神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

台湾2017.6(5)

2017年06月24日 12時19分14秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

海鮮の昼食が終わったら、もう3時だった、これからまた一時間車で移動

なかなかお買い物の時間も無いので、台北市内の三越に行くことにした

ここは35年前にも行った、あのときは60人のツアーで大雪で成田に一時間近く遅れて

もうダメかと思っていたのに、機長判断で一時間近く飛行機の出発を遅れさせて待っていてくれたのだった

台北での最終日は団体から離れて5人の仲間で台北の裏町散策、腹が減ってステーキでも食べようと

行ったのが三越と現地法人の合弁デパートだった

当時の様子とは全く違っていた、ここで友達が買い物をしたが一時間以上かかった

私は買い物はさっさと片付ける方なので、することもなくデパートのトイレや非常口の見学をして時間つぶし

わが家では旅行のお土産はいらない。または最少に押さえるというルールが父の口から出て以来

ほとんどお土産は買わない

ようやく買い物が終わったが3時まで食事をしていたのでお腹はすかない、それで時間つぶし腹ごなしで

昨日もいったマッサージ店でまたマッサージをすることにした

今日はフェィスマッサージのオプション販売、もともと美しい顔?だからお断りして全身90分だけにした

さあ台北最後の夕食は何にしようか? 店を見て回る

串カツ、台北まで来て大阪名物?いらんわ!

ウナギ店もある、考えてみたら我が店のウナギも台湾産だ、あとで思ったがこれにすれば良かった

牛肉ラーメン、憧れの台湾ラーメンか・・・・・・ということでここにした

台湾の人はビールを飲みながらラーメンを食ってる、オレたちはつまみでビールを飲んで、〆にラーメンだ

これは台湾人からみればおかしい様だ、晩酌という文化はないのだろうか?

塩味と醤油味があった、麺はうどんと言った方が良い、醤油味は脂が多くてくどい、塩味は結構いける

台湾にきて食事をしていて、いつもなにか足りないと思っていたが塩分がほとんどないのだった

日本人の塩好きを実感した。 餃子は半月型ではなくほぼ四角形だった、これはなかなか美味い

アルコールやつまみは客が勝手に冷蔵庫から持ってくる仕組みだ、スーパードライを見つけてやっと

ビールらしい味が楽しめた。

この店もありふれたラーメン食堂でまったく日本人の姿は見えない、今回は徹底して現地の味を

追い求めたが、観光用の店の方が日本人向けかも

日本のラーメンはもはや日本文化だけど、このあっさりしたラーメンも良いかも

   

おいしかった餃子

これはウィンナーソーセージ

 

腹ごしらえが終わって、今度は台湾名物の屋台見学だ、バイクが車道の半分を占拠して車は恐る恐る走っている

タクシーに乗ったら、運転手さんが大の日本好きで、千昌夫が大好きと言って、CDカラオケを流して2曲ほど

歌って見せたが、なかなかの腕前だった

  

 

夏祭りの様な屋台街を抜けたら、汗びっしょり、冷たいものでもと思ったら

アイスデザートの店を発見

アイスクリームタイプとかき氷タイプがある

甘いのは~~~どうも~~~と思って、恐る恐る食べたけど、これがぜんぜん甘ったるくなく

ミルクの味が絶妙、ほんと美味しい 今回の旅行中最高の味だった

大きな丼、一つ完食 次回があればまた行きたいな

それにしてもハードな一日だった、シャワー浴びて缶ビール一本飲んだらバタンキュー

朝まで目が覚めなかった

翌日は9時半にホテルを出発、友達はまだお土産が足りないとかでまずは免税店へ直行

ここでまたすったもんだで一時間、飛行場でまたまた買い物、よくよく買い物の好きな友達だ

何回か同行しているが、今回はちょっとテンションが高い

飛行機往復で「きみの名は」を見終えました

高校生男女の魂が入れ替わるのはありふれているけれど、3年のタイムラグというのが「みそ」

評判どおりぞくぞくしたけど、歴史の事実が変わるのは「バックtゥザフューチャー」ぽいかも

 

ようやく日本に着いたが、今度は別の仲間がデパートで買い物したいって、だけど時間が無くてアウト

帰りは1万円贅沢して新幹線のグランクラス、始めて乗って見た

なんと我が町まで我々以外グランの乗客なし、それなのに2人の客室係がサービスしてくれた

帰りのANAの和食とグランクラスのサービス食事

北陸新幹線グランC  ビールやワインのサービスも

ANA

グランクラスに乗ると体がだらしなくなってしまう、特に他の乗客がいないと

行きにはもったいないけど、旅行帰りには良いよ、楽だね

 


勉強するってことは大切だと思う

2017年06月24日 08時38分17秒 | ライフスタイル

僕らは田舎で育った

小学生の頃からもう「ガリ勉」を軽蔑する風潮があった

野球がうまい、橋幸夫の歌を真似る奴、飯田久彦のロカビリー

ギャグを飛ばす奴 喧嘩が強い奴

そんなのばかりモテモテで、勉強ができる男の子には「あいつは女だ」なんて

侮蔑の言葉

だけど京都市から転校してきた男子、まず京都言葉に、きょとーん?

勉強できる、それを当たり前の顔で威張りもしないし得意顔でもない

たまに80点か90点まぐれでとって得意になっている我々と明らかに違った

誰も彼をからかわなかった、しかもみんな彼に優しい

か弱そうな男の子だったけど利発な顔で人当たり良く、いつも困っている様な表情

田舎の男子に父性本能が芽生えた瞬間だった

同時に、田舎の外には大きな世界があることも知った瞬間だった

とにかく東京へ始めて行ったのは中学2年生、東京育ちの父は「ここも変わった」

などと言いながら都内をすいすいと迷いもせず移動していく、かっこいいと思った

東京タワーができて6年、憧れのタワーに登って大喜びだった

 

中学生になって遊んでばかりいるグループ、スポーツに打ち込むグループ、大学進学や

公務員を目指すグループなどがはっきりしてきた

最後のグループは大人びた奴らばかりで、何かというと先生と話している、先生も熱心に

応えていた

私の様などっちつかずのグループもあって、俗に言う先生に印象のない目立たない生徒たち

当時何を考えて生きていたのかというと、将来のことはほとんど考えていなかった

高校や大学には行くつもり、というか行って当然だと思っていた

怖い物知らずで、友達には「オレは慶応に入る」などと言っていたのだが

行きたければいけると思っていた、入試や授業料などのことは全然考えていなかった

勉強は夏休みの宿題以外した覚えがない、小学生時代は5月生まれと言うことで脳みその発達状況も

体の発達状況も並以上だったから、それで良かったが、中学高学年になると勉強する生徒と

しない生徒では明らかな差がついてきた

大学進学を目指す生徒と、就職目指すけど勉強続けたい生徒が望む普通高校、

就職組で手職をつけたい人の工業高校、大学へ行かずに店を継ぐ商人の子は商業高校

ちょっときわどい成績の子が目指す高校や、そこも危ない子が目指す私立高校と

15歳にして人生の出発点が区分された

幼稚園から15歳までの10年少々の間に、持って生まれた能力+勉強努力の差ができたのだ

社会の上位を目指す連中は、既に競争社会の厳しさを小学校高学年から実感して対処していた

しかし低位に行くほど世の中の非情な仕組みに無関心、あるいは気づかなかった

その中間は無難な普通のコースを進んで行く

 

子供は親を選べない、普通であれば普通以上の人生を送れたはずの子が、どうにもならない親を

持ったためにはぐれた人生を迎えた例も多い

いつも同じ汚れた服、ぐしゃぐしゃの髪、そんな女の子がいた、みんなにからかわれ虐められ

ある日、日帰り旅行、みんなきれいな服を着せてもらって駅に集合、そこに汚れた女の子がリュックも

持たずやってきた、手には自分で握ってきたらしいおにぎりが一つ

それなのに、親が追いかけてきて先生が止めるのも聞かずに、女の子を叱りつけて連れ帰っていった

衝撃的な出来事で今でも忘れられない

この女の子と、にいさんの後年は知っているけれど書かない、よほどの性根が無い限り

そんな道に行ってしまうのは仕方ないのだろう

そこまでの道人生を考えると、我々にわからぬ苦労の連続だったと思う

 

愛情ある親をもてたことだけでも幸せだ

だがこの年になって見て、様々な場所や場面に出かける様になると人間の格の違いというものを

嫌と言うほど見せつけられる、特にスティタスと言う奴はどうにもならない歯がゆさを感じさせられる

落ちぶれていても、育ちの良さは私に遥か上を飛んでいる、どうにもできないことが多すぎる

私が知らない言葉で楽しく話す人々、隣町に行く様に世界を飛び回っている人々

カードだけで現金など持ち歩かない人たち

財布に数百万入れて盆栽などを買いに来る人

上品でキリッとして近寄りがたい人たちのイベント

60年の人生の中で、いつこれだけの差がついたのだろうか、スタート地点がそもそも違っているのに

努力をしなかった、高い志を持たなかった、ありのままの生活で満足していた

もし「女優と結婚するぞ」という信念を中学時代に持っていたなら人生は変わっていただろう

 

親戚の女性は相撲界の大関と結婚すると言って、毎日の様に国技館に通って大関は無理だったが

十両力士と結婚した、今も彼は角界で裏方として活躍している

願えば叶う、このことを子供の時に知っておくべきだった、また教えてくれる大人と出会うべきだった

せめてこれからの子供に教えてやりたいと思う。