の間に土砂崩れで潰れた集会所を通り過ぎた。大雨のあと数日経って晴天の日に土砂崩れが起こったという。こういうパターンが多いのだそうだ。
一昨年売却した山林がすぐ近くにあり、万が一そこが土砂崩れになり民家に被害を与えたら大事だったと改めて思い知らされた。その後駅の近くのブティックに行った。西日本豪雨で肱川下流の縫製工場が冠水し商品500着が全滅したが、東京大阪の友好店の支援を得てリブートと称してセールをやっていた。既に売り上げの1割の60万円を復興事業に寄付したそうだ。
今日も朝から晴天、ドピーカン、で「くそ」暑い。昨年から種々工夫して直射日光や熱気が入ってこないように、雨戸を閉め部屋のドアも閉め、隙間を少し残し空気の出入り口を確保する。それ以上は人間や電灯やテレビ等が全て熱源になり、この熱をどう減らすかが課題だ。
実は今迄のところ工夫した程の効果が出てない。だが、外から来た人は家に入ると涼しいと言ってくれる。夕方になって雲が張り出して遠雷が聞こえだした。一雨来て欲しい。■
良い事もある。裏山の豊かな保水力のお蔭で山から谷間に吹く風が涼しい。外から来る人達は声を揃えて涼しいという。だが、湿度が酷く高く気温以上に暑苦しく不快だ。帰郷した夜は台所の水周りのカビに圧倒された。その夜は焼酎に持ち帰ったツマミでベッドに倒れ込んだ。2階のベッドは大丈夫だった。
翌日は朝から地元のママさんクラブでバドミントン練習に参加、足がもつれて2度も転倒し皆を心配させた。が、気分転換にはなった。その日は家じゅうの部屋に風を通し、カビ取りと主な部屋の掃除を一気にやった。疲れた体にムチ打ち汗をボタボタ落としながら掃除機を動かした。その後は高温多湿のせいで何もやる気が起こらず、新聞すら読めない日が続いた。
気分転換になったのは月曜日に久し振りに友人に会って食事してからだ。その日に一週間の食料を仕入れ、翌日やっとその日の新聞を読めた。更に昨日は溜った5日分の新聞に目を通しやっと整理できた。だが、草ぼうぼうの庭まで手が回らず取り敢えず除草剤をまいてやった気になった。
落ち着いて集落を見回すと表通りまでの田んぼが消えていた。宅地、ブルーベリー畑、荒れ地に変わった。集落の老人は生き延びたが、稲作を続けるエネルギーは残ってなかった。山間部の田畑はとっくに荒れ地になっていたが、遂に平地でも山の縁(へり)の田んぼにまで荒廃が到達した。一方、国道沿いは以前から商店街とアパートやホテルに毎年浸食されている。
昨日の夕方、新住職の晋山式を欠席する返事を出しにポストのある五郎駅に歩いて行った。和尚にはお盆の後に挨拶に行く積りだ。その途中、長梅雨の間に土砂崩れで潰れた集会所を通り過ぎた。大雨のあと数日経って晴天の日に土砂崩れが起こったという。こういうパターンが多いのだそうだ。
一昨年売却した山林がすぐ近くにあり、万が一そこが土砂崩れになり民家に被害を与えたら大事だったと改めて思い知らされた。その後駅の近くのブティックに行った。西日本豪雨で肱川下流の縫製工場が冠水し商品500着が全滅したが、東京大阪の友好店の支援を得てリブートと称してセールをやっていた。既に売り上げの1割の60万円を復興事業に寄付したそうだ。
今日も朝から晴天、ドピーカン、で「くそ」暑い。昨年から種々工夫して直射日光や熱気が入ってこないように、雨戸を閉め部屋のドアも閉め、隙間を少し残し空気の出入り口を確保する。それ以上は人間や電灯やテレビ等が全て熱源になり、この熱をどう減らすかが課題だ。
実は今迄のところ工夫した程の効果が出てない。だが、外から来た人は家に入ると涼しいと言ってくれる。夕方になって雲が張り出して遠雷が聞こえだした。一雨来て欲しい。■