おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(2月17日)は、家に帰ったら、一般社団法人 図書文化協会 発行の『指導と評価』(3月号)が届いていました。
私は、この雑誌の「だんわしつ」というコーナーに『教師のメンタルヘルスに役立つ勇気づけ』を書いていました。
編集者が気を利かせてくれて、文章の最後に(注)児童・生徒だけでなく自分自身を勇気づけるためにお勧めの4冊 として、私の関連の本を紹介してくれていました。
こんなに書いているんですね。
さて、これからが本題です。
『嫌われる勇気― 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見 一郎,古賀 史健、ダイヤモンド社、1,500円+税)を読んでいたら、哲人の語る「ユダヤ教の教え」として「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」の文章に出合いました。
この文章は、紀元前一世紀のユダヤ教の律法学者 ラビ・ヒレルの言葉 です。
出典がどこかは忘れてしまいましたが、全文をメモしていましたので、コピーしておきます。
もし私が自分自身のためにしないならば、
誰が私のためにするのか。
もし私が他の人のためにしないならば、
私とは誰なのか。
今がその時でないならば、
いつがその時なのか。
下手な注釈を書かない方がいいでしょう。
<お目休めコーナー> 2月の花(4)
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