おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(6月26日)の朝、家で カミさんと息子が夫婦のあり方について話していたこと をもとに「夫婦の愛のかたち」についてブログを書いてみたくなりました。
私は気まぐれなので、いつものように連載の間が飛んだり、途中でやめてしまうことがあるかもしれませんが、その節はご容赦ください。
まずは、アドラー心理学の立場から(特に夫婦間での)愛の定義です。
ルドルフ・ドライカース(1897~1972)は、『人はどのように愛するのか-愛と結婚の心理学』(前田憲一訳、一光社、2,000円+税)で愛について次のように書いています(下線や改行は岩井によります)。
情動としての愛は、かなり主観的なものです。
愛とは、その人が愛と呼んでいるものなのです。
そして、献身か支配か、天国か地獄か、幸福か惨めさか、どのために創られていても、人は何か強い願望を伴う情動を愛と呼びます。
ここでのポイントは、愛を客観的でなく主観的に定義していることです。
ここから夫婦にとっての愛とは、「その夫婦が愛と呼んでいるもの」と定義してもよさそうです。
ということは、周囲がどう言おうが、ある夫婦が「私たちの愛のかたちはこれなのです」と言い返し、そのかたちが法に触れることがなければ、それがその夫婦の愛のかたちなのです。
はたから見て「あれはどうかな?」と思えたとしても、その夫婦が「私たちはこれでやっているの」ということであれば、その夫婦間に他者は干渉は難しいと考えておいた方がいいのかもしれません(ただし、このことは後日触れることになります)。
(クリックしてね)