一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2017年ゴールデンウィーク旅行・11

2017-11-16 23:03:54 | 旅行記・G.W.編
15日に湯川博士・将棋ペンクラブ幹事よりハガキが届いた。先日の大いちょう寄席参加の御礼と、閉席後の私とのやりとりの非礼を詫びたものだった。
私は気分を害した覚えはないのだが、ひょっとしたら14日の当ブログを湯川幹事が読み、わざわざ一筆をしたためてくれたのかもしれない。
あの時のあれ、私はジョークのつもりで書いたのだが、活字になると厳しい言い回しになってしまう。こちらこそ配慮が足らなかったと、湯川幹事にはお詫びする次第です。

(きのうのつづき)
西鉄柳川駅前に着いた。駅前にも鰻屋はあるが、もう先へ急ぐ。今回もまた熊本に寄りたいと思う。次の列車が来るまで、ガリガリ君と麦茶を買って喉を潤す。これが美味いのだ。夏は固形物より水分である。
13時49分の列車に乗り、14時03分、終点西鉄大牟田に着いた。次のJR普通列車は14時18分発である。とりあえず駅前に出るが、これといった施設はない。
駅に戻り、18分の列車に乗る。長洲、玉名、田原坂、植木と、いずれも途中下車したことのある駅を通り、15時06分、熊本に着いた。
熊本といえば、何はともあれ熊本城である。時間がアレなので市電は使うが、昨年訪れた時は1日乗車券を購入してモトを取れなかったので、今回はその都度払うことにする。
と、駅の向かいの「くまもと森都心プラザ」で、マイナーアイドルのライブをやっていた。ゴールデンウィーク中のイベントらしい。近くのスケジュール表を見ると、城彩苑で花魁道中があるらしいことが分かった。
私は祗園橋電停まで歩き、A系統の市電に乗った。しばし揺られて、花畑町下車。
ここから歩いて熊本城のふもとに着き、加藤清正像を遠目に写真に取り、城彩苑に向かった。
ちょうど花魁道中が始まったところだった。これは4年前の5月3日に拝見した。花魁がたいそう艶やかで、当時は「来年から5月3日は熊本だ!」と唸ったものである。
しかし実際は無理な話で、以後3年間はご無沙汰していたのだが、今年はなぜか5日に開催となり、タイミングよく鑑賞の運びとなった。
今年の花魁も2人だが、4年前とは違うひとみたいだ。着流しの肩乗せの男性に右手を置き、ゆるり、ゆるり、と歩を進める。確か4年前も夢想したはずだが、花魁を室谷由紀女流二段がやったら、とても映えると思う。
歩道は観光客でいっぱいで、私はまともに写真を撮れない。
一行は中央の舞台に上がった。司会進行の女性が言う。
「おふたりは、貴愛(たかえ)太夫と紅椿太夫です」
繰り返すが、どちらも艶やかである。どちらかは振袖新造から昇格したらしい。私は絶好のシャッターチャンスだが、舞台正面には塀みたいなのが邪魔をして、やはりうまく撮れない。
太夫はランウェイよろしく左右に行ったり来たりするが、私はどちらの花魁を撮ろうか迷ってしまう。
結局虻蜂取らずになり、一行は舞台を降りた。しかし観光客は途切れない。こちら側(左側)よりあちら側(右側)のほうが観光客はいないが、いまからあっちには移れない。
そういえば4年前は、俊敏に右側に動いて、こちらへやってくる花魁一行を余裕を持って撮影した。あの時は見事に先を読んだのに、今年の私はどうしたことだろう。
会社廃業のショックで、思考能力が麻痺したのかもしれない。
とにかく、もうカメラではダメである。私はリュックからビデオカメラを取り出した。ビデオは滅多に使わないが、一応携行はしているのだ。
やっと右側に映り、花魁を撮る。花魁は、ちょっとすました感じ。まさに高貴で、ニコニコ笑っていたら興趣が殺がれる。一通り撮ったら、私はすぐにカメラに戻した。
…あれっ? あの振袖新造は4年前にもいなかったか? 4年前にタイムスリップしたようで、懐かしい気持ちになった。
熊本城にも挨拶したいが、時間がないので今回はパス。遠くからの挨拶のみとした。
ふもとに戻る。明日は鹿児島吹上浜で「砂の祭典」を観るので、今日のうちに鹿児島に入りたい。熊本バスセンターに電話をすると、鹿児島行きの最終は18時30分とのこと。1席予約をしておいた。
近くの広場で「熊本うまいものフェスティバル」をやっていた。小腹が空いたのでちょうどいいが、私は近くのアーケード街に入る。こちらで食事を摂るのが私流である。
ここ、以前は行きつけのうどん屋があったのだが、熊本大地震の被害かどうか、今は更地になってしまった。
蕎麦の専門店がある。「ウエスト」らしいからチェーン店だろうが、だから安定した味、とはいえる。看板に「そば3玉まで無料」の文字が踊っており、これは魅力だ。ここに決めた。
店内は広くて清潔だ。私はごぼう天ぷらそば3玉、を注文する。
出された蕎麦は挽きぐるみぽかったが、麺は細くて食べやすく、何より香りがよい。ごぼ天も山盛りで、私はよろこびを抑えきれない。
ガッツリ食べて650円。これはヒットだった。前夜のうどん屋といい、今回の旅はいい店に当たっている。
熊本バスセンターでチケットを購入する(650円)。ここからしばし時間があるが、純喫茶がない。スターバックス系のコーヒー店はあるが、一見して満席と分かる。
とりあえずコンビニに寄り、遅い夕食用のおにぎりを3ヶ買う。もちろん1ヶ100円である。100円おにぎり、大活躍である。
仕方ないからバス停の近くでじっと待っていたが、雨がポツポツ降ってきた。現在バスセンターは建設中なので、私たちは表で待つよりないのだ。
「特急きりしま号」は定刻に出発した。私は8Aだから窓際の席だが、隣にも人が座った。さすがにゴールデンウィークで、満席に近かった。
バスからの車窓もなかなか楽しいが、私は今宵の宿を予約しなければならない。この時期だから予約は難しいが、楽天トラベルでは「残り1部屋」の表示がチラチラしていて、逡巡したままこの時間になってしまった。
東横イン鹿児島中央駅西口が5,184円で1部屋空いていた。5,000円オーバーはちと痛いが、2日連続のネットカフェもきついので、そのまま予約した。
鹿児島中央駅前には定刻より10分早い21時35分に着いた。駅舎上の観覧車がライトアップされていて綺麗だ。
すぐホテルにチェックインしたが、ここでいろいろあった。




▲貴愛太夫





▲紅椿太夫

(20日につづく)
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2017年ゴールデンウィーク旅行・10

2017-11-15 00:59:23 | 旅行記・G.W.編
(2日のつづき)
今年も博多どんたくを堪能し、さて晩飯である。私はどこかのデパ地下で美味いうどんを食べたことがあり今宵も入ろうと思うが、場所が分からない。
とりあえず宿泊を優先し、どんたくの夜は定番となった「Cybac天神店」に向かった。夜8時ちょうどに入店。今年は珍しく禁煙ルームが空いていた。12時間パックをオーダーし、ブースで一休みした後、改めて外出した。
とあるビル内にあるうどん専門店に入り、ざるうどん(480円)を頼んだ。
提供されたうどんはツルツルしていて、いい喉越しだ。むかし藤田まことが、「うどんは噛まずに飲むものだ」と語っていたがその通りで、喉で味わえた。
この店も私のお気に入りリストに入ったが、再訪できるかどうかは、いろいろな意味で分からない。
Cybacに戻り、のんびり。でもシャワーの予約はしていなくて、11時ごろ受付に行ったら、6~7人待ちと言われた。ブランケットも在庫はなくなっていたし、どうもいけない。
先へ先へ。つねに一歩先の行程に対して準備する気構えが大事なのだ。

翌5日(金・祝)。旅行はあと2日余りになったが、今日5日はほぼノープランである。すなわちどこに行ってもよく、これはこれで楽しい。
2年前は同じ条件で西鉄に乗り太宰府天満宮へ向かったのだが、途中の西鉄柳川でブラバンの音が聴こえ、よほど降りようかと思った。結局初志を貫徹して降りなかったのだが、あの時の逡巡がまだ頭に残っている。
今年こそ柳川に行く。というか、ブラバンの演奏を心行くまで聴きたかった。
Cybacを8時前にチェックアウト。朝食は近くの松屋に入るのが定跡で、ミニうどんがあるあたりは天神店らしいが、肝心の食欲がない。今年はパスした。
天神ビル内の西鉄天神駅に着く。改札はSuicaで抜けた。これなら急な予定変更にも対応できるから便利だ。
大牟田線08時30分の特急に乗る。タイム48分で西鉄柳川に着いた。ブラバンの音がないが、大丈夫。たぶん地元の高校生である彼らは、ゴールデンウィーク期間中、ここで演奏をしてくれるはずだ。
今日も快晴で、暑い。駅構内には2匹の大きな鯉が泳いでいる。今日は「子供の日」である。
駅前に出ると、果たして彼らがいた。「柳川高等学校吹奏楽部」のプラカードがあり、リハーサルを始めた。その数40人近くで、想像以上の規模だ。
やがて本番になり、「この道」を演奏し始めた。「この道」といえば最近話題の、加藤一二三九段の十八番だ。私は念願の演奏が聴けて感動である。高校生諸君、君たちの演奏が聴きたいがために、わざわざ途中下車をする旅行者がいることも留め置いてくれたまえ。
続いて洋楽を1曲。吹奏楽部の演奏は広島、博多とさんざん聴いたのだが、目の前で聴くライブは、別の魅力がある。
「恋」(星野源)、「前前前世」とつづく。さすがに高校生、流行りの歌は逃さないのである。
ジャージ姿の男女が登場し、ハニカミながら恋ダンスを踊る。これがまたよかった。
さらに野球部のパフォーマンス。まさに青春を謳歌しているといえよう。柳川高校に幸あれ。
さて、柳川といえば水郷川下りと鰻のせいろむしである。川下りは1990年3月10日に乗った記憶がある。私も含めて客は13人で、確か川下りの終点が観光地だった。
今回はぶらぶら歩いていく。やがて川に合流した。一艘の舟がやってくる。これが観光川下りである。川下りといっても激流のそれではなく、のんびりと行くやつだ。乗客は10人程度だが、これで満員である。
私は川沿いを歩いているが、舟と速度が同じで、船頭さんのガイドがそのまま聴けてしまう。
川幅は広く、上りと下りの舟が行き違う。
「あそこに見える中学校、俳優の妻夫木聡がそこで1年間過ごしました」
船頭さん、鉄板の小ネタである。これも乗船料金に含まれているから拝聴してしまい申し訳ないが、私のほうからルートを外れるわけにもいかない。
舟は細い水路のようなところをくぐっていった。これも川下りの醍醐味であろう。
…と思ったら、次の道でまた合流してしまった。船頭さんにとっては、まことにいまいましい歩行者の客、というところか。
道の反対側に「水産堂」なる土産物屋がある。ちょっと入ってみたいが、大通りを渡るのが面倒なので、先を急ぐ。
歩道は味わい深くなった。川とのコントラストも素晴らしい。「道」の顕彰プレートがあった。この道は「日本の道100選」なのだ。
途中に神社があったので、寄り道する。川下りにはできないことである。
日吉神社は、意外に大きい規模だった。御朱印を所望したら、御朱印帳ではなく、別紙に書くものだった。その額500円! 御朱印は300円が相場だから、かなり高い。もっとも御朱印のサイズも、通常の倍あった。それだけ御利益(ごりやく)があるということだろう。
その後も川沿いを歩き、終点に着いた。ここが柳川のメイン観光地で、観光客の数がすごい。今までの静寂がウソのようである。
名勝立花氏庭園、通称「御花」がある。ちょっと入ってみたいが、有料なので止めておく。
屋台もいっぱい出ていて、「はしまき」なる名称が多い。お好み焼きをクレープ状に丸めた感じか。
それにしてもいい天気だ。「暑かですねえ」「今日は特別暑かですねえ」と地元のおっちゃんの会話である。さすがに味わい深いイントネーションである。
沖端水天宮があったので、寄っておみくじをひく。何だかよく分からないが、係の人がおみくじを開いてくれた。私はめでたく大吉だったが、これを額面通り喜んでいいのか?
昼時なので、食べ物屋はどこも一杯である。柳川のせいろむしは、鰻を蒸して錦糸卵を載せた異色料理。柳川でせいろむしを提供する店は24軒あり、この界隈でも10軒以上ある。今も長蛇の列ができているのは若松屋で、前に一度食べたことがあるが、若松屋だったか定かでない…。
ただこの行列を見ては、回避するしかない。
屋台で梅ヶ枝餅とはしまきを買う。計320円なら安いものだ。行きにコンビニでおにぎりを買ったから、これで立派な昼食である。
駅に戻ることにする。川下りの舟に、白無垢の花嫁さんと花婿さんが乗っていた。これも柳川川下りの名物なのだろう。花嫁さんは藤原紀香似の美人だ。花婿さんはしてやったりというところだろう。あっちこっちから拍手が起こり、ちょっと私も、幸せな気分になった。
しばらく歩くと、大きな広場にあたった。柳川高校のグランドに通じているようだが、柳川城址のようだ。実物大?の天守閣のパネルがそびえていて、背後の鉄組は祭りの準備だろうか。
いささか疲れた。このまま徒歩で駅まで行くのは建設的ではないので、ここからバスを使う。
このバスが満員で、なぜか外国人が多かった。外国人観光客が本当に増えた。
数分で柳川駅前に着く。市内料金だからだろうか、バス代170円は安かった。























(つづく)
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北村桂香女流初段と和田あき女流初段に似ている芸能人

2017-11-14 00:51:55 | 似ている
日付変わって今日11月14日は、北村桂香女流初段22歳、和田あき女流初段20歳のお誕生日。おめでとうございます!!

まず北村女流初段は、歌手の夏川りみに似ていると思う。
夏川りみは1973年10月9日、沖縄県石垣市生まれの44歳。
幼いころから歌を歌うのが好きで、各地の素人のど自慢で優秀な成績を獲る。
中学生の時に上京したがヒット曲に恵まれず一時帰郷。1999年に東京で再デビュー。2001年、「涙そうそう」が大ヒットし、翌年の「NHK紅白歌合戦」にも出場した。以後は着実に音楽活動を続けている。
北村女流初段と夏川りみは、目のあたりが一瞬似ていると思う。夏川りみは現在のイメージしかないが、若いころの彼女と照らすと、もう少し北村女流初段に似る。

和田女流初段は、女優の二階堂千寿(ちひろ)に似ていると思う。
二階堂千寿は1969年9月23日、東京都生まれの48歳。
2歳の時に児童劇団に入る。
1980年に放送された日本テレビ「熱中時代教師編2」で川瀬みね子役を好演し、一躍全国区となった。
川瀬みね子は礼文島出身の設定で、当時中学生の私は、礼文島は遠き島という印象だった。その10数年後私が一人旅で礼文島を訪れ、さらに20数年後、植山悦行七段、大野八一雄七段らと再訪することになろうとは、夢にも思わなかった。
二階堂千寿はその後もテレビドラマを中心に活躍しているが、連続ドラマの代表作は「熱中時代」のみのようである。
和田女流初段と熱中時代出演時の二階堂千寿は、顔の雰囲気が似ていると思う。
誕生日は1年で特別な日だが、とりわけハタチは格別のものであろう。和田女流初段もこれで大人の仲間入り、何をやるにも一人前として扱われる。とりあえず、酒を堂々と飲めるのが大きい。もし今後食事会があったら、その時は酒を出しましょう。

北村女流初段も和田女流初段も若い。これから青春を謳歌してください。
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大いちょう寄席(後編)

2017-11-13 09:53:31 | 落語
この後は3時半から懇親会である。スタッフの誰かが、「このまま帰る人は、近くで芋煮会をやっているので、それを食べていってください」と言った。湯川恵子さんが来て私に芋煮を勧めてくれたが、私は懇親会に参加するのだ。でも本当に、帰っちゃおうかと思った。
湯川博士氏が来る。
「あれっ? 大沢君、キミ、ここで寄席があることをどこで知ったの?」
「は? 先生、先生からお知らせをいただいたんですが」
「ああそうだったそうだった」
どうも私は、まだ正確に認知されていないらしい。「いやほかの会員から出席の連絡が来ないから、どうなることかと思ったよ」
この落語会は、事前の連絡が必要だったのか? 知らなかった。
懇親会は隣の部屋に席が設けてある。将棋ペンクラブ会員の島があり、私はそこに案内された。しかし、知己がいないのは前述の通りである。
それでも50人以上は集まっただろうか。開会まで時間があるので、周りの人と何となくしゃべる。同じペンクラブ会員でも温度差があって、会員だけど湯川氏の編集後記しか読まない、という人もいた。
まずは寺本俊篤住職の挨拶。お寺で落語は珍しい試みだったが、成功に終わってよかった、という感じだった。
続いて乾杯となる。私の向かいにはいつの間にか湯川氏が座っていた。乾杯の音頭は地元の人だったが、ちょっと話が長い。
将棋ペンクラブでも、大賞贈呈式でみんなにグラスを持たせたまま長々としゃべる手合いがあるが、乾杯の挨拶は一言でいいと心得てほしい。
私たちの前にはつまみが並んでいるが、この庭で取れた銀杏が数個串に刺さっている。これを一粒食せば寿命が10年延びるという。
酒が入ればみんな席を移動する。ちなみに私は不動を貫くほうである。木村晋介会長が一升瓶を持って私の前に来た。
「この酒が美味いんだよ」
とついでくれて、恐縮である。ちなみに私は、ヒトに酒をつぐことができない性分である。
木村会長には4年半前、湯川氏を通じて、矢内理絵子女流五段の指導対局+桂扇生の独演会に招ばれたことがある。だがあの時は軽く挨拶をしただけで、とくに話はしなかった。
ヒラの会員と会長の関係はそのくらいのモノである。同じ理屈で、私のようなアマ棋客が棋士と話す、というのも、本来はもってのほかだと思う。住む世界が違う。
「先生今日は素晴らしい噺でした。私も思わず笑いました」
「そうかいありがとう」
「噺の途中で何回か爆笑があったでしょう。それほどおもしろかったということです」
「客の笑いは分かるからねえ。ああここでウケるのか、と思ったりした」
「今回の噺は先生が自ら選ばれて?」
「『片棒』は湯川さんのリクエストだった」
「和光市の長照寺とか浅草今半とか現実のモノが出てきて、あの脚色が素晴らしかったです」
「あれは行きの電車の中で、ここにあれを入れようとかこれを入れようとか考えてね、ウケてよかったね」
木村会長も満足そうである。
「先生、先生のご著書に、推理小説の不備を見つけて指摘するのがありましたよねえ。あれは笑いました」
「『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』だね。あれは題材にしている小説を実際に読んでいる人のほうが笑えるんだよ」
「……」
私は図書館から借りて軽く読んだだけで、批評されている小説もほとんど読んでいなかった。しかも借りたのがずいぶん前で、記憶が風化してしまっている。私は余計なことを言ったかと後悔した。「先生、でも松本清張のような大御所は批評されませんでしたよねえ」
「したけど…読んでない?」
「ヒッ…」
「ああ、松本清張は2作目だったかな。『キムラ弁護士、小説と闘う』ね、こっちでやったかもしれない」
2作目があったのか。どうもさっきから微妙に会話が噛みあわず、私は会長本の未読がバレそうでヒヤヒヤしている。
「先生お好きな作家はどなたですか」
「宮部みゆきはよく読むね」
「ああ、あの方は江戸の推理物も書いてますしね」
その後木村会長は高村薫「マークスの山」の序盤の不備などを熱っぽく語ってくれたが、私は相槌を打つので精一杯だった。木村会長も、話し甲斐のないヤツだなあ、と訝ったことであろう。

閉会は5時だが、その前にみんなそろそろと帰り始める。私も中座することにした。
美馬和夫氏の姿があったが、知己ではないので挨拶しなかった。
表へ出ると門の前に湯川恵子さんがいて、再び芋煮を勧められた。それは向かいの敷地でやっていた。
ここまでけっこうつまんだから腹も一杯なのだが、タダだからついいただいてしまう。芋煮は大鍋で煮られていて、お椀に大盛りでくれた。
味はサッパリしていて、美味い。汁を全部飲んでも塩分摂取過多にはならないだろう。
近くに大きな柿の木があるので愛でていると、オジサンがやってきた。話のスジから、この柿の木の持ち主らしかった。
ウチにも桃の木があるんです、と私は言って話も弾み、意外と楽しい懇親会となった。
というわけで、大いちょう寄席も終了。平日の開催なら私はもう参加できないが、地元密着のイベントなので、これからも継続するだろう。
ただ将棋ペンクラブ会員としては、年末の風物詩だった「将棋寄席」を、復活してもらいたいと思った。
帰りは駅まで徒歩、電車は東武東上線を利用した。
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大いちょう寄席(中編)

2017-11-12 01:48:16 | 落語
10、11日は、血圧が上がる大失敗を立て続けにやってしまった。
こうも巡り合わせが悪いってことがあるのかねえ。すべては自業自得なのだが、他人から見たら大した出来事ではないので、「そのくらいなんだよ」と片づけられそうなのが悔しい。
この話は、後日アップします。

(きのうのつづき)
高座の両脇に第1部の出演者が揃う。まずは司会・石川英俊氏のスピーチ。
「明日11月1日は何の日かご存知ですか」
11月1日は、鹿野圭生女流二段の誕生日だが…。「それは古典の日です。今日は古典芸能を楽しみましょう」
続いて寺本俊篤住職の挨拶。まだ若く、30~40代であろう。
「こういう畳の席での寄席は珍しいと思います。畳に触れる、ということが大事なんですね。皆さん休憩の時は、大の字になっていただきたい。畳の良さを味わってください」
鳥飼八五良氏は、ここ長照寺で寄席が行われる経緯を述べた。
なお本日はJ’COMのカメラが入っており、後日ニュースで放送されるとのことだった。
それにしても、客は年金生活者ばかりだ(失礼)。そこに現役バリバリでいなければならない私が闖入しているのがおかしく、私の場違い感は否めない。
しかも周りを見れば知己が一人もいない。これで3時半からの懇親会に出るってどうなんだろう。和光市の人と親しくなっても意味がないのだ。せめてこの出欠伺いが仲入りの時に行われていたらと思うが、それを言っても詮無い。
第1部は構成吟「奥の細道」。松尾芭蕉が「奥の細道」で詠んだ句を、行程に沿って吟じていく。ナレーションは森田美風さん。
吟者は8人で、一番手は湯川恵子さん。恵子さんは知る人ぞ知る美声の持ち主である。
「くさのとも~」
私はのんびり聴くのみ。以下寺本住職「行く春や」、石川氏「あらたふと」と続く。
私は「出演者・演目紹介」のプリントをもらっているが、さらに構成吟の内容文を持っている客もいる。これは私はもらわなかった。要するにプリントがなくなってしまったのだろう。
以下、「夏草や」「閑かさや」など、私でも知っている句が吟じられ、束の間の旅気分を味わった。
ここで仲入り。スタッフさんが、演目紹介のプリントを配っている。これは数を刷ったものの、それすらも途中でなくなってしまったということだろう。
第2部は「落語」。トップバッターは仏家シャベル(湯川博士)「粗忽の使者」。
「私は学生の時に和光市に越してきまして、以来50年が経ちました。もうすっかり和光の人間です。ウチで落語を演る時は20人くらいお越しいただくんですが、本日はお陰さまで100人以上のお客さまに来ていただきました」。
そんなに来たんじゃ、プリントもなくなるわけだ。
マクラの後に演題の内容をサラッと紹介し、落語が始まった。
「粗忽の使者」は、「じぶたじぶえもん」という侍が上司の親戚筋に挨拶に行くのだが、家老が挨拶に出ると、じぶえもんは「口上の内容を忘れてしまった」と言う。
じぶえもんは、自分のお尻をつねってくれれば思い出すかもしれないと、家老につねらせる。
シャベル氏の話はふだんの語り口とそう変わらないので、こちらも構えずに聞ける。酒の席での世間話の延長のようだ。
お尻をつねるくだりは多分この話の山場で、シャベル氏の身振り手振りも熱が入る。私たちはクスリとさせられる。
下げも決まって、シャベル氏安定の出来であった。
2人目は参遊亭遊鈴(女流)「赤とんぼ」。プロフィールには「茅ヶ崎在住。落語研究会主宰」とある。茅ヶ崎からの遠征とは、よほど湯川氏に出演を熱望されたのだろう。
「赤とんぼ」とは、桂文枝の創作落語らしい。この類の寄席で、創作落語は珍しい。
話は、ある会社の社員が、仕事中に童謡を口ずさむ。すると同僚が、「そんなのを上司に聞かれたら大変だぞ。上司は異常な童謡好きだから」と言う。
結局彼は上司に童謡好きがばれ、上司と童謡酒場に行くのだが…。
遊鈴さんは女性らしい語り口で、こちらは落ち着いて聴ける。
話の中でいくつかの童謡が歌われるが、その歌詞に「間違い探し」の趣があって、私たちは歌詞のうろ覚えにハッとするのだ。
私たちは郷愁を感じつつ、しみじみ聞いた。
トリは木村べんご志(木村晋介)「片棒」。
木村べんご志氏は本業が弁護士で、今をときめくタレント弁護士の走り。土曜の昼に放送されていた「7人のHOTめだま」では、毎回ユニークな持論を展開していた。
先日の社団戦にも元気に出場していたが、勝敗はどうだったのだろう。
話は、ある大問屋の主人・ケチ兵衛はその名の通りケチで有名。ある時3人の息子・金太郎・銀次郎・銅三郎を呼び寄せて、もし自分が死んだらどんな葬式を出すか問う。三者三様の考えがあって、その違いがおもしろい。
べんご志氏は葬儀の寺に長照寺を入れたりして、爆笑を得る。浅草では「浅草今半」の名前も出てきた。実座の店舗が出ることで、私たちも親近感が沸くのである。このあたりのカスタマイズはうまい。
べんご志氏も身振り手振りを大仰に交え、客席は爆笑の渦である。J’COMのカメラマンも、撮影に力が入っているように思えた。おもしろい。
下げも見事に決まって、やんややんやの大喝采。私は何度かべんご志氏の落語を聞いているが、今回はいちばんの出来だった。
(つづく)
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