小学生の頃までは至る所に大東亜&太平洋戦争戦争が残っていた
今になって思えば大日本帝国は2方面の戦争を遂行していたのだ
大東亜戦争は中国、英国、佛国、蘭国などを相手に東南アジア及び中国大陸
での戦争だし、太平洋戦争は米国、豪国を相手に太平洋の各地で戦っていた
この小さな国が、これだけの広い地域で数えきれぬ国を相手に3年半も戦争を
したのだ、中国との戦争を考えればまだ数年さかのぼる
話を戻そう、戦争の面影は戦後生まれの私にも感じられた、小学校に上がる前までわが家の
唯一の娯楽「ラジオ」から「尋ね人」という放送が流れていたのを記憶している
「尋ね人の時間です・・・・***に住んでいた***さん、***の***さんが探しています」
のような放送だったと思う
その時はただの放送だと思っていたが、父にしてみれば10年ほど前に空襲で行方不明になった
両親とおばさんと、隣のお姉さんの名前が聞こえてくるのではないかと藁にすがる思いで聞いて
居たのだろう。
今思えば、せつない事だったのだ、「昭和は良かった」とばかり言っていられない
父が除隊したときに航空兵からもらったという耳付きの航空帽があった
それをかぶると温かくて、そして偉くなった気がした、時にはそれをかぶるとなぜか鞍馬天狗の
気分にもなったものだ
それから戦争の残した物と言えば、近所のあちらこちらに防空壕があった
大概の防空壕はその頃には、商店や農家の物置として使われていた
中にはかなり深い防空壕もあった、ただこの何も無い田舎町に爆弾が落ちたという記録は無い
しかし隣接の港町には多くの機雷が撒かれて、戦後打ち上げられた機雷の処理を誤って
警官や見物人が数十人死んだ事故が発生している、特に子供が多かったと言うことだ
小学生の時の子供雑誌には、戦争の記事がたくさん載っていた
「加藤隼戦闘隊」「撃墜王坂井三郎物語」「空の王者ゼロ戦」「世界一の戦艦大和」などなど
中でもマイナーではあるが「イ-500型潜水艦」は一番誇りに思えた
アメリカまで行って砲撃したとか、飛行機を摘んでいる潜水艦とか、それは目を見張るものだった
とにかく勝った記事しか載っていなかったから、とても戦争に負けたなんて思っていなかった
「日本は世界一強い国」だと子供ながら誇らしかった
戦争に負けた事を実感したのは多分高校生になってからだと思う
小学生の時には自分の祖父母が東京大空襲で死んだなんて思っても居なかったし
亀戸の家も焼けて父は21歳で住むところも親も無くなったなんて全然知らなかった
広島と長崎の原爆投下も、南洋や北の島での玉砕、全滅、飢え死に
戦後の戦犯の絞首刑、沖縄と千島列島、北方四島が戦利品としてとられたこと
そして戦った兵士の大部分は職業軍人では無く、魚屋や大工や町の職員、要するに普通の市民
だったこと、戦争は勇ましだけでは無く、悲惨だったと言うこと・・・・
戦中、戦後うまれの日本人はたいがい「バカな戦争だった」という
だが、実際に戦場で悲壮な戦いをしてきた我々の親世代は口をつぐんで何も言わない
勝ったとも負けたとも、悲惨だとも、悲しいとも決して言わない
だが一度だけ言った
「オレたちに、あの戦争は無駄な戦争、無謀な戦争だったとか、だまされたとか言わないでくれ」
その悲痛な叫びはきっと「自分たちが信じて歩んできた青春時代と生き様を、価値観の違う別世代に
頭ごなしに否定される腹立たしさと悲しみなのだと思う。
その世代その世代で時代背景は異なる、その時代を生きた人で無ければわからない
様々なしがらみ、条件、社会環境、国際関係、しきたりなどなど
別世代が知ったかぶりの評論家になって、泥靴を吐いたまま遠慮なしに立ち入ってはいけない場所だ
自分の世代が一番正しい生き方だと思い込んではならない。