かぶれの世界(新)

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チョット気に入らないこと

2011-03-22 23:37:10 | ニュース

福島第一原発への海水放水などの対応策が順調に進捗し始めた途端に、NYタイムズとWポストの主要ニュースを伝えるメールから日本関連のニュースが殆ど消えた。上手く行き始めると無視するのか。少し変じゃないか、気に入らないぞ、と私は感じる。たった1日のことだが。

私の印象では、それまでのNYタイムズの原発関連記事は東電と政府のコミュニケーションの悪さをあげつらうといった、どちらかと言えば重箱の隅をつつくような記事が散見された。そういう側面もあるのだろうけど、「それが1面トップの記事か」と私は感じていた。多分、私は少し感情的だ。

巷間伝えられているように、近年の日本のニュースバリューが低下して日本スタッフを減らしたツケが、記事の劣化に繋がっているように私は感じる。極端に言うと、まるで三流紙のようにゴミをあさり、それじゃ具合が悪くなったと思ったらダンマリ、みたいだ。

同社の報道姿勢というより担当した記者の価値観を反映したのかもしれないが、紙面に出たらもう会社の問題だ。私は別にNYタイムズウォッチャーじゃない。だが、時折日本メディアが信じられず、自分の理解を高める為英米メディアの一つとして重宝していた。今回、少し失望した。

今までの米英メディアの大地震報道をみて、いつもの私の印象に基づく大胆評価してみる。(根拠を問われると困る。)ファイナンシャル・タイムズが最もバランスが取れた見方をしている。CNNは事実報道に徹しているように感じる。今回、NYタイムズはチョット変じゃないですか。■

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贈る言葉

2011-03-21 11:55:31 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災の被災地で我が身や家族を省みることなく、国民の為に献身的な悪戦苦闘する全ての人、特に責任ある立場の人達にこの言葉を贈りたい。責任を負えば負うほどその一挙手一投足が注目され、成功すれば英雄扱いされ、上手くいかなければ大きな批判を受ける。

未曾有の大地震で多くの国民の生命や生活がかかっている今より大きな責任を負う事はそうは無い。判断を誤まれば事態が悪化し復旧が長引く恐れがあることばかりだ。私は菅首相から現地のリーダーまで、そして原発危機に対応する東電や日立・東芝等の社員、レスキュー隊・自衛隊の人達に次の言葉を贈りたい。

「重要なのは批評家ではない――力ある者がどうつまずいたか、偉業を成し遂げた人間がどこでもっとうまくやれたかを指摘する人間ではない。名声は、現に競技場に立つ男のものだ。果敢に戦い、判断を誤って、何度も何度もあと一歩という結末に終り-―なぜなら、間違いも欠点も無い努力など存在しないから――顔は誇りと汗と血にまみれている。しかしその男は、真の熱意、真の献身を知っており、価値ある理念のために全力を尽くす。結果、うまくいけばすぐれた功績という勝利を得る。しかし万一失敗に終っても、それは少なくとも雄雄しく挑戦した上での失敗である。だから彼の立場が、薄情で臆病な、勝利も敗北も知らないものたちと同じになることはありえない。」

この言葉は、セオドール・ルーズベルト大統領が1910年4月ソルボンヌ大学で行った演説「共和国における市民権について」からの引用だ。私はこの言葉を「リーマン・ショック・コンフィデンシャル」(著ソーキン 早川書房)で読んで知った。リーマンショック後の金融危機を救う為国民から大批判を受けた救済策を断行したポ-ルソン財務長官に、Jダイモン(当時JPモルガンCEO)が贈った言葉で、孫引きさせてもらった。日本を救う為苦闘している英雄達にこれより適切な言葉が思いつかなくて引用して贈りたい。

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介護録11春(1)

2011-03-20 17:39:36 | 健康・病気

母を施設に入れあと1ヶ月で1年になる。私自身が直接介護するわけでもなく、最早「介護録」ではないのだが、今までの続きで「介護録」のままにする。

田舎に戻った翌日の先週火曜日、松山市にある養老院の母を訪ねた。母の部屋に行く前に施設の係りの人達から情報を仕入れた。看護婦さんによると、その前の週にバセドウ病治療の確認のためエコー検査を受け、血流が良くなったことが確認されたと言う。

甲状腺機能が安定した結果と思われるが、従来どおり朝昼晩のインシュリン12-4-6=22と就寝前新薬4の計26単位の投与で、血糖値が80台から100台半ばに落ち着いていると言う。私が知る限りこの数年で最も安定した血糖値で推移している。

心配していた認知は進んでいないようだ。介護責任者によれば、施設内の生活に慣れ世話をしてもらう人達とも馴染みになったらしく、施設内のレクリエーション(体操やボールゲーム、塗り絵)とか殆どに参加するようになったという。以前報告のあった洋服を近々買いに行くのを楽しみにしているという。

一方、排尿はもう殆ど失禁状態らしい。部屋内のトイレに行くにも伝い歩きできなく車椅子を使うので間に合わないせいもあるだろう。ベッドの下にビニールシートを敷き、時折空気の入れ替えや車椅子の清掃をしてもらっているようだが、後で部屋に入った時小便特有の臭いがした。

食への執念は相変わらずで、他人の食事に手を出さないよう席を離す等配慮があるが、床に落ちた食料を拾って食べようとしたらしい。バセドウ病が良くなれば改善するかもと仄かな期待をしたのだが。総合すれば母は「状況は悪くはなっていない、維持されている」ということのようだった。

少し小便くさい母の部屋に入ると母はベッドで寝ていた。部屋は綺麗に片付いていた。箪笥の中を覗くと衣料品が減った気がするが、後で相談員に確認すると洗濯に出ているのだろうと言う。そのうち母は目を開けたので、少し会話した。

大地震が起こった事は知らなかった。世の中で何が起こっているのか全く興味がなくなってしまった。欲しい物は何も無いというが、病気になるまで大好きだった買い物は期待しているように感じた。

施設に入所した頃から私の顔を見ると、露骨に嫌な顔をして直ぐに帰れと言うようになった。だが、今回は帰れとは言わなかった。時折眠そうにしていたので、文句言う気力が無かったせいかもしれない。それでも悪い気分はせず、少々ホッとした。エネルギーがなくなっただけかもしれない。■

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プロ野球は予定通り開幕すべきだ

2011-03-18 23:03:40 | スポーツ

予定通り25日に開幕するとのプロ野球セ・リーグの決定に抗議の声が相次いだというSANSPO.COMの記事を見た。例によってスポーツ系報道の大げさな表現かもしれない。これが国民の声か不明だが、私はむしろ万難を排してやるほうが良いと思う。それが大地震に負けないと強い意志を示し、復興に向けて力強い第一歩の象徴になると信じるからだ。

アマチアの高校野球は2日早い23日から決行すると決めた。なのにプロがやらなくてどうするのだと私は言いたい。こういう困難な時にこそプロは仕事をやり遂げるべきだ。見せるのが商売のプロが全力で最高レベルの技を見せ、被災者を元気付けて欲しい。むしろ選手が率先すべきだ。選手会の反対意見に私は違和感がある。

試合の前後に選手は先頭に立ってファンに呼びかけて義捐金を募り、オークションをやれば良い。日本はこれから辛くて長い回復の道が続く。欧州サッカー試合で示された日本への思いやりを見ても、やり方によって被災者と国民が一体となって進んでいく良い場を作ることになると私は思う。

私はプロとはそういうものだと思う。家を失い行方の知れない家族がいるにもかかわらず、24時間治療に当たる医師や看護婦などがこの非常時に対応していると報じられている。頭が下がる。同じ扱いが出来ないと言われそうだが、プロ野球選手も自分の仕事をやることで大きな貢献が出来ると思う。

9.11の直後に米国はプロ野球を再開させた。テロに屈しないという姿勢を示すと同時に、亡くなった人と命をかけて救助に当たったNY警察や消防士を称え市民との一体感を作り出し、素晴らしい貢献をした。「こんな時に・・・」と言う声は余り聞かなかった。状況は同じではないが、目的を明確にすればやれないはずがない。プロ野球が復興に貢献する為の稀有な機会と捉えるべきだ。

勿論、現在の状況を考えるとナイターは避けた方が良いし、仙台でのゲームは難しいかもしれない。だとしても、こういう時だからこそ絶対にやろうという意思があれば何かできるはずだ。パ・リーグもどうしても駄目なら、ボランティアとかチャリティとか別の形で災害復旧に貢献して欲しい。■

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大地震のブライト・サイド

2011-03-17 16:41:39 | ニュース

東日本巨大地震は、カメラの目が届かなかった壊滅的に被災した地域の映像が日々報じられるにつれ、当初流れたショッキングな映像よりも被害は広範で深刻であることが明らかになってきた。経済活動の大半が東京以西にあるため内外共に当初楽観的な見方があったが、原発事故の収拾に手間取り計画停電で首都圏のビジネスが麻痺状態になり、操業を停止する企業が相次いで楽観論は消滅したように感じる。

だが、こういう時こそ前向きに明るい側面を忘れるべきではないと思う。この未曾有の大地震にどう対応するか日本人の力が問われている、それを世界は見ている。悲劇に立ち向かう日本人にある意味敬意を持って見ているように私は感じる。ネットに流れている海外メディアの記事の中に、略奪や暴動などが発生せず、被災者がパニックにならず他人を思いやる姿、各地で立ち上がるボランティアなど、冷静沈着な対応が驚きをもって見られているようだ。

私は東北人独特の強さも感じる。会社務め時代に良く東北地方に出張した。そこで知り合った人達が口は重く中々本音を言ってくれないように南国育ちの私は感じたこともあるが、我慢強く困難に立ち向かい目的を達する姿を何度も繰り返し見た。海外で仕事をすることも多かったが、彼らの朴訥にやるべき事をやるという姿勢は全く違う文化の人達にも信頼され受け入れられていた。

史上かつて無い大地震はこのような日本人の素晴らしさにも光を当て世界に証明したことも忘れるべきではない。それは日本人の資質だけではない。この大地震でもNZのように崩壊したビルは見当たらず、世界一といわれる耐震構造の建築技術を証明した。残念なことに、津波にはどうしようもなく木造民家が破壊された。この事実が無ければもっと高く評価され誇るべきことだった。

あまり話題にならないが、あれほどの大地震で新幹線が全く無傷で誰一人として怪我人が出なかったのは凄いと私は思う。それは奇跡ではなく設計で意図的に折り込まれたものだというから凄い。地震予知システムが感知した数秒前の地震情報を先取りしてブレーキがかかっていた為と見られている。銀行等のオンラインシステムも維持された。誇ってよいことだ。

残念なのは何重にも安全設計がなされたはずの原発が危機から抜け出せないことで、私には予想外だった。全ての安全設計が電気制御されているので、電力供給が止まれば全て機能しなくなるという落とし穴に入ったというのが主因だという。素人の私も直感的には理解できる。だからといって今回の地震の規模を考えると、単純に東京電力を責める気にはなれない。

収束しない原発事故を不安に思う人達の気持ちはよく理解できるが、テレビを始めとする報道が必要以上に不安を煽っていると感じる。地震発生直後の事実を伝えようとする姿勢は悪くなかったが、いつものお茶の間ニュース・バラエティの連中が戻ってきて元の木阿弥になった。世間の批判を受けてかどうかわからないが、この一両日の報道の姿勢は多少変わったと感じる。それでもこの人達は笑いを取る番組専門にしてもらい、ニュース報道には出てくるなといいたい。

もっと気分が悪くなるシーンもあった。それは要領を得ない回答を繰り返す東電幹部を記者が追及するシーンで、今に始まったことでは無いがこいつら何様だと思っているのかと怒りがこみ上げてきた。ネットにはこの記者達を批判する記事が沢山あったのは当然だ。東電の当事者が失敗することもあるだろうが、彼らが最高の仕事をさせるためにどういう報道をすべきか、極端に言えば国を挙げて彼等を支援することこそが最優先の仕事である。見てて胸糞が悪くなった。

最初に戻ると、これこそが日本が未曾有の大惨事に如何に立ち向かうのか世界が見つめていることなのだ。既にいくつかの点で日本の素晴らしさを証明しているし、原発事故が最悪事態になったとしても(その可能性は否定できない)、その中でベストの仕事(ダメージ・ミニマムの戦略になる)をするよう、命がけで仕事をしている人達が誇りを持てるよう支えなければならない。彼らの仕事が万が一失敗しても、国民のために英雄的に力を尽くした事実を忘れてはならない。■

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