北信越5県(福井、石川、富山、新潟、長野)関西圏と関東圏が混じり
JRも東と西が混在、フォッサマグナで新潟、長野 富山、石川、福井とプレートが別れる
県をまたぐ移動はしないで下さい、と国は言う、これは不公平だと思う
福井と富山は狭くて県民の県内移動などあっという間に限界になる
石川は思いのほか能登半島は奥深い、だが面積が全国4位の長野県、5位の新潟県民は広い県内を縦横に移動できる
新潟で仕事を午前で済ました私はチャンスを得た、新潟県の北部、新発田城、村上城を見たいと思っていた
それと新発田から福島、新潟県境の阿賀町に抜ける赤谷線を20歳ころから走りたいと思っていた
なぜかはわからないが、とにかく行きたかった、とうとう二つ同時に出来るチャンスがきた
ざっと所要時間を計算したら充分に間に合う、天気は快晴、明日から崩れるらしい
新発田城
思ったより広い前庭 草むらが広がる
市民が10人ほど思い思いの場所でくつろいでいた、
御弁当を食べている人も、そういえば12時ちょうどだ
新発田といえば赤穂浪士の英雄、堀部安兵衛の故郷だとか
浪人中、お江戸でおじさんか誰かの仇討ちの助太刀をした
こっちは3人、向こうは倍以上だが安兵衛は数人を叩き切った
おじさん? は仇討ちを果たすことができた
これを知った赤穂藩の武士、剛直な堀部弥兵衛じいさんが
安兵衛(中山安兵衛)をすっかり気に入って
ぜひ娘の婿になってくれと懇願、婿入りして堀部安兵衛となる
しかし江戸城、松の廊下で主君浅野内匠頭は吉良上野介に切り付けて
お家断絶、安兵衛、またしても浪人になってしまった
しかし赤穂浪士の一員として主君の仇討ち参加、吉良上野を討ち取り
英雄として今に名を遺した
新発田城も天守閣はなく、復元された隅櫓が二つ見える、三層なので案外立派に見える、堀は満々の水
鯱が3つ乗っている珍しい屋根だ
赤谷線は結果を言えば、予想していたのとは全く違っていた、もっと山の田舎道だと思っていたのに快適な舗装路だった
昔は赤谷線と言う鉄道があった気がするが記憶は定かでない
内ノ倉ダム湖、ダム方面は交通止めで入れなかった 車3台来ていた
でもそれがわかっただけでも成果だ、途中の綱木村はブルーコメッツの三原綱木さんがここに住んだことで芸名にしたというネタを聞いたことがある
意外にも旧、三川村では戸数が多くて驚いた
しばらく行くと寂しい所で新谷という地区名が出てきた、脇道を行くとあるらしい、修業した店の後輩がここの出身
「こんな山深いところで生まれ育ったのか」と切ない気持ちがした(本人はそんな風に思わないだろうが)
三川村に着いて、阿賀野川が見えた、福島県から出て新潟市に流れ込む大河だ