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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 106 九州こそ先進地

2022年12月27日 18時07分30秒 | 貧乏太閤記
 この戦の後処理は大友に豊前、日向を、筑前は毛利に、そして黒田官兵衛にも豊前12万石を与えた、毛利は伊予に続き筑前(福岡県)と肥前の一部を得た
秀吉の仇討を二次的に支援したことが今日こうして実を結んだのだった。
また佐々成政には肥後一国30万石を与えて、殺伐として一揆が多い肥後の平定を任せた。
佐々は絶句した、一時は柴田に与力して秀吉に敵対、そして国を失って秀吉の旗本の一武士に身を落していたのだ、それが30万石と言う大きな領土を与えられた、感激しない方がおかしい。
一方で大友宗麟は隠居を希望して、加増された日向を返上、息子に与えられた豊後だけをいただいた、もはや国を維持する気力を失っていたのだ
また嫡男を失った長曾我部にも九州に領土を与えようとしたが、戦死した息子のことを思い出すからと辞退した、こちらもまた厭戦気分が心に根付いたのだろう。
 
 博多に着いた秀吉はここで数日の休暇をとった、それは筑前のことを調べるためでもあった。
 黒田官兵衛、石田三成を伴い、博多の豪商で茶人でもある神屋宗湛(かみやそうたん)の案内で荒れ果てた商業都市を端から端まで歩いた。
平安から鎌倉にかけて宋との貿易港として栄えた面影は、九州の争乱で面影すらない、わずかに神屋ら豪商がこの町を支えている
「これほどまで荒れ果てると気持ちが良いものじゃ、なにもかも更地にして豊臣秀吉流の町づくりがいかほどのものか見せてやろう、のう宗湛よ」
「天下様の肝いりで、そのようにしていただけるなら、これほどの幸せはござりませぬ」
「みておれ、この博多を堺同様にしてみせようぞ」
「心強きお言葉にござりまする、われらもご期待に応えるように全力で励みまする」
「おお、その言葉を信じよう。 それにしても儂はこれまで九州は湊より遠く、奥州と同じように最果ての僻地と思うておったが、そなたからアジアの地理を聞かされて目が覚めたぞ」
「神代の時代に天孫降臨(てんそんこうりん)で神武天皇が天から降りられたのが薩摩と日向の辺りの高千穂の峰と申します、その後、出雲を併合して畿内に向かい大和で朝廷を開かれたとか
日の本の始まりが九州であると言われております」
「なるほど、いかにもありそうじゃ、それにしてもこれほどに明国や朝鮮が近いとは思わなんだ、筑後、筑前、肥前こそこれからの日本の海外進出に欠かせぬ土地である
筑前は毛利に与えるが、博多は豊臣家の直轄地として我らが管理する、その方が博多の商人もより利を得ることが出来よう、大いに稼いで税を治めよ」
「そのように努めまする」
「官兵衛よ、そなたには豊前で12万石を与えようと思うが、豊前には息子を置いて、そなたは変わらず儂の元で頼むぞよ
官兵衛は思った(佐々でさえ30万石を与えられたのだ、儂は50万石でも良いと思うが、どうやら儂に野心があると秀吉公は思ったのであろう、やはり鋭いお方である)

「佐吉(石田三成)は、しばらく博多にとどまって町づくりの監察をせよ、肥前には九州の拠点となる九州一の城を建てよう、島津ら降伏した諸大名を使って普請させる、縄張りは藤堂高虎に任せよう、三成は長束正家と2か月ほどこの地にとどまり采配を振るがよい」
「はは」
九州こそ朝鮮、明国、ルソン、マカオなどの玄関口であることに気づいたのだ。
アジア的視野で見れば、京、大坂こそ僻地(へきち)で、九州は日本、朝鮮、明国、ルソンの中央に位置している
既に豊後から肥前、筑後までキリシタンの教会がいくつも立ち並び、キリシタンに傾倒した大友、有馬などの大名も居る、九州には信徒が10万人は居ることも知った
 
 宗湛の話を聞いて大坂に戻る予定を変更して筑後長崎、肥前、その地でしばし日数をとって見聞した
その地その地のリーダー的立場の商人を呼び、この地の今までの領主の政治や経済、文化から風俗に至るまで問いただした
すると思ってもみなかったことが、次々とわかって来た
秀吉は九州の地の貿易について好意的に思ったし、また南蛮人やキリスト教にも信長同様に理解を示していた、ところが
「この北九州では松浦、大村、大友などの諸大名がキリスト教に傾倒して自らも信者になっております、それは一向にかまいませぬが、町ぐるみパードレに
与えて教会を自由に建てさせ支援までしております
それも良いとして、それより元からあった寺院を破壊するようなことが度々あって、鎌倉の時代からあったような名刹まで破壊されたことがあります
あまりの横暴に寺社は憤慨し、町人も眉をひそめますが領主さま自体が信者ではどうにもなりませぬ」
「それは難儀をしているものもおろう、諸大名には仏教とキリストと共に繫栄できるよう申し渡そう」
「それはありがとうございます、しかしもう一つ重大なことがあるのでございます」
「なんじゃ、まだあると申すか」
「はい、それは南蛮貿易のことでございます」
「ふむ、南蛮貿易には儂も関心を持っておる、なにが不都合なのか」
「はい申し上げます、南蛮船はわが国のさまざまな品をルソンから、さらに遠くユーロペまで運び、反対にめずらしいギヤマンやらビードロ、織物から硝石、火薬の類まで我が国に持ち込んで商いをしております」
「それは存じておる、それが交易と申すものだ、我が国も富むのだから不都合はあるまい」
「はい、それだけなら不都合はありません・・・が、他にも南蛮人やパードレ達の大きな利益がございます」
「なんじゃ、それは」
「はい、人買いです、堺や上方は御上に近いので静かにしておりますが、ここ九州のことは上方にはなかなか伝わりません、それを良いことにして人買いがまかりとおっておるのです」
「なんと、人買いを南蛮人がやっておると申すのか」
「はい、南蛮人、それもポルトガルやスペインのパードレが中心になっております、しかもこれには五島あたりの日本や朝鮮、明国の海賊衆も一枚加わって、戦で敗れて捕虜になった者、落城した城の女や足軽、その町の町人など、特に女、子供をさらって南蛮人に二束三文で売り渡すとか
一艘に100名以上が奴隷のように詰め込まれ、足を数珠つなぎにされて逃げられぬようにしておしこめられているとか」
「いったい、そんな者たちをどうしようとするのだ」
「はい、強そうな男は肉体労働の奴隷や傭兵として売り、女の多くはジャワやインド、シャムのあたりで娼婦として売られている様子、子供は労働力として売られると言います」
「けしからん! 儂の民を無断で売るなど許せぬ」



辛いのが好きだけど

2022年12月27日 07時44分01秒 | 料理を作る・食べる
キムチを作った、11月から二度目で改良しながら作る
辛いもの、ネバネバしたものが大好きで、キムチ、納豆、長イモ、メカブ、明太子など
ところが最近は食道から胃にかけて、辛いキムチを食べた後。負担が大きくなってきた。
それでも食べたいので、キムチチャーハンを作って食べた
なかなかの旨さで負担も無かった、素で食べるとどれだけも食べられないが、チャーハンだと一気に消費できる
友達数名にも、おすそ分け、好みがあるから聞いてからでないとあげることができないが、割と好きな人はいるようだ。

白菜がもう少し多めでもよさそう

まだ完成形ではない、新米で粘り気が強いから、時間をかけてパラパラにする

五箇山ドライブ途中の、和紙の道の駅で買った和紙のポシェット、色が気に入った