父の家の押し入れの中、捜し物をしていたら、大きなボール箱を見つけた
もう、すっかり何もかも整理したつもりだったのに、こんな大きなものを見落としていた
50センチ真四角で30センチほどの高さ、引っ張り出した、重い
蓋を開けたら、アルバムが数冊入っている
今は亡き母の字で「思いでの写真」と書いてある
1ページめくったら父の写真が出てきた、二枚あった、あとは全て母の写真ばかり
大正13年生まれの父は、20歳の時に調布で兵隊になっていたが、その年の
3月10日に当時の城東区亀戸の家は両親もろともアメリカの爆弾で焼かれて無くなってしまった
そういった事情で家にあった写真はすべて焼かれてしまったのだった
親戚から数枚だけ自分が写っている写真をもらって、今の田舎町にやってきたのだった
これまで二枚だけ見た、一枚は東京の継父と実母と3人で写っていた、多分15歳頃
もう一枚は母と二人で写っていて、これは東京に出て間もない10歳頃だと思う
どちらも坊主頭でにこりともせず、少しふてくされた顔で写っている
10歳で、もう家を出て一人で生きていこうという覚悟が見て取れる
12歳の時継父を嫌って住み込みで神田三崎町に就職したのだった
今回見つけた二枚は、一つは継父と実母、継父の弟(叔父)と奥さん(叔母)と、その長女、
まだ子供だ、そして父の二所帯6人だ
父と10歳も違わない叔母さんは多分25歳くらいで、芸者ともバーの女給だったともいう容姿
そのもので今の世でも通じる妖艶な美しさである
娘(血縁の無い従妹)は父より12歳年下で、大人の彼女に会ったことがある、屈託のないチャーミングな
東京の女性だった
スマートで優しい男性と結婚して、時には喫茶店をやってみたりしたが、職業にも住居にも
固執せず子も持たず、自由気ままに二人で楽しみ、好きな場所を点々と移動したのは父親と
同じであった。 そんな彼女も十数年前に認知症になって施設に入ったと風の便りを聞いた
もう一枚は知らない男女4人と多分、軽登山をしているだろう珍しい写真
父は十代で他の人は年上だ、神田か、その後の品川田町の会社の人たちとの写真と思う
やはりどちらの写真も笑顔はなく、父の屈折していた十代を写していた
父は人前で馬鹿笑い、高笑いをしたことが生涯一度も無い、声を出して笑った所を見たことがない
少年時代に形成された性格は、2~3歳で両親と別れた寂しさが作り出したものだと思う
父が笑顔で写っている記念すべき最初の写真は私が小学校に入る前、家族で撮った写真だ
それ以後、魚屋仲間と写る写真には笑顔が多い、この田舎にきて初めて人の温かさに触れたのかも
しれない