秀吉の戦線も動きが早くなってきた
同じ5月29日、何度も毛利の使僧である安国寺恵瓊(あんこくじえけい)
と和平交渉を行ってきたがいよいよ煮詰まって、ついに毛利方は小早川隆景と安国寺恵瓊、織田方は羽柴秀吉と黒田官兵衛の首脳会談にこぎつけた
秀吉には毛利を口説き落とす手立てが揃っていた、その半分は官兵衛の考えによるところである
「最初に」と書き出し
織田信長は天下を欲するものではない、天下の平和を願い、この国に暮らすすべての大名も民も、この国に暮らす人間は同じ同朋であること、相争う騒乱は無益であることを知らしめたいと願う
帝を、この国の天守、神とあがめて、帝の元で武家は結束して南蛮人の脅威を打ち破るべく働くものなり
また南蛮人とも争うばかりではなく、交易を通じて互いの利を得て友好を図るのも国威なくしてはできぬから共に協力して倭人は強く南蛮人と互角であることを示そうではないか。
南蛮人の技術の高さはわれらが遠く及ばぬのはご承知のとおりである、ゆえにわれらは南蛮の技術を早々に学び、彼の者らにいち早く追いつくことが肝要である。
国内が平和になれば武士のすることは無くなり、いずれ行き詰まり浪人があふれて国内が不穏になって、また騒乱がおこる恐れは十分にある、だからわれらは朝鮮の向こうにある明国の堕落に乗じて攻め上り、明国を従えて我が国の大名がその広大な大地で今の5倍もの土地を領土とすることも叶うであろう
以上の事柄を頭に入れて、織田家、毛利家の和議について示すものである
①四国攻めの軍は2日には4万の軍勢で渡り、10日内には長曾我部は下るであろう、そうなれば6月半ばには伊予から長曾我部を先鋒に備後に四国軍5万が上陸する、九鬼の伊勢水軍も500艘の船で備中に攻めあがる
わが陣営にも織田様自らが6万の兵を率いて5日には到着する
越後の上杉も3日内には全滅するのは間違いない、北九州の大友らもすでに織田に味方する約束ができているから、長門に攻め寄せるは時間の問題である
②しかし、織田様は武田を憎むように心から毛利家を憎んでいるわけではない
もともと互いに大損害を被る大戦は行っていないから、今、織田家に懇意を示すなら大国でもあるから徳川家同様に兄弟の待遇で遇するものである
日の本1,2の大国、織田家と毛利家の戦は互いの国力を消耗して他国の益になるだけで、われら共々いずれが勝ったとしても損をするだけである
③この戦を終わらせる条件は当初より織田方が譲歩して、清水宗治の切腹開城、われらがもらい受けるのは備中、美作、伯耆までとする
④もし味方となるならば、毛利家には四国攻めをを与力していただき伊予に攻め込んでもらう、その恩賞として伊予36万石は毛利家の支配に任せる
⑤毛利家、大友家が織田家と盟友となれば島津家ももともと織田家には懇意にしているから、日の本はすべて織田家に統一されて国内の戦は消えてなくなる
北条、佐竹、伊達などの関東、奥州の大名もすべて傘下に加わるは必定である
⑥織田信長様の視点は国内にあらず、すでに、ルソン、高砂、マカオ、ゴアまで南蛮人が強力な巨大砲艦を伴って植民地化している
我ら日の本の武家は心を合わせてこれらに対抗していかねばならない、まずは国内が乱れた明国に攻め込み、その広大な地をわれらの領土とする大きな構想を織田信長様は描いておられる、倭人同士が殺し合う時代はこれで終わりにせねばならない。
これを実現するために大国の毛利様にもぜひ力を貸していただきたい
さすれば天下の副将軍の地位が約束されるでありましょう。
などと虚実混ぜ合わせた一方的な要求を小早川隆景に渡した
毛利にしても、この数年で一気に領土を広げた織田に対して勝算がほぼ皆無なことはわかる、すでに播磨、備前、美作、但馬、因幡、伯耆まで奪われているのだから、しかも干殺しなどという残酷な飢餓作戦を年月かけても行う織田軍である、恐怖心もある、今もまた水攻めなどと言う前代未聞の包囲戦を目の前で見せられては、戦意も落ちるばかりであった
まだ7か国維持できている、しかも協力すれば伊予36万石と言う大国が手に入るという
「これは毛利様と吉川と合議して6月1日に返答仕る故、しばし停戦といたしましょう」
「あい、わかり申した、良き返事を待っておりますぞ」
両者が分かれた後、官兵衛に「いかがかな、毛利はどう返答するかな」
「九分九厘和平となりましょう、清水宗治の切腹以外は条件を呑むでしょうな」
「うむ、今更、宗治の切腹は意味もない、許すとするか」
「なりませぬ、宗治が切腹するか、許されるかによって毛利の士気に影響がおこります、ここは鬼となって、織田家の本気を見せねばなりませぬ」
「なるほど、さすがは官兵衛じゃ、宗治には悪いが腹を切ってもらうか」
「そうなさりませ、それで中国攻めも終わりますぞ、拙者が清水宗治殿に引導をわたしましょう」
6月1日になった、午後秀吉の陣営に安国寺恵瓊が数名の部下を伴って、和平の返事を持ってやってきた
秀吉、秀長、官兵衛が上座で待ち受けている陣幕にただ一人で入り座った
「早速でござるが、毛利三家の主が二夜にわたり議論いたしましたが、最後は当主毛利輝元の決断で織田殿の和議条件のすべてを了承して、和議を結ぶという結論になりました、しかしただ一つ、清水宗治さまの命だけはお助け願いたいと申されました故、これだけは譲ることができませぬ」
「おおー、それは大儀であった、毛利殿がそこまで譲歩していただいたのであれば、われらも清水殿の切腹は撤回せねばなるまい、早々に小舟を出して官兵衛がこのことを伝えてまいれ」
「はは、すぐに行ってまいります」「うむ、頼んだぞ、これでわれらと毛利家の戦は終わりじゃ、安国寺殿、これは些少じゃがそなたへのご苦労の褒美じゃ、長年にわたりご苦労をかけた、許せよ」
と秀吉は言うと、美濃関の名工、兼元(関の孫六)の短刀と黄金一袋を与えた
「これはまたなんと太っ腹な大将でござろうか、恵瓊感服仕りました」
安国寺恵瓊は毛利方の家臣であるが、秀吉にすっかり惚れ込んだ
「さて、先般より気にしておりましたが、後ろに控えられておる、あのお小姓の名前は何と申されますかのう」
「うん? ああ、あれなるは石田佐吉、いや元服したから石田三成と申す」
「いや、なかなか利発そうなお小姓と見受けました故」
「ほほう、わかるか? いかにもわが羽柴家にあって一番の気配りと計算の妙に長けた若者でござる、ちかじか小姓から勘定奉行に転身させるつもりでおるのじゃ」
「さようでありましたか、拙者は人相も見ますが、なかなかの大器、一軍を率いても不足ない才能を持っておられる、ただまっすぐすぎるきらいはあるから、そこに気を付ければ、ご出世間違いなしでございます、羽柴家の柱石ともなるでありましょう」
「さようであるか、おい佐吉、聞いたか、大器の相じゃと申しておるぞ」
「それはまた、お口のうまい殿様でありまする、おからかいなさりますな」
「いやいや、謙遜せずともよろしい、この恵瓊の見立てはなから当たりまする、精進なされば必ずや天下に名を挙げましょう、頑張ってくだされ」
「それは、ありがたきお言葉、肝に銘じて励みまする」
「おお、それが良い、いずれ世の中が落ち着けばまた会えましょうから、その時はゆっくりと語り合いましょう」