見もの・読みもの日記

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成長のメランコリー/ハリー・ポッター第4巻

2004-08-03 22:53:57 | 読んだもの(書籍)
○J.K.ローリング『ハリー・ポッターと炎のゴブレット(上)(下)』静山社 2002.7

 とうとう、出版されている日本語版「ハリー・ポッター」最終巻に来てしまった。まあいい、9月1日には最新刊『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の日本語版が出るものね!

 第4巻は、残念ながら、これまでの3作ほどのカタルシスがない。冒頭はクィディッチのワールドカップで、華やかに幕が上がる。世界中から魔法使いが集まったキャンプ場、スタジアムで売られる不思議なお土産グッズ、両チームのマスコットによる妖術合戦、そしてハイレベルなプレーの応酬。奔放な想像に確実な色とかたちを与える著者の語りの力には驚嘆させられる。(ただし、このひとは、明るく楽しいものや美味しいものを描き出すときのほうが表現に力を感じる。それに比べると、暗い、恐ろしい場面はわりと類型的である)

 やがて、三大魔法学校のトーナメントの最終試合、闇の魔法使いの計略に陥れられ、ホグワーツの上級生が不慮の死を遂げる。そして、「名前を言ってはならないあの人」は、ついに肉体を得て完全復活を果たし、どこかに消えていく...

 長いスリリングな物語の終わり、いつものようにハリーたちは学年末の休暇を迎えて旅立っていく。だが、そこには、これまでのように1つの大仕事をし終えた充実感よりも、いわく言いがたい不安とメランコリーが漂っているように感じた。

 それでも、ハリーはあいかわらず小さなヒーローである。公正で無欲で、どんな恐ろしい試練に遭遇してもそれを乗り越える勇気を自分の中から奮い立たせる。

 突拍子もない連想だと自分でも思うが、私はかつて、よく似たヒーローを1人だけ知っていた。公正で無欲で、恐怖にも悪の誘惑にも屈しない、小さい体に知恵と力と勇気を漲らせた少年。それは――鉄腕アトムである。へらず口をたたく子供たちも、心の底でこうでありたいと憧れ続ける永遠のヒーローである。

 しかし、鉄腕アトムは成長しない。成長の放棄と引き換えに、アトムは、永遠の真昼のような、徹底して明るいイメージを我々に与え続けている(アトムの原作には、成長しないことのメランコリーが時々描かれているが)。

 一方のハリーは、成長の階段を上がり始めたところだ。まもなく輝かしい少年期は終わりを告げるだろう。そして、たぶん絶え間ない不安とメランコリーが待っていることだろう。

 本書を読んでいると、イギリスという社会は、日本に比べるとずっとカッチリと、子供の背中を後押しして、大人への階段を上らせるシステムができあがっているんじゃないかなあ、と思った。たとえば、自分でパートナーを見つけなければならないダンス・パーティという習慣。失敗を繰り返しながら、最後には否応なく正しい立居振舞いを学ぶのだろう。

 最後になるが、この巻で、ウィーズリー一家の長男ビルと次男チャーリーが登場したのがうれしかった。いいなあ、男の子6人兄弟(と女の子1人)だって!! 私もこんな男の子たちの母親になりたかった~!

 もう1つ、まだあまり活躍の場はないけど、ハリーが淡い想いを寄せる女子学生チョウ・チャン。このあと、どうなるんでしょう...映画ではどんな子が演じるのかなあ。中国系の読者は特に気になるでしょうね。

 ホグワーツには、ほかに黒人の女の子もいて、いまのイギリスが、かなり多民族国家の様相を呈している現実を反映しているように思われる。巨人族や人狼、動物もどきなど魔法使い族の内部の人種対立や、マグル(普通の人間)に対する差別・融和の議論も同様である。

コメント
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