一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

中村桃子女流二段、引退

2024-07-10 23:31:50 | 女流棋士
いまさらながら、中村桃子女流二段の引退である。中村女流二段がそれを表明したのは今月1日。まったくの寝耳に水で、私は「はあ!?」と叫んで、呆然としてしまった。
中村女流二段は、残っている棋戦を全部消化しての引退、とのことだったので引退はまだ先と思いきや、8日の白玲戦・女流順位戦D級が最後の対局になった。引退表明から引退まで1週間は、近来稀に見る短さだった。
それにしても、どんなわけがあったのだろう。本人が「一身上の都合」と言っているので推察するしかないが、確かにおかしな点はあった。レギュラーで出演しているNHK杯将棋トーナメントの聞き手に、最近出演しなくなったことだ。だがこのときは、代打の藤田綾女流二段、貞升南女流二段がレギュラーを宣言していなかったから、中村女流二段はすぐに帰ってくると思っていた。
しかし現役を引退してしまうと、復帰も怪しい。
中村女流二段のご主人は将棋アマ強豪、実兄は亮介六段で、いわば将棋一家である。だから中村女流二段が将棋を続けることに何の障害もない。となると、当人に将棋愛がなくなったか、あるいは体調の問題か。だけど体調なら、休場すればよい。以前も書いたが休場は棋士の特権で、大いに活用すればよい。
だが、休場では済まないくらいの事態だったとしたら、問題である。
ただまあ、本人が口をつぐんでいる以上、外野がこれ以上騒いでも詮無い。もし可能だったら、またNHK杯に戻ってきてください。
さて、私は棋士や女流棋士を写真に収める趣味はない。ないが、2017年に天童の桜まつりに行ったときは、中村女流二段を写真に収めさせていただいた。当ブログでももちろんアップしているが、昨今は肖像権の問題もあり、その後は1枚のアップもないはずである。
私は人妻女流棋士のファンにはならないのだが、中村女流二段は結婚してもピュアピュア感が残っていて、ファンのひとりだった。今回は惜別の思いを込めて、何枚かを再掲する。中村先生改めて、お疲れ様でした。











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船戸女流三段、引退

2024-07-05 23:17:38 | 女流棋士
船戸陽子女流三段現役引退の報を知ったのは4月26日、Wikipediaでだった。そのとき私は「将棋クイズ50問」を制作していて、あっちこっちの将棋サイトで、正解の確認をしていた。そのさなかに見つけたのだった。
私はLPSAのサイトに飛んだがもちろん真実で、どうも4月24日に表明されたようだった。
当ブログの古参読者ならご存じだが、私は船戸女流三段の大ファンだった。否、ファンという範疇を越えて、危険な領域に入っていた。
当時私はLPSA金曜サロンや芝浦サロンに入りびたり、船戸女流三段主催の木曜ワインサロンにも通っていたから、船戸女流三段との接点は多かった。私は船戸女流三段に会うたびに惹かれていった。
だがそんな矢先の2011年8月、船戸女流三段は島井咲緒里女流二段とともに、結婚を報告する。これを私は沖縄旅行中に知ったが晴天の霹靂で、大変なショックだった。
付き合っている人がいるなら私に一言言ってくれればいいのに、そんなそぶりはまったく見せなかった。考えてみればそりゃそうで、そんなプライベートを他人に言う意味がない。
だけど私はショックで、端的には食欲が失せた。1日に摂取する食事は昼の牛乳1杯のみで、そんな生活を1ヶ月続けていたら、10kgも痩せてしまった。通院していた耳鼻科の先生が心配して、ビタミン剤を注射してくれたものである。
ある日は植山悦行七段、大野八一雄七段、安西勝一七段と同じテーブルで、私は2時間ぶっ続けで、愚痴をこぼし続けた。将棋の先生を前にして、何を私はやっているのかといまでは思うが、当時はそこまで配慮が回らなかった。
そのとき安西七段から「失恋が癒えるのは、その人を好きだった期間の2倍かかるよ」と言われた。独身の安ちゃんにしては含蓄のある言葉で、ああそうかもしれない、と妙に感心したのを覚えている。
当時はブログにも泣き言を書いていたが、石橋幸緒女流四段(当時)から、「あまり書くと彼女に迷惑だから……」というようなことを言われ、私は我に返った。
あぁ私は頭がおかしくなっていた。これじゃあ船戸女流三段が困惑するばかりである。私はブログに船戸女流三段に関する記述を止め、今後は接点を持たないようにした。
おりしもLPSA芝浦サロンは麹町サロンへと移転し、私もいろいろあって、LPSA自体から距離を置くようになってしまった。
以後現在まで、船戸女流三段をお見かけしたことはあっても、私語を交わしたことは一度もない。指導対局を受けることもないと思ったが、数年前、Tod氏の計らいから、それが実現した。そのときの将棋は覚えていないが、たぶん私が負けたはずだ。
今回船戸女流三段が現役引退を決めたことについては、第三者である私に口を挟む余地はまったくない。ただただ、お疲れ様でしたと言うだけである。
船戸女流三段は8日の白玲戦・女流順位戦が最後の対局になる。悔いのない将棋を指していただければと思う。
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堀女流初段の痛い逆転負け

2024-06-14 23:46:24 | 女流棋士
第14期リコー杯女流王座戦(主催:RICOH、日本将棋連盟)二次予選の3局が、12日に行われた。この中で私が最も注目したのは室谷由紀紗VS堀彩乃女流初段戦である。数年前だったら室谷女流三段を無条件に応援したが、結婚されちゃあこちらの士気も下がる。いま注目しているのはもう一方の堀女流初段で、前年度は好調を持続し、今年度、ようやく女流初段に昇段した。残るは、各棋戦での飛びぬけた活躍だ。それにはこの女流王座戦が最も大舞台に近かった。
将棋は室谷女流三段が先手で、三間飛車に振った。堀女流初段は左美濃。本局も主催者の無料中継があり、貧乏人にはありがたかった。
序盤、堀女流初段が桂得を果たし、有利。さらに飛車を先着し、優位が広がった。ところがそこで決め手を逃し、形勢混沌。堀女流初段の玉は中段に出てきたが、これが予定の順とは思えず、流れはよくない。
室谷女流三段、▲6三角。私はまったく気が付かなかったが、この手自体に錯覚があったようだ。
このあたりで私は席を外したが、この将棋、堀女流初段が負けたと思った。
それから1時間半後、中継サイトを見ると、果たして室谷女流三段が勝っていた。
ところがコメントを読むと、終盤で事件が起こっていた。
第1図は堀女流初段が△2六歩▲1八玉を利かした局面。

ここで堀女流初段は△4九成桂(第2図)と形作り?をし、以下▲4七金△5八玉▲6七竜まで、投了した。

ところが第1図では、△4九成桂に代え、△4九竜(参考図)があった。

これは△3八竜以下の詰めろになっていると同時に、△4八成桂が踏ん張っているから、後手玉も詰まない。こう指せば、堀女流初段の勝ちだった。
どうも堀女流初段に錯覚があったようで、どちらの順も負けと読んでしまったようだ。ただ、同じ負けるにしても、△4九竜のほうが先手玉に迫っており、見栄えもいい。△4九成桂では、まったく迫力がない。
私は1992年6月11日に指された第51期A級順位戦(主催:毎日新聞社、日本将棋連盟)1回戦・▲田中寅彦八段VS△大山康晴十五世名人戦で、受けのなくなった大山十五世名人が△6九竜(参考図)と形作りをした手を思い出したものだ。

堀女流初段は、第7回YAMADA女流チャレンジ杯決勝戦でも、対加藤結李愛女流初段戦でいい将棋を作りながら逆転負けを喫している。
話を戻すが、もし堀女流初段に「最後は私が勝つ」という執念があったら、△4九竜と指せたのではなかろうか。
勝てば本戦入りという大事な一番だっただけに、会心局になりえた将棋を落としたのは、かえすがえすも痛かった。
堀女流初段は、捲土重来を期してほしい。
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大島女流二段の意地を見たい

2024-04-21 23:25:42 | 女流棋士
やや旧聞になるが、第17期マイナビ女子オープンで、大島綾華女流初段が挑戦者になった(これで女流二段に昇段)。
大島女流二段は本戦2回戦で福間香奈女流五冠を破った。これは大殊勲で、これだけでもう、挑戦者になる価値がある。
同じく挑戦者決定戦に進出した北村桂香女流二段も、上田初美女流四段や伊藤沙恵女流四段を破ってきたからこちらも殊勲甲なのだが、次回に期待である。
最近のタイトル戦は福間女流五冠と西山朋佳女流三冠の対決ばかりになっているが、あぁそれは私の錯覚で、けっこういろいろな女流棋士がタイトル戦に登場してはいるのだが、とにかく両者の存在感が大きすぎて、いささか食傷気味。飽きっぽい私は、ニューヒロインの誕生を望むのである。そこに大島女流二段の出現は新鮮だった。
その第1局は9日に行われた。先番を引いた西山女王は初手▲7八飛。大島女流二段は居飛車党のようで、飛車を浮いて右銀を進出させる。記事を読むとこれが大島女流二段の得意形のようで、「大島流」だ。
大島女流二段はよく戦い、中盤戦。私だったら居飛車側を持つのだが、実際は西山女王がうまく捌いていたようだ。
反撃に転じた西山女王は攻めながら駒得を重ねていき、気が付けば西山女王の勝勢。そのまま押し切った。
そこから旬日を経ずして、第2局が行われた。今度は西山女王が四間飛車に振る。西山女王は1回角を上がったが、自ら角を換わった。都合2手損だが、そこまで気にしていないのだろう。
大島女流二段は角を据え、またも飛車を浮き右銀を進出させる。大島女流二段は、本当にこの形が好きなようだ。
ここから大島女流二段の攻めが冴え、これは確実に有利になった。
だが西山女王も最善を尽くし、6五に打った角が名手。振り飛車独特の手筋も駆使し、本局も気が付けば西山女王が勝勢になっていた。
以下、西山女王の寄せが炸裂し、西山女王の連勝となった。
大島女流二段、残念!! 私は西山女王のファンではあるが、本局は大島女流二段に勝ってもらいたかった。
以上、2局終わって西山女王の2勝は、まあ予想通りではある。しかし大島女流二段だって、檜舞台に上がったプライドがあろう。大島女流二段は挑戦者になったことで名を上げたが、私はもうひとつ上の結果を求めている。
第3局は意地を見せてもらいたい。
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年女2024

2024-01-02 22:53:47 | 女流棋士
2024年は辰年。当ブログでもおなじみの「角館の美女」も、辰年である。私が角館の美女にお会いしたのが1988年。その年も寅年。彼女が年女だったのを知ったのは、その6年後のことだった。
では、女流棋界の年女を記そう。

【1940年】
村山幸子さん(3月10日)
寺下紀子女流四段(6月20日)
関根紀代子女流六段(12月15日)
【1964年】
長沢千和子女流四段(6月18日)
【1976年】
高橋和女流三段(6月17日)
【1988年】
宮宗紫野女流二段(4月23日)
井道千尋女流二段(5月21日)
上田初美女流四段(11月16日)

以上8名。2000年はひとりもいなかった。女流棋士、退会者の合計は112名だから、7%。
何となくだが、個性的な女流棋士が集まった気がする。

角館の美女も還暦。時のたつのは早いものだと、あらためて感じる。私の記憶は、彼女が23歳のままなのに。
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