神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

視点を変えて生きてみる

2021年09月18日 05時59分11秒 | どうでもいいこと
世間では急速に感染者数が減ってきたのに、我が町では昨日1日の最高感染者数になった、なぜか全国から少しずれている
高齢者の2回接種は93%を超えたので、昨日の感染者は40代以下が80%だった、ウィルスは高齢者から若者へとターゲットを変えた
二度接種が終わればみんなと一緒に飲み会や旅行が出来ると思っていたが、根は深い、この1年半でみんなの心が変わってしまった
安心の家の中での楽しみ方を覚えたのだろう、だが近頃は家庭内感染が増えている
都会の自由奔放な行動、田舎の過度の自粛、これが調和すれば安全と経済再生が両立するのではと思ってしまうがママならぬ
どうにもならぬ事はどうにもならない、仕方ないと思うしか無いな

ロスト70、70歳が無かった、69歳から71歳に飛んだ
本当は71歳も埋もれてしまったかも知れない、だが貴重な月日を無駄には過ごせない、71歳は人生のキーワードとして残したい
71歳、数え72歳厄年なのか
私の修業時代の相棒が今年71歳で亡くなり、私のマドンナも7年前に71歳で急死、一緒にスキーを楽しんだその妹も71歳で亡くなった
そして71歳の私はコロナの経済封鎖で苦しめられている

だからこそ何かの形を残したい、人生の金字塔をこの厄年に建ててみたい、ここが成功の始まりだったと10年後に言えるような何かをしたい

過去写真 北安曇 冬

な~んてね 人生「ケセラセラ」どうにでもなる
これを仏教的に言えば「南無阿弥陀仏」阿弥陀さまに我が身をお任せします
ということになる
人間も宇宙の一部、鉄になったり人になったり空気になったり繰り返して生きている、今この時に捕らわれて悩むのは無駄事だ
我らの旅は数千億無限、果てしなく続く

過去写真 凍える諏訪湖








道は開ける

2021年09月17日 05時50分52秒 | ライフスタイル
道は放射状に限りなく広がっている
そこで足踏みしていては何も起こらない
どの道を選ぶかそれは自由
期待は禁物 起こったことだけが現実
期待せず選んだ道を進むだけ
全力ですすむだけ

全力で進んで破れたり疲れたりしたら一休み
それから前に進もうとせず横を見る
横にも果しない数のスタート地点がある
今まで君が気付かなかった横の世界
まったく違った生き方がそこで待ってる
本当に困ったら横にスライドしてそこから始めればいい
きっと道は開ける

人生は楽しむためにある
心が一番の財産だよ



夏が去りゆく

2021年09月15日 14時24分44秒 | 季節と自然/花
昨日駐車場のアスファルトにオニヤンマが羽を広げて休んでいた
いつまで経っても飛び立たないのでそっと側に行って指を出した
つまんでみた、もう彼は死んでいた 堂々としたオニヤンマのままで
庭の松の根元にそっと置いた

今朝我が家のローリエの木の下のコンクリートの上でアブラゼミがあおむけになって死んでいた
つまんでローリエの根元に座らせてあげた

微やかな あの日の熱気を 風の香に
求め彷徨い 蝉庭に死す 



進化論

2021年09月14日 16時51分28秒 | ライフスタイル
人間に限らずいきものは皆、環境に慣れる
そして適応して環境を変えて、自分をもそこに(それに)合うように進化させる

どこぞの南海のイグアナは海に潜る技術をマスターした
岩場に住んで食べ物がない環境なので断崖から海に飛び込んで10メートルほどの海中に潜り
海底の岩に豊富に張り付いた海藻を食べる、でも海に居られるのは1時間ほどで体が冷えるとおぼれてしまう
最後はまた荒波よせる断崖を冷えて鈍くなった体で登らなくてはならないから命がけの食事なのだ

コロナウィルスもどんどん進化している、これはありがたくない話だが人間もワクチン接種で免疫を高める、これも進化だ

人間が飛躍的に進化したのは戦争のせいだと言われる、勝つために人間はより高い殺傷力と破壊力がある兵器を生み出して進化させた
火薬は鉄砲を進化させ、大砲、爆弾を生み出した、弾丸にしても最初は当たればOKだったが、より命中率をあげる進化を遂げた
先の日米戦争では戦争末期、日本の軍艦がアメリカの飛行機に襲われ機銃を一斉に発射するがなかなか命中しない
米機は弾幕を抜けて爆弾を軍艦に命中させる、圧倒的に米軍機の勝利だ
その反対に日本の神風特攻機などが米軍艦船に向かっていくが次々に撃ち落されてしまう、いったいこの違いはなんだろう
一つはベテランパイロットの大半が戦死したため、パイロットは数か月訓練された実戦経験がない若者であること
飛行機もかなり古い型しかなくなりスピードが出ないうえに重い爆弾を積んでいる
そして決定的なのは機銃弾の違いだった、日本の弾は一定の距離で爆発、または命中しなければ爆発しない
アメリカの弾は小さな電波発信機がついていて数十m範囲にレーダー照射して物体を感知するとそこで爆発して破片で敵機を撃ち落とすという方式

ライト兄弟の飛行機はたちまち進化して戦争の主役機械になり、ついには原爆を運んで落とした
ツインタワーを破壊して5000人の命を奪ったのもハイジャックされた二機の旅客機だった
動物や昆虫の進化は生き抜くための進化で、人間の進化はどうも滅ぶための退化に思える

それにしてもコロナ自粛の環境にはなかなか慣れることができない
慣れてしまうのも悲しい、無気力な生き方はしたくない、人に迷惑かける生き方もしたくない
どうすりゃいいのさ、この私?








この頃の生活 ボケた耐乏生活

2021年09月12日 20時37分09秒 | どうでもいいこと
4日前から薩摩焼酎のお湯割りに変えた、もうビールの気分は終わった
終わったと言えばサッカーJ2の新潟アルビも昇格レースは終わったようだ
前半の新記録の連勝の勢いどころか後半は下位に取りこぼし、上には勝てないし2位に勝ち点10を空けられ、下は含めて7チームほどで団子レースだ
このあと2節後、3位から最悪9位くらいまで落ちる可能性もある
終わった! 松本も金沢も下手すりゃJ3落ちもあり得る展開だ
誰も興味が無いローカルな話はこのくらいで良い

さて平和ボケならぬコロナボケが全国民に蔓延中だ
家に籠もることが案外楽になったボケ ダメだというのに営業するボケ
行くなと言うのに行ってしまうボケ 
かくいう私も仕事をするのがおっくうになってきた楽慣れボケ
こんなんで良いのだろうか? 中国とか朝鮮とかが無けりゃこれでいいだろうけど、目の前にいますよ

戦争に負けた日本は昭和20年にアメリカに統治されて主権国家で無くなった
すなわち私は生まれたときはアメリカ人だった?
幸いにも中学校まで英語教育は受けなかったから純粋に日本人でいられた
今は幼稚園や小学校で英語教育が始まったらしいから、日本が統治した台湾や朝鮮みたいになったのだろう
まあこれもビートルズ英語しか話せない初老のひがみだと笑ってくだせぇ
それもこれも今読んでいる宮本輝の大作「流転の海」に共鳴したからであります
まったくこの小説の主人公の熊吾の言葉ときたら、父が私に語り続けていた言葉に寸分違わずなのであります
偏った言葉や、差別的に近い言葉もあるのでここでは控えますが、なんか親父を思い出します
登場人物と父を年代的に言いますと、熊吾は私の祖父の年代で、父は私の父で、熊吾の息子の伸仁は作者自身だそうで私より2~3歳年上
父を思い出しますに考え方は熊吾によお似とります、発する言葉も手が早いのも同じです、考え方が緻密で深いのもそうですし
人情に負けて損ばっかりしているのも同じです、また危なそうな人に頼られるところまでそっくりでした
今は第4部を読んでいる、この先10部位まであるとの事なので出不精ボケの私にちょうど良いかもです、お楽しみお楽しみ




   






黄金色 越後平野を思う

2021年09月11日 17時55分08秒 | どうでもいいこと
日本一の米王国新潟県、今もコシヒカリ、新之助の開発と一歩リードしている
それでも私が若い頃、長岡辺りから新潟市、その先まで続いていた果てしない平野は
度重なる減反政策で離農者が増えて工業団地や住宅街、高速施設などに代わってしまった
それでも我々の住む猫の額程度の田圃に比べたら、まだまだ広いが迫力は無くなった
けれど青々と広がる初夏の田園、黄金色になった秋の田園は美しい
しかし地球温暖化で美味しい米処が北の方に移動していくのだと誰かが言っていた、真なのか推測なのかはしらない
  田園の晴れた日の風景はさわやかで美しいですね
昔は泥田の中に入って腰を曲げたままの重労働でしたが、近年は機械化して
そんな苦労はほぼなくなったようです
でも大規模農家の友人に聞くと、機械を買うために働いているようなもんだ
と言っていました
たしかに機械ものは高価ですね、トラックたーとか農業器具の事は知りませんがマイクロバスで700万800万
漁師の船になれば1億とか言いますから、ペイするのはたいへんな苦労ですね
苦労の仕方が変わっただけとも言えますか?

新潟県と長野県の地形的な違いは決定的なのは海があるか無いか、そして標高の違いです
形状的には長野県の都市と言うのは盆地の中央にある、すなわち360度山と言うことになります
山の上にある都市は人口が少ない、平地が少ないからです、でも盆地は広くて平野も縦長だけど広い
新潟県の場合は海岸線に沿って都市部が点在し、内陸は信濃川に沿って都市部が点在する二極構造です
海岸部は糸魚川、上越、柏崎、燕、新潟、村上と続き、信濃川沿いには十日町、小千谷、長岡、見附、三条と並んでいる
そして海岸部と信濃川が一緒になる新潟市は阿賀野川の河口でもあり、長い歴史の中で滞積した土砂でできた土地でしょうか
どちらの大河も昔は大暴れしたと思います、だから取り残された潟となったのでしょう、福島潟、鳥屋野潟、長潟などたくさんあります
栄養分も多い土で広大な越後平野ができたのでしょう
関東ローム層の関東平野とは雰囲気が違いますし、でき方も違うのでしょうね?


体が痛くて

2021年09月10日 17時09分02秒 | 地理
新潟県の北方から長距離をやったのがこたえたみたいだ
昨日は朝から節々が痛くて力が入らない、どうも疲れが出たようだ。それでも(もしも)があるから熱を測ったら36.3
夜は早々に布団に入って寝た、ぐっすりと寝た

なんか年齢を感じた出来事だった、車の長距離もそろそろ考えなければいけないな
ほとんど休憩せずに8時間くらい走るのが私のスタイル、距離でいえば350~550km
しかも車があまり来ない山道とかが好きだからなおさら疲れるわけだ
コロナが落ち着いたらいよいよ旅行したい、そんな年代になった
だけどゆったりとJRで目的地に行ってレンタカーを借りて近くを巡る方がよさそうだ
乗用車を持っていても遊びや出張で遠くへ行くのは一年に20回もないだろう
宝の持ち腐れだ
これからは気の長い生き方をするのが良いかも


初めての新発田市(しばた)と新発田城

2021年09月09日 06時36分14秒 | 旅行 新潟県.長野県
北信越5県(福井、石川、富山、新潟、長野)関西圏と関東圏が混じり
JRも東と西が混在、フォッサマグナで新潟、長野  富山、石川、福井とプレートが別れる
県をまたぐ移動はしないで下さい、と国は言う、これは不公平だと思う
福井と富山は狭くて県民の県内移動などあっという間に限界になる
石川は思いのほか能登半島は奥深い、だが面積が全国4位の長野県、5位の新潟県民は広い県内を縦横に移動できる

新潟で仕事を午前で済ました私はチャンスを得た、新潟県の北部、新発田城、村上城を見たいと思っていた
それと新発田から福島、新潟県境の阿賀町に抜ける赤谷線を20歳ころから走りたいと思っていた
なぜかはわからないが、とにかく行きたかった、とうとう二つ同時に出来るチャンスがきた
ざっと所要時間を計算したら充分に間に合う、天気は快晴、明日から崩れるらしい
新発田城
思ったより広い前庭 草むらが広がる 
市民が10人ほど思い思いの場所でくつろいでいた、
御弁当を食べている人も、そういえば12時ちょうどだ
新発田といえば赤穂浪士の英雄、堀部安兵衛の故郷だとか
浪人中、お江戸でおじさんか誰かの仇討ちの助太刀をした
こっちは3人、向こうは倍以上だが安兵衛は数人を叩き切った
おじさん? は仇討ちを果たすことができた

これを知った赤穂藩の武士、剛直な堀部弥兵衛じいさんが
安兵衛(中山安兵衛)をすっかり気に入って
ぜひ娘の婿になってくれと懇願、婿入りして堀部安兵衛となる
しかし江戸城、松の廊下で主君浅野内匠頭は吉良上野介に切り付けて
お家断絶、安兵衛、またしても浪人になってしまった
しかし赤穂浪士の一員として主君の仇討ち参加、吉良上野を討ち取り
英雄として今に名を遺した
新発田城も天守閣はなく、復元された隅櫓が二つ見える、三層なので案外立派に見える、堀は満々の水
鯱が3つ乗っている珍しい屋根だ



赤谷線は結果を言えば、予想していたのとは全く違っていた、もっと山の田舎道だと思っていたのに快適な舗装路だった
昔は赤谷線と言う鉄道があった気がするが記憶は定かでない

内ノ倉ダム湖、ダム方面は交通止めで入れなかった 車3台来ていた

でもそれがわかっただけでも成果だ、途中の綱木村はブルーコメッツの三原綱木さんがここに住んだことで芸名にしたというネタを聞いたことがある
意外にも旧、三川村では戸数が多くて驚いた
しばらく行くと寂しい所で新谷という地区名が出てきた、脇道を行くとあるらしい、修業した店の後輩がここの出身
「こんな山深いところで生まれ育ったのか」と切ない気持ちがした(本人はそんな風に思わないだろうが)

三川村に着いて、阿賀野川が見えた、福島県から出て新潟市に流れ込む大河だ





オレ流

2021年09月08日 08時48分35秒 | yottin日記
夜の生活パターンが変わった」と先日書いた
もっと言えば「睡眠の取り方が変わった」と言うことだ
その先駆けは缶ビールから始まり、いつしか寝てしまい
風呂は夕飯前、夕飯後、一寝入りしたあと、零時頃、早朝と一定しなくなり
早く寝るから4.5時間寝ると目が覚めるのは高齢者では当たり前
それでも3時だとか1時だとまた寝ようとする、だが適量だけ寝てレム睡眠後だから眠れない
そんな時は起きることにしている、何時だろうと関係ない

新潟のホテルに泊まり、缶ビールハーフ4本飲んだ、案の定3時に目が覚めた
それからブログを書いて5時に外に出て、やすらぎ堤を歩いた
ちょうど朝日が新潟一高い万代島のビル、トキメッセから出てきた
もうジョギングの人たちが走り出していた
柳都大橋から萬代橋を渡りぐるっと一時間かけて写真を撮りながら歩いた
こんな事でもうっすら汗をかき、朝風呂に入った
それから一時間ほど眠ることが出来た、8時にレストランで和食の朝飯
新潟米新之助か最高のコシヒカリか、白く輝くご飯を村上の塩引き鮭で最後の一粒まで食べた
味噌汁は地元の白味噌のような色合いなのに上品な塩加減の越後味噌だ、おかわりした
レストランだからたまに洋食にしようと思うが座るとたちまち和食を頼んでしまう
越後に来たら、越後米と村上の塩引きで食べるべし、パンと卵料理は都会で食べたらいいと思うが

5時28分信濃川に朝日が昇る、大河に浮かぶ新潟市の一日が始まる
柳都大橋がシルエットに
「おはよう」 柳都大橋に上がると先客が朝日を見ていた


天井川の信濃川は満水をたたえて

新潟市のシンボル萬代橋と日本一の長江信濃川

川より低い本町や古町が水浸しにならないのは関屋分水、大河津分水で海に
放流しているから
私が新潟にいたころ工事中で最後の仕上げ工程に入っていた、ここには競馬場があってそれを中心に取り壊して河川工事をしたのだ
だから私が住んでいた時は競馬町という地名があったが今はなくなったそうだ



8か月ぶりの新潟市

2021年09月07日 16時13分10秒 | 地理

 
1月に、二十歳前後に同じ釜の飯を食べた修業時代の兄弟弟子が
71で亡くなり、その通夜に来たとき以来だ
およそ200kmの道のりを高速で二時間程で来たのに、新潟西で下りて
8号バイパスに下りた途端三車線いっぱいに車が詰まって
時速5kmの大渋滞が始まった、わずか10km程先のホテルまで45分もかかった
東京にも車で乗り入れるがこんな渋滞は経験がない
このバイパスは10年ほど前のデーターだが日本で1番交通量が多い道路とのこと
新潟に来る度ここを走るが夕方6:00のラッシュは初めての経験だった
とにかくバイパスに入ってから左車線に割り込めない、80kmくらいで割り込むのは得意だが
1mの車間で三車線いっぱい時速5kmでは得意技も披露できない
ノロノロ運転の割り込み技術はまだ未熟な私だった
この次はいつものとおり中央インターまで行くことにする方がよさそうだ
夜9時半ころ散歩に出たが本州日本海側最大の80万都市の中心部、萬代橋辺りに人影は皆無だった


萬代橋から柳都大橋までの信濃川やすらぎ堤からの夜景
昔の新潟市は掘り割りの運河が縦横無尽に走る水の都で柳がたくさん並んでいたようだ
そして新潟芸者や沼垂(ぬったり)芸者の柳腰にも掛けての柳都新潟、柳都大橋の名前がついた一番新しい橋
一番堀通、西堀通、東堀通と名前だけが昔の面影を残している
私がいた頃は沼垂の通船川がまだ健在だったが今は埋め立てて広い道路になってしまった
名前の通り、昔は小舟が行き来していたんだろうな