「LPSA芝浦サロン」の11月の担当が発表された。それを見ると、何としたことか、わが将棋合宿と中倉宏美女流二段の担当日がぶつかっていた。
となれば、残念だが、今回の宏美女流二段の合宿参加の話は、ナシとせざるを得ない。
しかし、なんだかなあ…。今回はけっこう、本気で誘ったんだけどなあ…。宏美女流二段には、たいへんご迷惑をお掛けしました。
「将棋ペン倶楽部」2011年秋号に、拙稿の「忘却の角」が掲載された。これは今年の5月20日に行われた竜王戦6組準決勝・大野八一雄七段と吉田正和四段の一戦を、大野七段の視点から描いたものである。
6月19日(日)の大野教室のあと、恒例の食事会があったのだが、その席で、大野七段のこの一戦の解説が始まり、私たちは身を乗り出して拝聴したのだった。
そのときの模様は、当ブログ6月22日・23日にエントリした。当初は、これでオワリのはずだったが、将棋ペン倶楽部の秋号原稿〆切が1ヶ月に迫り、私はこのエントリ分を焼き直して、投稿しちゃおうと考えた。
なんたって、原文はできているのである。これなら焼き直し(リライト)もラクだと思った。
ところが6月が終わり、カレンダーが7月になっても、なかなかリライトが進まない。キーボードを叩く手が重いのだ。
そこで思い出したのが、5月の「将棋ペンクラブ関東交流会」でM幹事が言った言葉だった。
私は飲み会の席で、将棋ペン倶楽部への投稿に困ったとき、ブログにアップした原稿を流用しちゃおうかと考えたことがあります、と言った。
対してM幹事は、
「(流用は)そう簡単ではないと思いますよ」
と応えた。それが私には意外だった。こんなもん、おかしなところをちゃっちゃっと書き直して、すぐに投稿できるじゃないか、と考えていたからだ。
しかし〆切日が近づくにつれ、私はM幹事の言葉の重みを、ひしひしと感じることになる。
ブログは、容易に書き直しが利く、ラクガキみたいなものである。
対して「将棋ペン倶楽部」は、会員が会費を払って読む、れっきとした読み物である。会員の投稿する文章に、ひとつの瑕疵も許されない。
当然書き手にも多大なプレッシャーがかかるわけで、ブログの文章をちゃっちゃっとリライトして投稿できるほど、安易なモノではなかったのである。
極端な話、まったく新しい文章を一から書き始める、という感覚に陥った。これはキツかった。
とりあえず、エッセイのタイトルを決めなければならない。小説やエッセイを書くとき、最初にタイトルを考えるか、途中で決めるかは、人による。
私は前者で、最初にタイトルを決めないと、あとの文章が続かないタチである。しかし今回は「忘却の角」というタイトルがすぐに浮かんで、これはクリアできた。
続いて、例の将棋の棋譜用紙を拝見しなければならない。6月19日の自戦解説では、手元に棋譜用紙がなかったから、正確な指し手や、消費時間が分からなかった。投稿するとなれば、そこは正確を期す必要がある。
そのため私は、7月3日(日)に、再度大野教室を訪れた。このときまだ私は大野教室の敷居が高かったので、棋譜用紙を見るためだけに教室へ出向くことが億劫だった。
大野教室に入ると、大野七段はすでに棋譜用紙を用意してくれており、すぐに拝見することができた。その日は将棋も指して帰った。
ところがそれから何日経っても、やっぱり筆が進まない。ブログは毎日の更新だから仕方なくキーボードを叩くが、将棋ペン倶楽部のほうは〆切まで間があると思うから、つい執筆が後回しになってしまう。
そしてついに、〆切の7月20日が過ぎてしまった。私はWas幹事に1週間の猶予を申し出る。泣きたい気分だったが、何とか受け容れてもらった。
これであとがなくなった私は、やっと執筆にとりかかった。私は何事も、追い込まれないと動かないタチなのだ。しかしときにはそれが手遅れになって、泣くハメになることも度々ある。
執筆の時間はないが、頭の中である程度の文章はできていたので、書き始めると早かった。何だかんだいっても、6月22日と23日にアップした「下敷き」が大きかった。
9月初旬、「将棋ペン倶楽部」秋号が発行される。私は御徒町(おかちまち)駅近くのドトールコーヒーで、拙稿を読んだ。
こういうとき、私は書いた内容を忘れ、まっさらな気持ちで読むことにしている。しかし今号は、食事会の雑談を基にしたとは思われない、崇高な内容に仕上がっていた。
またこの時期は心身ともにどん底だったので涙腺も弱くなっており、最後のほうは、ホロッと涙がこぼれたほどだった。
ただ中には、あれっ? と思う表現もあった。
今回のエッセイは7月末現在の状況で書いているので、6月19日の食事会(取材)では手許に棋譜用紙がなかったにもかかわらず、本文では指し手の消費時間が記されており、読者が混乱した可能性がある。
また本文では、大野七段がこの将棋で最も悔やんだ一手は、記憶から消えてしまった「▲6六角」としているが、先日大野七段ご本人に確認したところ、本局で最も悔やまれる一手とは、ふつうに▲3一飛と下ろせばよかったのに、みすみす相手に1歩を渡し、銀を引き戻した悪手「▲3四歩」とのことだった。
これは本文には記されていない、「新事実」である。
さて全編を読んで、まずまずの出来だったと思うがそこはそれ、やはり訂正したい箇所はあった。
ここで、同誌を持っている方のために、訂正部分を記す。
86頁下段8行目…「フリークラス在籍の」→削除(トルツメ)
86頁下段19行目…「フリークラス経験者同士の対戦となった」→「注目の」
87頁下段22行目…「勝ちを決める決め手になる。」→「勝ちを決める一手になる。」
88頁上段5行目…「大野、遅ればせながらの」→「大野の」
89頁中段3行目…「厳しい。」→「厳しかった。」
89頁中段16行目…「大野は▲3九歩と…」→「吉田の△7六桂に大野は▲3九歩と…」
個々の訂正の説明は省く。
パソコンから投稿するときは、これでもう直すところはない、と自信を持って送信するのだが、活字になると、なぜかアラが見えてしまう。これは読者に失礼だったと痛感するのだが、いつも同じ過ちを繰り返す。
さてこの将棋、大野七段は負けた。まるで救いがないようだが、文章の最後は、
「大野は竜王戦の本戦トーナメント進出はならなかったが、ランキング戦には昇級者決定戦がある。大野の昇級の目は、まだ残されている。」
と希望を持って結ばれている。
すなわち、このエッセイはまだ終わっていないのである。
大野七段の昇級者決定戦の相手は、伊藤真吾四段と決まった。伊藤四段は現在、フリークラス脱出を目指す新鋭である。この対局にも、注目したい。
となれば、残念だが、今回の宏美女流二段の合宿参加の話は、ナシとせざるを得ない。
しかし、なんだかなあ…。今回はけっこう、本気で誘ったんだけどなあ…。宏美女流二段には、たいへんご迷惑をお掛けしました。
「将棋ペン倶楽部」2011年秋号に、拙稿の「忘却の角」が掲載された。これは今年の5月20日に行われた竜王戦6組準決勝・大野八一雄七段と吉田正和四段の一戦を、大野七段の視点から描いたものである。
6月19日(日)の大野教室のあと、恒例の食事会があったのだが、その席で、大野七段のこの一戦の解説が始まり、私たちは身を乗り出して拝聴したのだった。
そのときの模様は、当ブログ6月22日・23日にエントリした。当初は、これでオワリのはずだったが、将棋ペン倶楽部の秋号原稿〆切が1ヶ月に迫り、私はこのエントリ分を焼き直して、投稿しちゃおうと考えた。
なんたって、原文はできているのである。これなら焼き直し(リライト)もラクだと思った。
ところが6月が終わり、カレンダーが7月になっても、なかなかリライトが進まない。キーボードを叩く手が重いのだ。
そこで思い出したのが、5月の「将棋ペンクラブ関東交流会」でM幹事が言った言葉だった。
私は飲み会の席で、将棋ペン倶楽部への投稿に困ったとき、ブログにアップした原稿を流用しちゃおうかと考えたことがあります、と言った。
対してM幹事は、
「(流用は)そう簡単ではないと思いますよ」
と応えた。それが私には意外だった。こんなもん、おかしなところをちゃっちゃっと書き直して、すぐに投稿できるじゃないか、と考えていたからだ。
しかし〆切日が近づくにつれ、私はM幹事の言葉の重みを、ひしひしと感じることになる。
ブログは、容易に書き直しが利く、ラクガキみたいなものである。
対して「将棋ペン倶楽部」は、会員が会費を払って読む、れっきとした読み物である。会員の投稿する文章に、ひとつの瑕疵も許されない。
当然書き手にも多大なプレッシャーがかかるわけで、ブログの文章をちゃっちゃっとリライトして投稿できるほど、安易なモノではなかったのである。
極端な話、まったく新しい文章を一から書き始める、という感覚に陥った。これはキツかった。
とりあえず、エッセイのタイトルを決めなければならない。小説やエッセイを書くとき、最初にタイトルを考えるか、途中で決めるかは、人による。
私は前者で、最初にタイトルを決めないと、あとの文章が続かないタチである。しかし今回は「忘却の角」というタイトルがすぐに浮かんで、これはクリアできた。
続いて、例の将棋の棋譜用紙を拝見しなければならない。6月19日の自戦解説では、手元に棋譜用紙がなかったから、正確な指し手や、消費時間が分からなかった。投稿するとなれば、そこは正確を期す必要がある。
そのため私は、7月3日(日)に、再度大野教室を訪れた。このときまだ私は大野教室の敷居が高かったので、棋譜用紙を見るためだけに教室へ出向くことが億劫だった。
大野教室に入ると、大野七段はすでに棋譜用紙を用意してくれており、すぐに拝見することができた。その日は将棋も指して帰った。
ところがそれから何日経っても、やっぱり筆が進まない。ブログは毎日の更新だから仕方なくキーボードを叩くが、将棋ペン倶楽部のほうは〆切まで間があると思うから、つい執筆が後回しになってしまう。
そしてついに、〆切の7月20日が過ぎてしまった。私はWas幹事に1週間の猶予を申し出る。泣きたい気分だったが、何とか受け容れてもらった。
これであとがなくなった私は、やっと執筆にとりかかった。私は何事も、追い込まれないと動かないタチなのだ。しかしときにはそれが手遅れになって、泣くハメになることも度々ある。
執筆の時間はないが、頭の中である程度の文章はできていたので、書き始めると早かった。何だかんだいっても、6月22日と23日にアップした「下敷き」が大きかった。
9月初旬、「将棋ペン倶楽部」秋号が発行される。私は御徒町(おかちまち)駅近くのドトールコーヒーで、拙稿を読んだ。
こういうとき、私は書いた内容を忘れ、まっさらな気持ちで読むことにしている。しかし今号は、食事会の雑談を基にしたとは思われない、崇高な内容に仕上がっていた。
またこの時期は心身ともにどん底だったので涙腺も弱くなっており、最後のほうは、ホロッと涙がこぼれたほどだった。
ただ中には、あれっ? と思う表現もあった。
今回のエッセイは7月末現在の状況で書いているので、6月19日の食事会(取材)では手許に棋譜用紙がなかったにもかかわらず、本文では指し手の消費時間が記されており、読者が混乱した可能性がある。
また本文では、大野七段がこの将棋で最も悔やんだ一手は、記憶から消えてしまった「▲6六角」としているが、先日大野七段ご本人に確認したところ、本局で最も悔やまれる一手とは、ふつうに▲3一飛と下ろせばよかったのに、みすみす相手に1歩を渡し、銀を引き戻した悪手「▲3四歩」とのことだった。
これは本文には記されていない、「新事実」である。
さて全編を読んで、まずまずの出来だったと思うがそこはそれ、やはり訂正したい箇所はあった。
ここで、同誌を持っている方のために、訂正部分を記す。
86頁下段8行目…「フリークラス在籍の」→削除(トルツメ)
86頁下段19行目…「フリークラス経験者同士の対戦となった」→「注目の」
87頁下段22行目…「勝ちを決める決め手になる。」→「勝ちを決める一手になる。」
88頁上段5行目…「大野、遅ればせながらの」→「大野の」
89頁中段3行目…「厳しい。」→「厳しかった。」
89頁中段16行目…「大野は▲3九歩と…」→「吉田の△7六桂に大野は▲3九歩と…」
個々の訂正の説明は省く。
パソコンから投稿するときは、これでもう直すところはない、と自信を持って送信するのだが、活字になると、なぜかアラが見えてしまう。これは読者に失礼だったと痛感するのだが、いつも同じ過ちを繰り返す。
さてこの将棋、大野七段は負けた。まるで救いがないようだが、文章の最後は、
「大野は竜王戦の本戦トーナメント進出はならなかったが、ランキング戦には昇級者決定戦がある。大野の昇級の目は、まだ残されている。」
と希望を持って結ばれている。
すなわち、このエッセイはまだ終わっていないのである。
大野七段の昇級者決定戦の相手は、伊藤真吾四段と決まった。伊藤四段は現在、フリークラス脱出を目指す新鋭である。この対局にも、注目したい。