■魯迅記念館、禹陵、そのほか
杭州を離れ、紹興へ向かう。高速道路の両側には、三角屋根を聳え立たせた3、4階建ての住宅が並ぶ。洋風とも中華風ともつかないが、どの家もほとんど同じデザインである。近郊農業で豊かになった農家だと言う。
この日は、ツアーで初めて、夏らしい天気となった。紹興でローカルガイドの黄さん(女性)と合流し、魯迅記念館を見学。周囲は、最近、観光街区として整備されたばかりらしい。強い日差しが塗りたての白壁を際立たせている。
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会稽山のふもとにある禹陵(夏王朝の創始者である禹王の陵)の周辺も、大規模なステージを作ったり(”禹王まつり”に使うらしい)、山頂に巨大な禹王の像を立てたり(!)、観光開発が進んでいた。どうも紹興という町は、ものすごいお金持ちらしい。
住宅街に残る八字橋(南宋の遺物)は、今も普通の人々の生活に溶け込んでいてよかったが、これも近々「宋街」に作り変えられてしまうことだろう。
■蘭亭、越国王陵
午後は蘭亭へ。表に康煕帝が蘭亭集序を刻み、裏に孫の乾隆帝が自分の文章を刻ませた石碑がある。「皇帝の書が裏側にある」というのは非常に珍しいのだそ うだ。最近、私にとっては、康煕帝も乾隆帝も”時代劇の中の人”なので、格別の親しみがある。たぶん一般の中国人も同じで、「これは乾隆帝の字だそうだ」 「おお、きれいねえ」なんて嬉しそうな会話が聞こえてくる。
「越国王陵」というのは、石川さんの話によると「JTBかどこかのツアーに入っていたので入れてみた」とのこと。蘭亭に近い「印山越国王陵」に向かいながら、ローカルガイドさんが「ここでいいですか?間違ってませんか?」と石川さんに確認を求める。「ええ、いいです」と答えながら、「実は僕もよく知らない」とつぶやいている。
茶畑の真ん中にある丘陵に到着。印山博物館と名づけられた覆い屋の下に、巨大な古代の墳墓が収まっていて、迫力があった。
最後は紹興酒の工場へ。試飲のあと、甘口辛口、花彫酒(本来は吉祥図様を彫刻した甕に入ったもの)を各種並べられ、みんな、どんどん買う。最初の頃の倹約精神は何だったの...。
■上海(和平飯店)
高速道路を走ること4時間余り、上海に到着。電力不足の影響か、ちょっと町が暗いかな?と思っていると、マオさんが「もうすぐ最高の夜景ポイントですよ~!」と注意を促す。目をあげると、高速道路は、突然、黄浦江につきあたり、まるでダイビングするように、急カーブを切る。その瞬間、一気に光の洪水の ようなバンドの夜景が目の前に広がった。
宿泊は、バンドの象徴とも言える老舗ホテルの和平飯店。「今夜は時間も遅いので、夕食はホテルの中のレストランにしましょう。席だけ予約しておきました から、皆様で行ってみてください」と申し渡される。しばらく夜景を眺めてバンドを散歩したあと、レストランへ(大木先生もおすすめ、北楼8階の「龍鳳庁」 である)。
メニューを開くと、さすがにこれまでのレストランとは値段が1桁違うと思ったが、細かいことは気にせずに注文。と言っても、無茶苦茶な豪遊をしたつもりはないのだが、請求書を受け取ってびっくり、なんと2,500元だった。これまでは高くついても500元程度だったから、一挙に5食分である。まあ、それでも日本円に換算すれば1人あたり5,000~6,000円だから、普通の飲み会並みなのだが。
さらに1階のジャズバーで「老年爵士楽隊」(老年ジャズバンド)の演奏を聴き、上海の短い夜を楽しんだ。
和平飯店 | 龍鳳庁(ただし朝食風景) |
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【2019/5/4 geocitiesより移行】