かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感2021(3)

2021-05-16 20:29:12 | 日記・エッセイ・コラム
いよいよ梅雨の季節になった。それと同時に昨日から台所と居間に大量の蟻が出て来た。両方ともどこから蟻が湧いて出たか分からない。昨年台所に蟻よけの薬を撒いたし、居間は床を張り替えたばかりだった。調べてみたが蟻が入って来たルートが分からない。今後も続けて調べる積りだ。

異例に早い梅雨入りだったが、今日は嬉しくてたまらない。というのも昨日投稿した15キロ走後に覚悟していた筋肉痛が出なかったからだ。前回は痛くてたまらなかったが、今回は私の筋肉も経験を積み準備していたし、昨夜就寝前に入念に自己流マッサージした効果もあったと思う。

このところの一連の15キロ走と山歩きの効果で血圧も下がりつつある。今朝は更に下がって115-74になった。降圧剤これ以下になるのはちょっと不安だ。以前血圧が100前後に下がった時フラフラし、それを聞いた掛付医は直ぐに弱い薬に変更した。運動の結果なので話は違うと思う。

15キロ走や山裾歩きは趣味というだけでなく、田舎での一人暮らしの高齢者として健康に人一倍 気を使っているからでもある。バドミントンに限らず元々スポーツ大好き人間なので、一旦始めるとドンドン深入りして行った。実家の家や山林田畑の管理だけでは正直やってられなかった。

早期退職して母の様子を見に実家に行き来するようになった頃は、現実は母が炊事洗濯をしてケアしてくれた。後期高齢者の母が作る食事を頂くだけだった。しかし、母が自宅介護・入院・リハビリ・介護施設コースを辿るにつれ、私の田舎暮らしは全て自分がやる本格的なものになって行った。

昨年頃から家内の助言で食事の作り方とか洗濯のやり方を少しずつ工夫するようになった。冷凍品を活用するだけでも食事のバリエーションが増え、洗濯も工夫して素材にあった処理をする様になった。半年も田舎暮らしする為には生活の質を良くする方が快適で暮らしやすいと今更ながら気付いた。

ということで冒頭のような健康維持にはネットや新聞テレビなどから新しい情報を得ている。今通っている歯科医の看護婦さん達との会話も役に立っている。帰郷直後の市内のコロナウィルス感染が急増した頃は人口1万人当たり1人感染になったニュースは誰もが気にしていた。

先月は田舎の一番の連絡網である有線放送に市長が二回も出てきて警報を伝えた。初めて市長の声を聞いた。川沿いの散歩道で出会う人達はマスクをしている人が多くなったが、私を含め高齢者の半数はマスクをしてない。私も買い物にいく時マスクを忘れ、近所の奥さんに頂いたことがある。

看護婦さんによると患者の一人がコロナ感染者で2カ月間味覚が無くなったという。嗅覚がなくなる症状も聞いたことがある。私は逆に嗅覚が鋭敏になったというと、そんなの聞いたことがないとかわされた。病院で他の患者の症状を聞いたのは初めて、彼等も気にしているようだ。■
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定点観測 15キロ走(続)

2021-05-15 18:38:14 | 日記・エッセイ・コラム
今日の午前中に二度目の15キロ走に挑戦した。前回は記録より15キロの距離を走れただけで満足したが、翌日から大腿四頭筋に酷い痛みが出た。3日間も続いた筋肉痛が情けなく、同じ距離の山裾歩きをし、今日再度15キロ走った。コロナ報道風に言うと1週間で15キロを3回もやった。

今日は前回のように15キロ行けるか自信がないまま走ったのではなく、前回の110分より早く走りたいという気持ちだった。といっても無理して足を痛めたり、体力が続かず歩き出さない様に気を付けて走った。結果は前回より5分早い105分かかった。まずまずだったと思う。

走った後の足の具合は前回ほど酷くなさそうだ。帰宅後にシャワーを浴び、2階に上がりクローゼットで気替え、1階に下りて料理を作り、居間で昼食をとった。何回か階段を上下した時の足の感触から判断するに、筋肉痛は出ても1日だけで回復しそうな気がする。

走っている時に中年女性から三度も激励が飛んできた。今まで私から挨拶しても女性から激励されたことは一度もない。今日は私が挨拶する前に応援してくれた。何故か考えながら走った。今日は黒のストレッチの上下に、空色のシャツとパンツ姿と黄の靴で目を引いたかも???

愛媛県はまん延防止等重点措置が31日まで延長された。市立体育館でのバドミントンクラブの練習もその期間出来なくなったとクラブのリーダーから連絡が来た。その間身体が鈍らないようにちょっとハードなジョギングと山裾歩きをしようと思う。定点観測は上手く行った。■
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私的おひとりさま文化あれこれ

2021-05-13 18:20:49 | うんちく・小ネタ
コロナ感染が広まった頃から「ソロキャンプ」が人気だとテレビで見た。面白かったのでネット等で調べるとキャンプだけではない、バブルが弾けた90年代頃から日本特有の「お一人様文化」が始まったらしい。私は別の意味で筋金入りの「お一人様文化」実行者、単独行の男だ。

30代から始めたバイクは常に一人で駆け巡った。私には爆音を立てて走るバイク集団が理解できない。30代で本格的に始めたバイク運転は下手糞だったし、逆に慣れてくると山間部のワインディングを攻めるのが好きだった。どちらにしても集団で走るスタイルではなかった。

同僚に連れて行って貰い始めた山登りも、気が付くと単独行になった。仕事でも経験を積み慣れると上司は躊躇せず単独の海外出張を命じた。40代後半に米国工場に出向を打診された時も、家族状況を考えて単独出向しかないと判断し即答、大した相談もせず家族を残し米国に向かった。

自分一人なら自分のペースでやりたいことを即やる。私も同行者がいると彼等の意見を聞き合意して次に進む、或いはリーダーに従って進む、チームプレイだ。だが仕事でなければ自分のやりたいようにやり、問題が起これば自分の責任というのが性分に合っている。

米国生活は文字通りおひとりさま状態だった。3つの家に住んだが、隣の家とはお付き合いはなく誰が住んでるかも知らなかった。口を利いた人達といえば、会社の同僚とバドミントン仲間、週一で通ったマッサージ・セラピストと家を紹介してくれた不動産屋といったところだ。

週末はバドミントン練習をやり、その後マッサージを受けた。バドミントンをやらない時は日帰りかもしくはテントを背負って「ソロキャンプ」に出かけた。周りはカップルだったが。シアトルのREIで買い揃えた登山用具一式は帰国後も利用したが、今では殆ど消耗して使わなくなった。

欧米では基本おふたりさま文化だと聞いていた。洒落たレストランはカップルが前提の造りで、「ノー天気」の私でも一人で入るのは気が引けた。自然と気軽な安いお店にしか行かなくなった。ある時、シアトル郊外のヤロウ湾沿いの評判のレストランを紹介され思いついて一人で行った。

中年のウェイターに何人かと聞かれ「一人だけ」と答えると、一人だけという員数はない、「大事な一人」だよと言われ広いボックステーブルに案内された。その時は少し胸が熱くなったことを覚えている。だが、周りは全てカップルか家族連れだった記憶がある。何を食べたか記憶がない。

退職後に田舎の実家に長期滞在するようになり、4年前母が死んでから文字通りおひとりさま独居老人になった。管理の負担に耐えかね山林や田畑の一部を処分し、余裕ができ近場の山裾歩きをするようになった。だが、米国時代の山の道具の多くは消耗が酷く使えなくなった。

山の道具は概して割高でコスパが悪かったが、最近手ごろな値段で手に入るお店を見つけた。ハイキング程度なら堅牢で防水の靴やポケットが多くて丈夫な衣服、ちょっとした小道具等を安価に買える。そこはワークマン+、更なる実用的なおひとりさま用途に進出するのを期待している。■
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韓国エンタメへの複雑な思い

2021-05-12 20:36:36 | 日記・エッセイ・コラム
昨年頃から韓国の音楽や映画などが世界のエンタメ市場を席巻する勢いだそうで、月曜日の日本経済新聞は色々な視点から成功分析した特集記事を掲載していた。中でも私に心に響いたのは、韓国市場が小さいので最初から海外展開を前提として作られ、最近のネットフリックス等のグローバル時代の仕掛けに乗って急速に世界に広がったというものだった。

実は私は韓国発エンタメを一度も見たことが無いのだが、その記事を読んで仕事の経験でやっぱりそうかと納得した。90年代から私の仕事と係るエレクトロニクス分野でサムソンやLGが存在感を見せ始めていた。初めて韓国に行ったのは90年代初めで、急成長するパソコン市場に対応する為に国内調達では不足する電子部品の買い付けに行った時だった。

ソウルに飛んでサムソン(当時三星と呼ばれた)と会い、その後テグに行きLG(同じく金星)に会い交渉にあたった。同行したサムソン日本支社の担当営業に聞いたのが、社内の厳しい上下関係というのが印象深かった。一方、社内幹部として米国でMBAの学位を取った若者が働いていた。両方から想像されるのが今も続く韓国の格差社会の仕組みだと感じる。

出張前に訪問した日本のトップメーカーは、日本市場をターゲットに限定数を供給し実績を作り、徐々に生産を増やし世界進出するプランだった。だが、韓国市場は小さいためサムスンの若き経営者は最初から世界トップクラスを狙って部品供給する計画を立て実行した。当時の日本のIT技術は世界最先端だったが、この経営戦略の差が日韓逆転の源になったと思う。

それに先立つ20年間に高度成長時代を経験した日本は、後にバブルが弾けた日本的経営はリスクに対して用心深くなっていた。加えて、高度成長時代の成功要因だった日本のモノづくりの特徴は優れた職人業だったが、逆にその後のグローバル展開と経営のIT化を遅らせ足を引っ張った。韓国のように若いMBA出身者を経営に加えていたら事情は変わっていたかもしれない。

エンタメの世界にもそういった経営方針の差が出て来た。日本市場では日本特有の特殊なエンタメ業界で成功しても、世界では通用しないガラパゴスになってしまう。これって、エンタメだろうと最先端技術だろうと同じだと、記事を読んでつくづく思った。日本特有のエンタメがオタク文化を生み世界中にファンもいるのだが。

私は個人的には韓国に対して一言で好きとか嫌いとか言えない複雑な気持ちがある。サムソンみたいな世界トップレベルの企業でも社内上下関係の厳しさは聞いてやっぱりと思った。90年代末に何度か韓国に行く機会があった、韓国がアジア通貨危機から抜け出そうともがいている時だった。彼らが若干卑屈になっているのではと想像したが、彼らは思ったより前向きだった。

その頃から日韓の外交関係は慰安婦問題などで良くなかった。私は日本の報道の影響を受けて、国と国の約束が韓国大統領が変わる度に蒸し返すと嫌悪感があった。子供の時、江戸時代に西洋諸国と結んだ不平等条約を解消するために、何年もかけてやっと明治時代半ばまでかかったと教わった。それに比べて同じ問題を蒸し返す韓国という国は一体どうなっているのかと思った。

話は変わって、正直言って韓国女性は美人だといつも思っていた。だが私の周りには、韓国女性は概してスタイルが良く綺麗だと言うと、美人に見えるのは整形手術してるからだと友人は言い放つ。でも、韓国に出張して美味しい韓国料理を頂き、接待してくれた流ちょうな日本語を話す韓国人女性はホントに綺麗だった。ということでとても複雑なのです。■
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定点観測 15キロを走る

2021-05-11 19:01:33 | スポーツ
日曜日に1年ぶりに定点観測の距離15kmを走った。昨年痛めた腰痛が長引きもうこの距離を走ることはないと思っていたが、先日私より遥かに年上のランナーがマラソンを走る姿をテレビで見てその気になった。最初からダメなら途中で引き返せばいいと開き直って走った。

走り始めた時は全く自信がなく短い歩幅でゆっくり走った。時折追い越す若いランナーを気にせずスローペースで走った。だが、意外にも膝も腰も耐えてくれた。節目になる5キロ(五郎橋辺り)を通り過ぎた時、折り返し点の大洲城前の公園まで走れそうだと元気が湧いた。

最後まで頑張れたのは、今までになくゆっくり走ったこと、ポッコリお腹を引っ込め体の重心がぶれないように心がけたこと、これまでも山裾歩きや1万歩前後の散歩を続けたことだと思う。2年前に80分で走ったコースを、今回は約30分遅い110分で走った。

今回は記録よりその後の体調変化が気になった。翌日は大腿四頭筋に痛みが出た、特に椅子から立ち上がった時の痛みと階段を降りる時にバランスが崩れそうになるのは怖かった。帰郷前に長男や孫たちと奥多摩の大岳山を歩いた翌日経験した痛みと同じだ。その時は3日間痛みが続いた。

今回はどうだろうか。2日目の今日は若干痛みが退いた気がする。大岳山縦走後の3日目の痛みと同じような感じだ。先月末にもう少し長い18キロの山裾歩きをした翌日は筋肉痛は出なかった。大岳山と違うのは、山裾歩きは殆どは舗装されていたか、されてなくとも平坦な道だった。

私の場合、ごつごつした岩道歩きとジョギングの足に与えた負荷が同じだったようだ。必ずしも15キロ走の効果ではないかもしれないが、昨日今日の血圧が理想的な123/78と125/77になった。従来の定点観測のレベルの運動は体力的に無理だと思っていたが、もう少しトライしたいと思った。

(追記)
実はここまで書いて投稿する前に急にやる気が湧き、今や趣味になった山裾歩きを早速「トライ」した。15キロ走れたと記事を書いてるうちに自信が湧いてきて、実家-JR五郎駅-慶雲寺-無名山―櫛生-JR五郎駅-実家の約15キロの舗装道を3.5時間で歩いた。結構長かった。

最後の5キロは日曜日の15キロ走の疲れが出てピョコピョコ変な歩き方になった。こんなに執着するのはこの1年ハードな運動を控えた為に劣化した運動能力を取り戻したいと強く思っているからだ。後期高齢者直前の老人には無理かもしれないがまだ諦められない。■
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