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朝鮮王朝 整理整頓

2016年05月06日 10時53分20秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

朝鮮王朝は代々世襲制で、王家の氏は「李」(韓国ではイ 朝鮮ではリ)

今の北朝鮮と韓国を併せた国で、現在も南北互いに統一したいと争っている

朝鮮国は14世紀末に建国、1910年に帝国日本に併合されるまで520年続いた

その大部分が王位奪取の争いであった、つねに現在の中国の影響下におかれ

新たな王や皇子を決めるのも中華の支配者に承諾を得なければならなかった

日本や中華では最高地位は帝であるが、朝鮮は王であり、中華の圧力で帝を名乗ることは

許されなかった

中華中原の支配者は漢民族ばかりではない、満州族やモンゴル族など北方の民族による

中原支配も起こった、元(蒙古)、清がそういった国である、それらにも朝鮮は従った

それで国内の平和と限定された独立を維持することが出来た

 

朝鮮の前の王朝は高麗王朝で氏は「王」(ワン)

初代の朝鮮王となった「イ.ソンゲ」は高麗の軍団長だった

当時の大陸中原(中国)では漢民族の「明」が、勢力が衰えた支配者「元」を

北方に追いやろうとしていた

高麗は元に義理を張って、明を征伐しようと「イ.ソンゲ」などの軍団を送った

しかし諸事情が重なり、「イ.ソンゲ」ら征討軍は反旗を翻して高麗の有力者を襲った

そして高麗王朝を有名無実化させて実権を握った

徳川家康が関ヶ原合戦で勝利した後、豊臣政権下で実権を握ったのと同じパターンである

だが、高麗の官僚や軍人が多く生き残って全国に散らばり、地方の権力者にはイ.ソンゲに

従わないものも多く、安定した国家ではなかった

そのため、多くの反乱が起き、その度に綱渡りのきわどい討伐を余儀なくされた

そして多くの血を流した

イ.ソンゲはそんな生活に疲れ果てて、二男に王位を譲って隠居した

しかし勇猛で戦闘的な五男のイ.バンオンが高麗を完全に滅ぼし

「朝鮮王朝」を確かなものにした

バンオンは権力欲が強く、初代イ.ソンゲ(太祖)の策士だったチョンドジョンや太祖が可愛がり

王位に就けようとしていたバンオンの腹違いの弟たちを次々に殺害した

さらに実の弟もライバルと見て有力な弟を殺害した

そのためバンオンが王(太宗)となっても、父、太祖はバンオンを許さなかった

バンオンは温厚な二代王から譲位という形で三代王になった、二代目は2年あまりの

中継ぎでしかなかった

太祖は北方に一代勢力を持って、太宗を王と認めようとしなかった

しかし最後は折れるしかなかった

太宗の跡継ぎは長男に決まっていたが、長男と次男は三男を推して長男は世捨て人のように振るまい

太宗の怒りを買い、次男は仏門に入ったので三男が王位に就いた

ハングル文字を開発し、朝鮮王朝最高の王とたたえられた「世宗」である

世宗の長男は順調に五代王「文宗」となったが病弱で2年で亡くなった

六代王には息子が(端宗)王位についた、しかしまだ少年であったため、文宗の弟であるスヤン大君が実権を握った

三年後には無理矢理スヤンに譲位をさせて七代王世祖となり、端宗を地方に流した

その後、こうした行為に反発する官僚や武人を、策士のハンミョンフェ等の策謀で次々に粛正していった

ついには端宗にも毒を飲ませて殺害した。

三代王の太祖と肩を並べる残虐な王であった

しかし悪病にとりつかれて息子に譲位(睿宗)した

しかし睿宗も親の因果か一年で亡くなった

九代王は世祖の傍流孫だった成宗が就いた、まだ少年だった、しかし妃の父は権力者のハンミョンフェだったので

政敵もなく、成人してからは善政をしいて国内を安定させた名君となった

ただ後妃のユン氏を廃位して、賜薬で殺害したことが後の王朝に一代悲劇を生むことになった

10代王は成宗と殺害された廃妃ユン氏の息子、ヨンサン君だが、母の死は秘められていて王になった後もずっと平和に暮らしていた

ところが事実を知った為、母を貶めたり殺害を実行したものたちを次々と捕らえて残酷な処刑を行った

ドラマ「テ.チャングム」ではチャングムの父も捕らえられるシーンがある(ユン氏を護送した兵士だった)

成宗の後宮(正妻に準ずる妃)2人も殺害された

そして美貌のキーセン、チャンノクスに入れ込んで政治を顧みることがなかった、そのためついにクーデターがおきて

ヨンサン君(燕山君)は廃王とされた(こうした不祥事の王には宗とか祖の贈り名はされず、君のままに留め置かれる、他には

光海君がいるだけ)

クーデターで王位に祭り上げられたのがチンソン大君だった、11代王中宗である

中宗は「チャングム」のドラマではチャングムに目をかける優しい王で描かれる、妃に迎えようともする

燕山君の暴政に怯えていた異母弟だった、クーデターを起こした実力者に担がれたため実権はないに等しい

王であったようだ。